第6話 39
――その瞬間、〈聖騎士〉の〈鞍房〉が深紅に輝いたかと思うと、刻印のような意味を持たされた紋様が、激流となって溢れ出た。
それはババアの庵に二年近く居座り続けた俺でも、初めて見る現象。
これでも俺はババアの促成教育で、刻印を読み解く知識は与えられているのだが、あの刻印に込められているものは、意味どころか記述方式すらまるでわからなかった。
直後、なんとも言えない不快感と嘔吐感、そして目眩が込み上げてきて――
「――ぐうっ…………!?」
一瞬の間に視界一杯に深紅が広がったかと思うと、それは物理的な衝撃をもって俺が合一した騎体を吹き飛ばした。
なにが起きているのか理解できないままに景色がかっ飛んで、俺は背中から壁に激突する。
――宙図された刻印が現実に干渉しただと?
ババアやクロも独自の魔法を組み上げる時は、刻印を宙図して魔芒陣を組むが、こんな風に物理的に触れたりなんてできやしない。
宙図された刻印やその集積である魔芒陣は、世界を構成する精霊を集めたもので、そこに込められた意味に励起反応を示して発光しているだけなんだ。
なにより先程感じた、あの異質な感覚はいったい……
「……クソ! なんなんだ!」
俺は騎体を起こしながら毒づく。
視線の先では、〈聖騎士〉の〈鞍房〉から溢れ出た深紅の刻印が、その騎体周辺で渦巻いて濃密な深紅の球、いや――
「……繭、なのか?」
ロイド兄が雷奏童子へ化生した時に似ている、と思った。
繭状のそれは、さらに周囲に帯ような刻印を伸ばし、それに吊り上げられるように宙に浮かび上がる。
「――相棒っ!!」
と、頭を叩く感覚に首を巡らせると、いつの間に戻ってきたのか、ひどく焦った表情のクロの姿。
「――なにが起きている?
ウェザーと……あとスクォールはどうした?」
「ふたりは無事――あそこだよ!」
クロが指差した先で、固定台に座した武騎に騎乗しようとしているふたりが見えた。
「おい! ウェザーはなにをしてるんだ!? なぜアイツと一緒に武騎に――
――ヤツはマッドサイエンティストなんだろう?
まさかウェザーは裏切ったのか?」
「そうじゃない! ああ、もう! 説明する時間がもったいない!
あいつらのメモリ・スフィアを流し込むから、拒むなよ?」
と、クロの右手が騎体の仮面に触れて、そこから合一器官へと魔道が伸ばされる。
「え? おい――」
途端、身体の感覚が希薄になるような感覚と共に、様々な映像や感情が流れ込んできた。
「ぐぅっ……くっ……」
ババアの促成教育――いや、昨晩のヤツの過去を観せられたのに近いのだろうか。
だが、今、俺が観せられている記憶は、ウェザーや彼が覗き見たスクォールの記憶の感情までもが、俺自身が抱いているかのように湧き上がってくる。
「――悪いね。時間がないから、彼らが抱いた想いもそのまま流し込んでるんだ。
ふたりの感情に引きずられるなよ」
――カリーナを失ったスクォールの決意。
半生を彼女の復活を求めて彷徨った日々……
コートワイル領でのイリーナ叔母上との出会いと師事。
そして……先代コートワイル候の狂気の所業。
それを覗いてしまったウェザーは、ババアの眷属であるにも関わらず、スクォールをマッドサイエンティストとは思えなくなってしまっていた。
……いや、俺だってそうだ。
これは決して、クロが言うような『感情に引きずられている』わけじゃないはずだ。
俺自身、スクォールの――アリシアが知り得なかった、彼の苦悩にまみれた真実を知って、敵とは思えなくなっていたんだ。
そうしてふたりはカリーナを復活させて――
「……クッ――」
俺は知っている事にされたふたりの記憶を抱いて、低く呻いた。
兵騎と合一している時でよかった。
そうじゃなければ俺は、スクォールと彼に共感を示したウェザーの想いそのままに、泣いてしまっていたかもしれない。
「……ウェザーはスクォールを守るために、一時的に端末騎――〈天象騎〉を与えようとしてるんだ」
「……合一できるのか?」
「あれでも赤目の魔道士だからね。戦闘稼働はともかく、動くくらいならできるはずだよ」
と、クロの予想が正しいことを示すように、彼らが騎乗した天象騎〉の仮面に貌紋様が浮かび上がり、その巨体が固定台から立ち上がろうとしていた。
「――彼らについてはわかった。次はアレについてだ」
俺はこの広大な――工房のような施設の宙空に浮かんだ、深紅の繭を指差した。
「ウェザーはともかく、おまえならなにが起きてるのか……推測くらいできるだろう?」
「……まあね。たぶん、ハクレイ先生と似たような状況にあるんじゃないかな……」
リディアに宿ったババアの同類――白の賢者を例にクロは告げて、再び合一器官を促成教育器代わりに、その推論を俺に流し込んでくる。
カリーナの復活に巻き込まれ、彼女の魂に溶け込んだ戦闘補助意識体〈神託〉は、〈聖騎士〉の修復の為、彼女が母船と呼ぶ場所へと魔道を伸ばしていたらしい。
