第6話 45
視界一杯を埋め尽くした巨人の拳を突き破って、俺は空に舞い上がった。
直後、〈亜神〉の巨拳は深々と地殻に突き刺さり、周囲に衝撃を伝える。
土砂が空高く巻き上げられ、駆け昇った暴風が、宙に飛んだ俺をもまたさらに上空へと引き上げる。
と、グランゼス城での戦いのように、俺の周囲の景色が書き換えられて、幕開くようにめくれ上がり、夜の景色が顕れる。
『――〈幻創舞台〉顕現!
幸運度偏向誘導及び事象干渉……開始!
――でも……』
あの日、グランゼスの鍛錬場すべてを呑み込んだのに比べて、今、俺を包んでいる《《場》》は、周囲数メートル程度のひどく小規模なものだ。
『チッ! 〈竜星晶〉が発する波動の干渉か。
伊達に〈万能機〉の系譜じゃないってワケだ!』
クロが舌打ちする。
「――関係ねえ!」
俺は〈亜神〉の腕に降り立ち、クロに返した。
『いっ――たあああぁぁぁぁいッ!!』
戦闘経験が無いらしいヤツは、手を貫かれる痛みに見苦しく悲鳴をあげた。
地面を穿った左手を引き抜き、狂ったようにそれを振り回して身悶えする〈亜神〉に、俺は身を低くしてヤツの腕の構造物を掴んでその挙動に耐えた。
武騎でさえ、その挙動で衝撃波を生むんだ。
これほどの巨体が考えなしに動けば――
『あああっ!! 痛いいたいイタイぃぃぃ――――ッ!!』
踏み鳴らした大地が鳴動して土砂を巻き上げ、振るった左腕によって竜巻が起きて、樹海の木々を薙ぎ飛ばす。
俺は足場にしたヤツの腕を蹴って駆け出した。
大樹だった〈天体制御樹〉を駆け上がったのに比べれば、枝に進路を邪魔されない分、昇りやすいくらいだ。
『――何処に!? 何処に隠れたっ!?』
ヤツは俺を見失い、デタラメに手足を振り回す。
そのたびに天変地異にも等しい破壊がフォルス大樹海にもたらされた。
振り回される左腕に、時には足場を失くして宙に投げ出されそうになるが――
『――咲けっ! <幻創竜鱗>!』
俺はリディアやクロがそうしてくれたように、結界を足場にして再び〈亜神〉の巨腕へと戻り、駆け上がっていく。
肘を越えて二の腕を駆け抜け、やがて肩へと至って――
「――もたらせっ! 〈幻創回廊〉ッ!!」
駆け抜けてきた勢いそのままに宙へと跳び上がり、俺は唄う。
多重魔芒陣が列を成し、俺と〈亜神〉の横っ面を繋いだ。
「おおおおおおぉぉぉぉぉ――――ッ!!」
咆哮と共に魔芒陣の加速回廊へと踏み込もうとした、その瞬間――
『……なぁんちゃって!』
〈亜神〉の巨貌が、その深紅の眼が俺を捉えた。
両腕が絡め取られる感触に顔を巡らせると、〈亜神〉と化した武騎が――〈天象騎〉二騎が、俺を背後から拘束していた。
『――カオスの……戦闘巨神の制御意識体たる妾が、痛みなんて雑音で取り乱すわけがないでしょう?』
宙吊りにされた俺に、ヤツは眼を愉悦にギラつかせて続ける。
『――残念だったわねぇ……』
ヤツの左手が振り上げられる。
「咲け! <幻創竜鱗>!」
とっさに多重結界を喚起したが――
『フ……無駄よ――』
痛みや衝撃を感じる暇すらなかった。
景色がかっ飛んだ事しか理解できず、気づけば俺は地面に長い痕を引いて倒れ込んでいた。
『――クッソ!』
歯噛みしながら騎体を起こす。
俺を捕らえていた〈天象騎〉二騎は、俺の下敷きになって四肢を失っていた。
『あら、まだ動くのね。ロジカル・ウェポンにしては確かに頑丈だわ。その事象干渉場の効果なのかしら?』
と、〈亜神〉は的確に俺の居場所を捉えて、そう語りかけてくる。
先程まで見失っていたようだったのも、そういうフリだったという事なのだろう。
『……その毛色の違う騎体があるから、哀れにも新たな神たる妾を倒せると思い込んでしまったのね?』
――ヤツは哂う。
