第6話 34
――その後、私はアイリスお嬢様の要請に応じて、カイルとレントンの魔道教師となった。
アイリスお嬢様はあの研究所の事を知らない為――また、アイリスお嬢様に雇われていた冒険者のアリーの手前、サントスには王都でリグルドに雇われた導師なのだと紹介してもらった。
アリーは最後まで私達の前で素顔を晒す事はなかったが、声の感じからして年若い少女だと推測できた。
そんな彼女に、あのコートワイル領の闇を凝縮したような研究所の事情に巻き込みたくなかったのだ。
上級冒険者だというアリーは、その立場に相応しい知見の持ち主で、カイルとレントンの魔道教育における問題点を的確に把握していた。
すなわち再生人類――混血種における魔動不足問題だ。
再生人類やその混血種は、純血種に比べて魔動が極めて薄弱なのだが、さらに魔道器官への封印まで施されている。
その為、カイルもレントンも魔法の基礎となる、体内魔道制御――身体強化すら喚起できずにいたのだ。
冒険者としての知見なのか、アリーはその事実に突き当たり、魔道教育は本職の魔道士に頼った方が良いと、アイリスお嬢様に求めたそうだ。
――冒険者の中には、庶民の出でも魔道士として活躍してる人がいるでしょ?
だから、魔道士なりの教育法があるんじゃないかと、アリーは言っていた。
実際のところ、アリーが言う冒険者をしている――再生人類や混血種の魔道士の多くは、銀晶に<書庫>としての刻印を刻んだ魔道器を用いて魔法を喚起していたのだが、彼女はそういった事情を知らなかったようだ。
今にして思えば、知識が恐ろしく偏った様や細かい事を気にしないところが、イリーナに良く似ていたように思う。
だからこそ私達は、すぐに打ち解けられたのかもしれない。
自分ではあまり魔道に明るくないと言っていたアリーだが、私が提唱する魔道器官の封印解除の法理を的確に理解したのには驚かされた。
魔道器官と霊脈に接続する機能が封じられているという私の理論は、そのどちらにもある程度の知見がなければ理解が及ばないものだ。
事実として、あの研究所のドニール導師の弟子達は、大気に満ちた精霊の存在を認識しているにも関わらず、それが織りなす大河――霊脈は概念的なものだと断じていた。
それ故に意識を霊脈へと逃していたイリーナに気づけずにいたのは、皮肉としか言いようがない。
なにはともあれ、アイリスお嬢様とアリー、なにより当人達の了承の元、私はふたりの魔道器官に施されていた封印を解除した。
結果として、カイルとレントンは混血種としては優れた魔動を発揮する事になり、またたく間に身体強化と基礎攻性魔法を喚起できるようになったのだ。
そんなふたりに触発されたのか、孤児院の子供達もまた魔法に興味を持ち始め――アイリスお嬢様が子供達も魔法を喚起できるようにして欲しいと求めてくるまで、それほどの時間はかからなかった。
私自身、子供達が魔道知識を求める様が幼い頃、カリーナ姉さんや冒険者に教わっていた自分と重なって断れずにいた為、アイリスお嬢様の要請は渡りに船と言えた。
そうして……ああ、あの一年はコートワイル領の研究所で過ごした十数年の中でも、唯一、心安らいだ時間だったように思う。
だから……だからこそ、私は油断していたのだ。
――あの狂人の狡猾さを……私は完全に失念していた。
カイルとレントンの封印を解除してから一年ほど経った頃。
私とアリーは、ふたりを騎士学校に入学させるべきだと考えるようになっていた。
孤児の身で騎士を目指すならば、騎士学校への入学は必須だ。
ふたりともそれが叶うほどに、武術も魔道も身につけていた。
ただ、問題となったのは、ふたりの後見となる貴族当主の承認だった。
こればかりはアイリスお嬢様であっても、どうしようもなく――私はサントスと共に、コートワイル家当主であるリグルドの承認を貰うべく、王都屋敷を訪れる事にした。
幸いな事に、私達を出迎えたリグルドは――あの時点では、リグルドのままに見えたのだ。
だから……私は久しぶりに顔を合わせる親友に、なんら警戒する事なくカイル達の事を伝えてしまった。
――君の息子は騎士を目指している、と。
それに足る能力を持ち合わせてるのだと――伝えてしまった。
我が事のように頬を緩ませたあの表情は……今にして思えば、父親としてのそれではなく、狂人の獲物を捉えたそれだったのだとはっきりとわかる。
だが、当時の私はそんな事はついぞ思わず、カイルだけではなく孤児院の子供達にも見込みのある子がいて、将来騎士や魔道士を目指した場合は後見になって欲しいなどと打ち明けてしまっていた。
リグルドは私の要請に快く応じ、そうしてカイルとレントンの騎士学校入学が決まった。
コートワイル家の王都屋敷に留まったのは、ふたりの騎士学校入学後はアイリスお嬢様の魔道教育をして欲しいとリグルドに請われたからだ。
アイリスお嬢様は元服と学園入学を二年後に控え、そろそろ侯爵令嬢として同年代の令嬢達との交流を持たなければいけないのだ、と――リグルドは言っていた。
その時に以前の傍若無人な彼女を知っている他家から、心無い言葉を投げかけられる事も容易に想像でき、心を許している私がそばにいれば支えになるだろう、と。
――なにより……私が父に塗り替えられた時、君がそばに居てくれれば心強い。
そう告げたリグルドの表情は、娘を想う父親のそれに思えて……
私はその望みを断る事なんてできなかった。
そうしてアイリスお嬢様と共に、カイルとレントンが王都屋敷にやって来て、三人がリグルドに挨拶した時も、彼はレオン翁の片鱗すら感じさせず、リグルドのままに見えた。
――だが……
「――そうそう、そう言えば……」
三人を下がらせて、ひとり残された私にリグルドはふと思い出したように――まるで雑談を切り出すように、私に訊ねたのだ。
「――ベルノールの魔女の魔道器官は、そろそろアイリスに移せるのではないか?」
「……リグルド?」
自分の声がひどく遠く感じ、目の前が真っ暗になったような、あの感覚を今でも夢に見る。
「貴様らが小癪にも隠しておったカイルが見つかった今、計画を動かそうと思うのよ」
喉を鳴らすような独特の哂い……それは――
「……レオン翁……なのですか……?」
「――おうさ。うまいものだろう?
