第6話 8
オレ達の進路の先――腰まである雑草による藪や、兵騎より遥かに高い樹木から無数に垂れ下がる枝葉や蔦に覆われた樹海が、濃紫の閃光が走ったかと思うと、激しい衝撃波が走って消失した。
生身のオレ達はもちろん、同行している兵騎までもが衝撃波によって地に倒れ伏し、オレ達の周囲にあった樹木もまた薙ぎ倒されている。
オレ達が木々に潰されずに済んだのは、兵騎の外装に刻まれた結界魔法が自動喚起されたからだろう。
樹海に隠れ棲んでいた魔獣のものなのだろう、あちこちから悲鳴じみた獣声が響いている。
「――レ、レントン団長! 今のはいったいなんなんですか!?」
「や、やはりじ、自分らは土地神の祟りに遭っているのでは――」
「そ、そうだ! やっぱり祟りなんですよっ! 朝の魔獣の襲撃からおかしかったんだ!」
これまで押し殺していた不安が、今の出来事で噴出してしまったのだろう。
「団長、も、もう帰りましょうっ! こんなのは騎士の務めじゃない!」
部下達が口々に訴え始めた。
「――落ち着けっ! 貴様らは錯乱している!」
半狂乱で詰め寄ってくる部下を殴りつけて黙らせ、オレは自分自身もまた混乱の最中にいる事を自覚して、深く深く吐息する。
アリー師匠も言っていた。
ワケがわからない時こそ、まず深呼吸して冷静に状況を見つめ直せ、と。
「冷静になって状況を整理しよう……休憩だ。
斥候に出してる衛士達からも、すぐにこの先の状況報告が入るだろう」
と、俺は部下達に小休憩を指示した。
恐慌状態にある部下達は、それでも指示通りに周囲に結界用の魔道器を配置し、跪座姿勢の兵騎に寄りかかって給水や軽食を取り始める。
城を立つ時は、オレに選任された事、アイリス様の直命作戦に参加できる誉れに表情を輝かせていたというのに、今の部下達の顔に浮かぶのは焦燥と未知に対する恐怖だけだ。
泥や草の汁で顔を汚した部下達は、小麦粉と蜂蜜を練り込んで焼き固めた携行食を噛り、温くなった水筒の水で流し込みながら、なおも祟りがどうのと囁き合っている。
……こんな連中が、現在、王宮に残された騎士の中では精鋭なのだと思うと情けなさに涙が出そうになる。
いかに多くの騎士が、大侵災調伏の為にグランゼス領に駆り出されているとはいえ、だ。
こいつらも騎士学校や王立学園を卒業した者だろうに。
アリー師匠が語り、オレやカイルが憧れた騎士とは、こんな風に実在も怪しい存在に恐れをなして恥ずかしげもなく愚痴を漏らすような存在ではなかったはずだ。
たしかに朝から不運には見舞われたと――オレ自身も思う。
まさか駐留拠点としていた廃村跡地に、ドラゴンまでもが出没するとは思いもよらなかった。
なんとか撃退は叶ったものの、初陣を勝利で飾った部下達は、血に酔ったのか魔獣の追撃を始めてしまった。
オレを小隊長とし、兵騎騎乗者を班長とした指揮系統を構築していたのだが、肝心の班長が率先して功に逸り、逃げる魔獣を追って樹海に踏み込んでしまったのだ。
この点に関しては、オレ自身の指揮経験不足だ。
騎士が血気に逸って、勝手な行動を取るなどという――こんな状況を想定できていなかったのだ。
衛士達を三人一組に編成し、騎士達に深追いせずに戻るよう、伝令として走らせた。
廃村跡地で待つオレの元に、まもなく二つの班が不満げな表情を浮かべながらも戻って来た。
この段階では、部下達もまだ強気を保てていたのだ。
だが――残る班はなかなか戻ってこず、やがて伝令に走った衛士三人だけが帰って来た。
顔を青褪めさせた衛士達が語るには、樹海の奥に集落があり、そこで騎士達が惨殺されていたというのだ。
オレ達は即座に全員でその集落へと向かった。
騎士達は衛士達が告げたように――言葉通りに惨殺されていた。
その遺体の損壊具合から、まっとうな戦いの結果でない事は明らかだった。