――クロの推測によれば。
その時、<神託>の大元――ドクター・エルザの魂を複製したカオスの統御意識体に気づかれたのではないかと、クロは考えているようだ。
ウェザーの記憶の中で〈神託〉は、統御意識体はエルザであった記憶が消されているはずだと言っていたが、〈聖騎士〉の修復に必要な構成情報を統御意識体に接続した際に、逆に統御意識体もまた、彼女の記憶を覗き見たのではないか、と。
結果、統御意識体は自身が、かつて人であった事に気づき――ヒトとしての本能によって、受肉した<神託>の身体を欲した……
けれど、〈神託〉と融合した事による突然変異なのか、統御意識体が欲したカリーナの身体は、金目に至るほどの魔動を有していた為に、いかに眷属と融合しているとはいえ、完全に侵し切る事ができなかったのだろう――と、クロは考えたようだ。
かつて銀の賢者が、〈暴食〉と呼ばれたマッドサイエンティストを退けた時の記憶が送られてきて、俺の脳内に映像として浮かび上がる。
――〈大戦〉期に決戦兵器として生み出された、機属の少女。
彼女もまた、〈暴食〉によってその身体ごと奪われようとしていた。
だが、人類――ババア達がかつて生きた神々の世界が、その叡智の絶頂を極めていた時代に生み出された少女を、完全には侵す事ができず――
「……〈暴食〉と同じように、その周囲を害する事でカリーナを絶望させて、魂を乗っ取ろうってわけか……」
不快さを隠さずに呟いた俺に、クロはうなずいた。
クロが伝えてきた〈暴食〉に関する記憶では、先に捕らえていた少女の同型機の凄惨な有様を見せつけ、その魂に残った実験の記憶を彼女に流し込んで疑似体験させる事で絶望を呼び起こし、その隙をついて同化しようとしていた。
「〈暴食〉という前例から推測するなら、そうだと思う。
あの子は黄の賢者の論文を元に生み出された、星砕き搭載型の惑星兵器中枢制御体だったからね。
しかも……前に話したろ?
神々によって〈邪神〉とされた双子の戦女神、万能機……
あの子は彼女達から派生した技術が用いられていた」
その少女と同化する事で、〈暴食〉は自身を神化させようとしたようだ。
「今の状況と違うのは、記憶洗浄されている〈強欲〉の――エルザの複製された魂は、自身が神――いやより正確には〈亜神〉だという自己認識があるってトコ。
さっきカリーナが喚起詞に唄った、〈強欲の女神〉ってのが神銘なんだろうさ。
アレはカリーナの身体を奪いそこねて、代わりに〈聖騎士〉の合一器官に合一し、合一器の仮面を通してカリーナに干渉しようとしているんだと思う」
「あの繭みたいなのは?」
「異星起源種遺跡なんかで時々見つかる〈舞い唄う詞〉だと思う。
ボクらが使う精霊由来の刻印と違って、アレはそのものが異界の魔法の集積みたいなもんで、そこにあるだけで世界を歪めるんだ。
――ああ、ムリに意味を読もうとするなよ?
アレは物理界面だけじゃなく、情報界面にも干渉して、肉体はおろか精神を――魂を彼の種側に引っ張ろうとするから、ボクら《《まっとうな魔道学者》》は手を出さないようにしてるんだ」
クロが吐き捨てるように説明する間にも、スクォールが合一した〈天象騎〉が完全に立ち上がっていた。
「恐らくエリスは、眷属騎の〈聖騎士〉を仮躯体とすべく、あの中で進化させてるんだと思う」
「――騎体を進化!?」
「マツド先生――頭イッちゃってた主の師匠は、〈舞い唄う詞〉を研究することで〈万能機〉の自己進化という権能を生み出したらしいからね。
〈強欲〉は――エルザは主達の論文を集めていたらしいし、〈舞い唄う詞〉を読めるなら、彼女達ほどじゃなくても、真似事くらいできても不思議じゃない」
まるでクロの言葉を証明するように、〈舞い唄う詞〉の深紅の繭が割れて、バラバラに舞い散る文字列がまるで滝のように床へとこぼれ落ち――そして、それが降り立った。
ロイド兄の雷奏童子にも似た、生物的な外装を持った深紅の騎体。
水晶質の角が額から生えているのもそっくりだ。
違うのは、その騎体が雌型の丸みを帯びた体型へと、変貌を遂げている事だろうか。
「――自らの眷属を大破させた雷奏童子を模して進化させたか!
相棒、キミに〈亜神〉の相手は厳しいだろうけど、相手は眷属騎だ! 絶望的ってわけじゃない!
ボクが補助するから――やるぞ!」
と、クロが騎体の頭を叩いて、俺をそう奮い立たせる。
俺はうなずく事で了解を示した。
〈亜神〉の腰まで伸びたたてがみが赤紫の輝きを放ち――ギョロリと仮面に紅の双眸が開かれる。
その眼が、スクォールが合一した〈天象騎〉を捉えた。
『――スクォール、来るっスよ! 防御!』
ウェザーの声が響くのと、〈亜神〉が右手を掲げるのは同時。
「――ダアッ!!」
俺もまた床を蹴って、〈亜神〉目掛けて飛び出した。