長らく、こやつの内から無能の様を見せつけられたからな。フリをするなど造作もなかったわ!」
絶望して膝をつく私を嘲笑うように、レオン翁はリグルドの声で哄笑した。
「……いいか? 貴様を生かしておくのは、まだ使い道があるからだ。
おかしな真似をするなら、貴様もまたあの魔女のように呪具で縛り上げてやるぞ?」
私を見下ろしながら、底冷えする声でそう告げるリグルドの表情は、あの狂える老人そのものだった。
「……魔女の魔道器官を移したアイリスとカイルをかけ合わせ、血の純化を以て次世代種――ワシの次なる肉体を生み出す」
唸るような哂いと共に、狂人は私の髪を鷲掴みにして顔を覗き込んできた。
「……血の……純化? ふたりは腹違いとはいえ姉弟ですよ!?」
天帝の命でヘンルーダ師と共に研究させられていたから知っている。
血の近すぎる者同士の交合によって生まれる子は、確かに混血種同士であっても純血種に近い能力を持った者が生まれる事がある。
だがそれは非常にまれな事で、たいていは親と同等の能力しか持たず――むしろ、なにかしらの欠陥を持った子が生まれる事すらあったほどだ。
「なにをいまさら! アグルス帝国の銀の家では近親配合など日常茶飯事だったではないか!」
「だからこそ、ヘンルーダ師はその危険性を天帝陛下に訴えて――」
「――遺伝異常と言ったか? その問題は解決済みよ」
聞き慣れない言葉に、私はレオン翁の顔を見上げる。
「ヘンルーダの後任になった魔道士がな、言っておったわ。
聖泉の権能を用いれば、生まれる子供にそれは起こらんとな!
彼女の国――ノウンスペース国では、近親による婚姻も人の権利として認められておるんだと」
「……ノウンスペース国?」
ヘンルーダ師と共にアグルス帝国内だけではなく、その周辺国にまで旅をしたが、初めて聞く国名だった。
「そもそも彼女を招く事ができたなら、貴様なんぞを生かしておく必要もないのだが……ままならんものよな」
レオン翁が言う『彼女』は、どうやら私を不要とするだけの魔道知識の持ち主らしい。
いや、アグルス帝国でヘンルーダ師の後任として、あの施設の長に就いたのならば、師以上とも考えられる。
「――いいか? 貴様が魔道塔に立ち入れるよう手配してやる。
彼女が言う聖泉の権能を見つけ出せ……それと――」
と、髪を掴んでいたレオン翁の手が開かれる。
その右手をブルブルと振るわせたかと思うと。
「――チっ! 無能が……まだ抗うか……
忘れるなよ、小僧。ワシはいつでも見ているぞ」
吐き捨てるようにそう言い放ち――
「――すまない! スクォール!!」
次の瞬間、彼は私を抱き締めて、涙声で謝罪した。
「リグルド……なのか?」
尋ねる私にリグルドは大粒の涙を浮かべ、私の両手を取って懇願する。
「……頼む……もう私を殺してくれ……
そうすれば、父上も――」
と、彼の表情が再び狂人のそれに変わり――
「――そうはさせ――頼む! スクォール!!」
すぐにまた懇願するリグルドのものへと変わる。
「……ダメなんだ……リグルド……思い出せ……」
私は必死にレオン翁に抗っているであろうスクォールに……首を振るしかなかった。
レオン翁を殺したなら、その狂える魂は霊脈を侵して侵災を発生させてしまう。
そしてそれをこの場で口にしたのなら、あの狂人は恐らく喜々としてそれを行うだろう。
勇者も、英雄だった先王太子も居ない今、この国に大侵災を止める力はないはずだ。
溢れ出た魔物はこの国を蹂躙し――いずれはアグルス帝国へと雪崩込むだろう。
――あの狂人の望み通りに……
それがわかっているからこそ……思い出したからこそ、リグルドは息を呑み……力なく――すべてを諦めたような笑みを浮かべた。
「……フローラを失い、この上、娘まであの狂人の毒牙にかかろうというのに……私は見ているしかないのか……」
いや……と、私は口に出さずに否定する。
ひとつだけ――今、この瞬間ならば打てる手が、私には残されていた。
咄嗟の思いつきだ。
細かい調整ができない為、どれほどの効果があるかすら想定できない。
だが、うまく行ったなら、絶望する親友の負担を少しでも軽くできるかもしれない。
無言のまま私は魔道を見通す目を凝らして、リグルドを見る。
その魔道器官の奥底に潜む、狂人の魂。
「……リグルド。諦めないでくれ……」
そう言って彼の手を握り――自らの魔道を彼に通していく。
イリーナ師から与えられた、私に残された最後の手――〈記憶消去〉だ。
――頼む。効いてくれ!
そう願いを込めて、私は魔法を喚起する。
消去範囲は私ができ得る最大限。
レオン翁としての人格が織り成した、六十余年の記憶すべてを消しさる事はできないだろうが……それでも――
「――うあ……」
短くうめいて、リグルドが意識を失って私にもたれかかってくる。
……そして、リグルドは一月の長い昏睡状態に陥った。