みな執拗に前後左右から攻撃されたのか、本人の確認すら難しいほどに遺体が損壊されていた。
唯一顔の判別ができた兵騎騎乗者は、遺体のそばに拘束されたまま斬り落とされた腕が転がっていたから、無抵抗なままに嬲られたのだと推測できた。
腹にいくつもの刺し傷があった事から、拷問が加えられたのかもしれない。
あの常軌を逸した光景を目の当たりにした辺りから、部下達は怖気づき始めたのだ。
……いや。
オレ自身も決して場馴れしているわけではない事はわかっている。
魔神アジュアと対峙し、あの時に犠牲になったビクトール様や同僚達の亡骸を見ていたから、部下達よりは多少肝が座っていただけなのだろう。
……正直なところ、ビクトール様が魔神によって頭を握り潰されたあの日の事は、今でも夢に見る。
圧倒的な力で兵騎を駆るオレを瞬く間に屈服させた、あの漆黒の異貌と青く燃えるように輝いていた双眸の光は忘れ得ようもない。
あの時に感じた恐怖に比べれば――たしかにスクォール先生……異端魔道士スクォールは、魔道士として優れているのかもしれないが、所詮は人なのだ。
魔神アジュアのように、勇者でなければ抗えないというような相手ではない。
まして今のオレには、聖女となったアイリス様から与えられた加護がある。
だが同僚の惨殺遺体を前に部下達は平静ではいられなかったようだ。
樹海の奥で生活できているのは、異端魔道士がこの地を護る古き神の祝福を受けているからだ――などと言い出したのだ。
彼を害したら、土地神の祟りに遭うとまで主張し始めた。
幸いだったのは彼らが、オレがアイリス様に与えられたあの騎体との連携訓練を共にしていた事だろうか。
聖女としてのアイリス様の名を挙げ、あの騎体――神像聖騎士の力を思い出させることで、なんとか落ち着きを取り戻させられた。
そうしてなんとか集落を後にして、スクォール達の捜索を始めたのだが――そこに来て、あの森を焼き尽くさんばかりに駆け抜けた、濃紫色をした閃光と衝撃だ。
オレだって、なにが起きているのか知りたい。
だが、そう声を荒げたところで状況が変わらないのは、父を失くして独りで病んだ母の面倒をみていた頃に思い知らされたのだ。
少なくともスクォールの魔法ではないと、オレは推測していた。
あれほどの魔法が喚起できるなら、集落で部下達と対峙した時にやっていたはずだ。
そもそもあの人は攻性魔法やその運用は専門外だからこそ、オレやカイルに騎士学校への進学を勧めたのだ。
冒険者として活動していた経験から、まったく使えないというワケではなかったが、攻性専門の王宮魔道士に比べると劣るのだと、自身でも語っていたのを覚えている。
恐らく先程の閃光は――このフォルス大樹海に棲息する、古き竜によるものではないだろうか。
スクォールや彼と共に生活している協力者達が、この魔境深くに侵入した事に刺激されて、伝説に聞く咆哮――ブレスを放ったのかもしれない。
とにかく、いまは斥候の帰還を待つ。
その後はもう一方の班と合流し、戦力をまとめるべきだろうか。
捜索範囲を広げる為に兵騎を中心に班分けして侵攻して来たが、もし本当にあの規模のブレスを放つドラゴンが潜んでいるのだとしたら、戦力は集中させた方が良いだろう。
アリー師匠が言う通り、やはり落ち着けば頭はまともに働いてくれるようだ。
と、その時だ。
「……だ、団長――あれはなんですか!?」
一度は落ち着きを取り戻したはずの部下達が、再び顔を引きつらせて上擦った声で訊ねて来た。
「――あれ、とは……なんだ!?」
先程のブレスと思しき閃光に薙ぎ払われた事によって、オレ達の頭上には青空が覗いていたはずだった。
だが今、枝葉の間に覗く空は青ではなく……虹色に染まっていた。
「やっぱり祟りなんだ……」
恐怖に耐えきれず、うずくまって嗚咽を始める者。
「――もう嫌だ! 付き合ってられるか!」
