第6話 32
イリーナの予想通り、五年目辺りからレオン翁は時折――リグルドが完全に寝入った深夜などに、短時間だけ顕れていたようだ。
だが、それを知らされたリグルドは外務官僚として仕事に打ち込み、率先して国外派遣に応じるようになった。
家族を護り、レオン翁が研究所の魔道士達にさらなる指示を出せないよう、屋敷に近寄らないようにしていたんだ。
それが熱心さと宮廷で買われ、大臣まで上り詰めたのは皮肉としか言えないだろう。
その地位を得てしまった事こそ、リグルドにとって最大の誤算だったのだと思う。
あの頃、コートワイル領本邸はフローラが取り仕切っていた。
彼らの息子、レオニールとビクトールは元服を控えた年齢となっていて、王都の学院で生活しており、領屋敷にはフローラとアイリスお嬢様……そして、フローラが信を置いた十数名の使用人しかいなかったのだ。
結果として――フローラは暗殺された。
時期的に外務大臣にリグルドが就任して間もなくだった事もあり、巷では宮廷闘争の闇――暗闘の結果だと囁かれ、事実として後に捕まった実行犯はリグルドの政敵に雇われたのだと供述したそうだ。
だが、私もイリーナもそんな事、信じてはいなかった。
いよいよレオン翁の意思がリグルドを塗り潰し始めたのだろうと、そう思った。
恐らくは宮中に詰めている間――あるいは外遊中に、部下を使ってそういう指示を出したのだろう、と。
フローラが狙われたのは――アイリスお嬢様が無事だった事を思えば、恐らくイリーナの子供――カイルの居場所を探る為だと推測できた。
今にして思えば、あの段階からカイルを王として立てる計画を立てていたのかもしれない。
レオン翁をリグルドに封じて間もなく、フローラはカイルを孤児院へと預けていた。
あの子もまた、リグルドの子である以上、いずれリグルドが老いた時に次代の器として使われるかもしれないと――フローラは考えたようだった。
それを避ける為に、フローラは離れに匿っていたカイルを手放す決意をしたのだ。
彼女との繋がりを辿れないよう、カイルを孤児院に預ける際はフローラが実家から連れてきた侍女が雇った、冒険者を介して行われたそうだ。
貴族の屋敷に勤める侍女が、やむを得ずに子供を手放すというのは、貴族社会ではよくある話なのだそうだ。
その際に身元を辿られないように冒険者が使われるのもまた、よくある話だという。
そうしてリグルドの内に潜んだレオン翁は、皮肉にもフローラを殺害したが故にカイルの居場所を辿れなくなり、その後は別の計画――呪具の開発に力を注ぐようになっていった。
当時の王太子ミハイル殿下の戦面を呪具とし、その膨大な魔動を封じられたのだと自慢気に語る、呪法刻印の研究主任の顔がひどく醜く思えたのを覚えている。
結果として王太子夫妻が戦場の露となった事さえ、彼にとっては自らの功績――魔道研究の成果と捉えているようだった。
ドニール導師の弟子である彼らは、ドニール導師が遺した資料を再現するのに躍起になるばかりで、自らの魔道の探求などはどうでも良いようだった。
師の魔道を再現する事で、自身がドニール導師の後継となれるのだと、本気で信じている様は、もはや魔道士ではなく学生――いや、タチの悪い贋作士とさえ思えた。
やがて彼らは人の身そのものを異形化し、呪法刻印によって操る術にのめり込んで行く。
私はといえば……そんな外界から目を塞ぐように、イリーナからの学びに没頭して行った。
……正直に言おう。
あの頃の私は、フローラが殺された事によって――レオン翁に塗り潰されてしまったであろうリグルドに恐怖し、心が折れかけていたのだ。
イリーナからの学びの時間だけが、私の正気を保っていたと言って良い。
……気づけば――五年が過ぎていた。
……ある日、私はフローラの腹心――当時はコートワイル本邸の侍従長をしていたサントスに呼び出された。
彼はレオン翁が封じられた後、フローラが実家から呼び寄せた人物で、私やリグルド夫妻の思惑を知る数少ない人物だった。