『確かに妾を――この身体を傷つけられるだけの力もあるようだけど……
――ホラ!』
巨人の胸甲が開いて、中から無数の――数えるのもイヤになるほどに多くの、深紅に染まった〈天象騎〉が飛び出してきた。
それらは〈亜神〉の左腕に――俺が突き破ってやった大穴へと殺到し、不協和音を響かせながら騎体を歪めて傷口を塞いでいく。
『……眷属騎を即席の素材として、修復権能を喚起してるんだ……』
クロがそう教えてくれた。
『ついでだし、この不自由な手も直してしまいましょう』
〈亜神〉がそう言うと、〈天象騎〉の群れ――〈天象軍〉は巨人の欠けた肘に集まり、再び金属のひしゃげる音を立てて、不気味に歪んだ右手を造り上げていく。
『……ウェザーはさ……』
クロがポツリと呟いた。
『あの、欠けたままの右腕こそ、ヒトが……フォルティナが、種属や血統の別なくまとまって、自分という脅威を調伏した証なんだって言ってさ……あえて失くしたままにしてたんだ……』
……ああ、そうだろうさ。
俺は拳を握り込む。
ウェザーとは数時間前に顔を合わせたばかりで、俺にクロほどの積み重ねはない。
それでも俺はババアやクロとの付き合いで、超越者とも言える連中の思考をある程度知っているつもりだ。
――長い時を生き、人の愚かさを見続けたからこそ至った諦念。
だというのに、ウェザーは……彼は父上を偲び、俺なんかを父上にそっくりだと言ってくれたんだ。
俺を友人と呼び、スクォールを相棒に選んだ彼が、かつて自身を止めたというフォルティナ王の事を大切に思っていた事なんて想像に難くない。
〈亜神〉は組み上がった右手の調子を確かめるように顔の前で開閉して、それから俺に視線を向けた。
『――眷属騎が減ったと思ったでしょう?
残念、まだまだ残騎はたっくさんいるわ!』
再びヤツの胸からおびただしい数の眷属騎が飛び出し、ヤツの巨体の周囲を飛び交う
『うふふ……どう絶望した?
人の身では決して打ち破れない、圧倒的なまでの理不尽!
――それこそをヒトは神と呼ぶのよ!』
心の底から俺の反応を愉しむかのように、ヤツは俺を見下ろして告げる。
『ほらほら、どうしたの? おまえは神を殺す刃なんでしょう?
分もわきまえずに妾に噛みつこうという駄犬風情が、神殺しを成そうなんて笑わせる!』
ヤツの右手が振るわれる。
生まれた衝撃波で騎体が吹き飛ばされ、宙を舞った俺に、眷属騎が放つ光条を次々と浴びせかけてきて、四肢が先から削られていく。
「――ガアアアァァァッ!!」
絶え間ない痛みに、思わず悲鳴が漏れた。
『――相棒! クソ、痛覚カット!
……なぜできないっ!?
おい、ポンコツ! 騎乗者保護の為だぞ!? 言うこと聞けよ!』
クロの叫びが、どこか遠くから聞こえる。
『……ふふ、眷属を通してとはいえ、妾に死の恐怖をもたらしたんだもの。
おまえはすぐには殺さない。徹底的に絶望させて、心をへし折って――それからペットとして飼ってあげる!!』
「……ハッ! ビビらされたウサ晴らしにしては、ずいぶんと大げさじゃねえか……」
痛みを堪えて叫ぶと、不意に眷属騎からの光条が止んだ。
宙を舞っていた騎体が、土砂を巻き上げて叩きつけられる。
『……まだ言うか、駄犬が――ッ!!』
ヤツは両手を組み合わせ、頭上に振り上げた。
瞬間――
『――後ろに跳びなさ~い。仮面の坊や~』
不意に視界の隅がめくれ上がり、そこからクロの愛玩躯体のような白髪金瞳の女が這い出してきた。
「――なっ!?」
『驚くより行動よ~! さんは~い!』
女に従って、激痛を堪えて溶けかけた両脚で後ろに飛ぶ。
『――ハクレイ先生!?』
クロがそう呼んだのは、確かリディアに宿ったとかいう白の賢者の名前だったか。
だが、彼女がいまなぜここに?
『クロちゃんもボサっとしな~い!