叫び、走り出す者まで出た。
「待て! 独りでは――」
瞬間、茂みを掻き分けて駆け出した部下の悲鳴が森にこだます。
「――警戒態勢!」
怒鳴るように叫べば、それでも訓練による成果なのか、騎士達は反応して武器を身構えてくれた。
ゆっくりと……なにかがこちらへ近づいてくるのが、木々の動きでわかった。
「……なあ、なんか……息、が……」
ぽつりと槍を構えた衛士が隣の衛士に呟く。
「ああ……俺もなんか――グ、ゴフッ!」
と、応えた衛士が不意に血を吐いて倒れ伏し――気づけば、周囲が黒い霧に覆われていた。
直後、金属を激しく擦り合わせたような不快な音が周囲に響き――ソレはオレ達の目の前に飛び出して来た。
鉛色の甲殻に覆われた巨大な――高さが兵騎ほどもある飛蝗のような姿。
だがその腹から脚のように生えているのは、虫のそれとは異なり、歪に捻じくれた人間の手足だ。
左右の眼には、奇妙な表情を浮かべた人面が生えていて、それぞれの口が先程聞いた金属音を発している。
兵騎の腕ほどもある巨大な二本の牙を生やした顎の奥には、涎を垂らした紫色の舌と口腔が覗き――そこから何かが吐き出された。
それは……先程悲鳴をあげた部下の絶望に染まった顔。
それが黒い粘液じみた涎まみれの首だけとなって、倒れた樹木の幹にぶつかり、藪の中に沈んでいった。
直後、甲高い――ひどく気に障る笛のような音が周囲に響き渡る。
それが目の前の異形の膨れ上がった――ひどく人肌めいた腹から発せられているのだと気づいたのと、そこから黒い霧が噴き出しているのに気づいたのは同時だった。
突然の惨状に止まりかけた思考が、目まぐるしく動き出す。
「――瘴気!? 魔物だ! 結界を喚起!」
オレ自身も結界魔法を喚起しながら、そう指示を出した瞬間――飛蝗の魔物の牙が鞭のように動き、兵騎の頭を刈り取った。
「――ヒ、ヒィィィッ!! いだい、いだいよぉぉぉぉ!!」
まったく抵抗すらできず頭部を失った兵騎から、騎乗者が転がり落ちてくる。
まるで待ち構えていたかのように、魔物の長い舌が彼を空中で絡め取り――
「あ……?」
なにが起きているのかすら理解できないまま、彼は魔物の口腔に消えた。
直後、ひどく湿った音が魔物の頭部から響く。
「――クソが! 貴様ら、逃げろ!」
部下達に叫べば、彼らは脇目も振らずに駆け出した。
独り残って魔物と対峙したオレは、アイリス様が左手に施してくれた刻印を見下ろす。
決して魔動に優れているわけではないオレは、アレを長時間稼働させられない。
だから、できればスクォールと遭遇するまでは、切り札として取っておきたかったのだが……
「そもそも死んでしまっては、切り札もなにもない、か……」
まるでオレを嬲るかのように見下ろし、だらりと垂らした長い舌からだらだらと血混じりの涎を垂らす魔物を結界ごしに見上げ――オレは刻印の施された左手を胸の前で握る。
「――来たれ、<神像>ッ!!」
オレの背後に魔芒陣が結ばれ、アイリス様から託された騎体が運ばれてくる。
十六メートルを超えるそれは、跪座姿勢でさえ兵騎より高い。
「目覚めてもたらせ! <聖騎士>ッ!!」
喚起詞に応じて神像の両手が、オレの身体をその胸部――鞍房へと誘う。
鞍に着いたオレの四肢が固定され、顔に仮面が着けられた。
いつものように、よくわからない古代文字が仮面の内側に表示される。
――認証みたいなものだから、ハイと応えておけばいいわ。
アイリス様に言われた通り、応と答えれば――騎体の仮面に灰色の紋様が走って貌を描き出す。
眼が開かれて――オレは<聖騎士>と合一する。
あれほど巨大で恐るべき存在だったはずの魔物が、今や見下ろせる程度の大きさで、容易に踏みつけにできそうなほどだ。
……だから。
「……部下達の仇だ!」
オレはそう呟き――思いつきをそのままに実行する事にした。