「……アイリスお嬢様やそのご友人へ、魔道教育をお願いしたいのです」
「――お嬢様を? 彼女は王都に居たんじゃ……」
「あなたは奥様が亡くなられてから、当屋敷から遠のいておりましたからな。
お嬢様は二年ほど前から、当屋敷にてお過ごしですよ」
サントスが言うには。
フローラが亡くなってから、王都屋敷で暮らしていたアイリスお嬢様だったが、彼女の教育係を務めていた侍女が失踪してしまい――恐らくはフローラ同様に消されたのだろう――その後についた教育係が、リグルドに擦り寄りたいだけの……いわゆる貴族的な人物だったのだそうだ。
「領政の報告で王都の御館様の元を訪れた際、私はお嬢様のご様子を伺う機会を得まして……」
そして、フローラの娘とは思えない――レオン翁のように高慢に家人に振る舞うアイリスお嬢様と再会したのだという。
「……レオニール様とビクトール様の教育は先代様が行い――もう取り返しがつかないほどに歪められていたからこそ……奥様は、アイリスお嬢様だけはご自分の手で育てようとしていたのです」
だが、その願いは叶わず、フローラは命を落とし――彼女の想いを引き継いだ侍女もまた、アイリスお嬢様の前から居なくなってしまった。
王都屋敷でのアイリスお嬢様は、教育係を勤める貴族令嬢や共に暮らすレオニールの影響もあって、同年代の令嬢達に陰口を叩かれるような、ひどい有様になっていたようだ。
「幸いな事に御館様――リグルド様が正気の間にお話する機会を得る事ができまして、お嬢様を私の元で教育する許可を得る事ができました」
そうしてアイリスお嬢様は、二年ほど前からこの屋敷で――フローラが信を置いていた使用人達の元で育てられていたのだという。
「そんなお嬢様が、先日から……」
と、サントスは声を潜めて身を乗り出す。
察した私が指を弾いて<防音>の結界を張ると、サントスは丁寧に会釈した。
「――隣村の孤児院に足繁く通うようになったのです」
「お嬢様は――あの件を……彼をご存知なのか!?」
私の問いにサントスは首を振る。
「……道徳教育の一環で、孤児院の子供達の事をお教えしましたところ、実際にそれを見てみたいと仰ったのです」
そうして領都のすぐそばの村に――例の孤児院があると、お嬢様は自分で調べて知ってしまった。
「……偶然、と言ってしまえればよかったのですが……私は運命と出会いの女神ディトレイア様の――いいえ、亡き奥様の導きのように思えるのです……」
腹違いとはいえ、孤児院に隠されたイリーナの息子――カイルとアイリスお嬢様は姉弟だ。
サントスがそう思ってしまうのも無理はない。
孤児達と交流を持つようになったアイリスお嬢様は、王都でのわがままぶりが嘘のように鳴りを潜め、それこそフローラの娘と呼ぶに相応しい慈愛に満ちた性格を取り戻したのだという。
そんなアイリスを慕うカイルもまた、彼女の為に騎士を目指すようになったのだという。
アイリスお嬢様はカイルの願いを叶える為に、上級冒険者を師として雇い、剣術の指導に当てているのだとか。
「ですが、彼女をしてもカイル様に魔法の扱いをうまく指導できず、魔道士の意見を聞きたいと仰っておりまして……」
魔法――特に身体強化や構造強化といった魔法は、騎士にとって必須とも言える。
だが、カイルはそれを喚起できないのだというのだ。
サントスの話を聞いたその段階で、カイルが魔法をうまく扱えないおおよその原因はわかっていた。
きっとその上級冒険者は純血種ゆえに、劣等種――再生人類と自らの差異に気づけずにいるのだろう、と。
魔道器官の封印があるとはいえ、純血種は元々の魔動の強さ故に再生人類より魔道の扱いに長けている。
カイルは――純血種のイリーナの子とはいえ、父親であるリグルドが再生人類の血統になる為に、恐らくは弱い魔動しか持たずに生まれたのだろう。
――それをどうにかする術を、私はすでに修めているが……
「……少し時間を貰えるか……」
イリーナと相談する時間が欲しかった私は、その日はそうサントスに応えて、屋敷を後にした。