全周結界を展開! 並列喚起で騎体修復~』
『は、はい!』
四肢の痛みが和らぎ、同時に騎体の周囲に虹色の結晶結界が喚起された。
『あの巨人兵装の構成素材が放つ波動のせいで、リディアちゃんの〈天眼〉が遮断されちゃったから、お姉ちゃんが中継役として来たのよ~』
そう説明し、ハクレイは上を指差す。
いつの間にか上空に黒雲が渦巻いていた。
『――来るわよぉ~。対衝撃対閃光防御!』
――刹那。
黒雲が輪の押し開かれ、二筋の光条が――あのおびただしい眷属騎の間を駆け抜け、〈亜神〉の膝を貫いた。
――爆発。そして閃光。
結晶結界が偏光されて、眷属騎達が弾け跳び、〈亜神〉の周囲の地面が抉れ飛んで、ヤツが後ろに倒れ込むのが見えた。
『ふふ~ん! なぁにが神よ!
〈星堕とし〉程度も防げないなんて、所詮、アンタはエルザの複製体――人にも幽属にもなれない、ヒトもどきなのよ~!』
ハクレイは倒れた〈亜神〉を指差してせせら笑う。
〈星堕とし〉……リディアが喚起した、ヴィスト山地を砕いた大魔法だったか。
『――い~い? 仮面の坊や!』
ハクレイは指の無い手を顔の横に立てて俺に言った。
『――お姉ちゃんは怒っていま~す!』
腰に手を当てて、顔を前に突き出して。
『事情はスクォールくんが教えてくれたわ。
〈亜神〉級の存在を前に臆する事なく踏み出せた事は、お姉ちゃんもすごいと思う。
……でもね――』
さらに俺に顔を寄せて、彼女は続けた。
『貴方の特性はそうじゃないでしょう?
確かに世界には、単騎で神殺しを成す人もいるけど……貴方がそうじゃないのは、自分自身でも気づいてるわよねぇ?』
「――だが、ヤツは止めないと!
なにより、俺はウェザーを救い出したい!」
『……良いわねぇ。まだ折れてないのねぇ?』
金色の瞳が、俺を捉える。
「……約束したんだ!
あいつと直接握手するって! 俺はまだそれを叶えてない!
あんな――亜神だか邪神だか言って悦に浸ってるような、よくわからねえヤツに邪魔されて終わりたくない!」
ハクレイは――笑ったようだった。
『――なら、その気持ちをみんなに告げなさいな。
それこそが貴方が持つ特性でしょう?』
と、彼女の目の前に光盤が開いた。
――祭祀場だ。
黒狼団や<竜爪>は弓を手に隊列を組んで出撃の用意をしている。
ロイド兄がまた雷奏童子に化生して――その前には、祭祀場を占めるほどに巨大な、黒色の紡錘形が横倒しになっていて、すぐ横でババアが肩を揉みほぐしていた。
そして……その紡錘形の上では、銀杖を握りしめてリディアが跪いている。
『……さあ、叫びなさい。幻創咆騎。
貴方の魔法は――培って来た力は、きっと貴方に応えるわ』
『……相棒、キミがみんなを守りたいと思ったようにさ。
きっとみんなもそう思ってたんだ』
涙声になってクロが囁く。
『……バカなボクらは、そんな事さえ忘れて、ボクらだけでどうにかしようとして――』
『……ああ、そうなんだろうな。
フォルティナ王でさえ……彼の英雄王でさえ、多くの者と共にそれを成し遂げたというのに……』
俺は祭祀場のある方に騎体を向ける。
同時に背後で激震が走って、〈亜神〉がその巨体を立ち上がらせた。
もう騎体を修復させたか。
『――アレはおまえの仲間か? アレを殺したら、おまえをより絶望させられるのかしら?』
巨人が祭祀場に向けて右手を構える。
その手に巨大な黒球が生まれ、周囲の大気を吸い込んで周囲に濃い霧を発生させる。
「そんなことで、俺は――俺達は折れたりしない……」
『――は? なにか言ったか、駄犬?』
嘲笑う〈亜神〉に構わず、俺は腹の底から叫ぶ。
「――みんな! ウェザーを、俺のダチを救い出す為に……力を貸してくれ!
頼む! 俺を助けてくれ!!」
胸の辺りがほのかに光り、熱くなる感覚がした。
瞬間、ホロウィンドウの中で、みんなが一斉に巨人を向いてうなずいた。
『アハハハハハ!! イキった駄犬がついに泣き言を漏らしたわぁ!』
巨人の手から閃光が放たれる――




