第6話 6
リディアが喚起した魔法――<女神の唱歌>によって、周囲に空高く虹色の防壁が立ち上がる。
あれほど立ち込めていた瘴気が散らされた。
結界を張っていてなお感じていた、魔道器官を圧迫するような感覚が消失し、むしろ普段より魔動が湧き上がるようにすら感じる。
「……これをお嬢ちゃんがやってるってのか……すげえな!」
すぐ側を駆けるロイド兄が感嘆を漏らす。
「――魔物を閉じ込める魔法じゃなかったんだな」
長大に立ち上った虹色の障壁を見上げながら俺が漏らすと――
「うん。グランゼスで主はああいう使い方をしたけど、あれはむしろあの状況を覆す為の奇策で、これが本来の使い方なんだ」
と、同じく俺達と並走するクロが応えた。
――リディアの<天眼>によって共有された知識によれば、<女神の唱歌>は対魔物戦用結界なのだそうだ。
その結界内部においては瘴気を無効化し、人の魔道器官を賦活するのだという。
つまりは戦域構築を目的とした結界というワケだ。
「この状況を鎮圧させる、良い手だと思うよ」
瘴気を無効化させるという性質上、その内部でしか生きられない魔物は<女神の唱歌>を忌避する性質を持つのだという。
ババアの大魔法に引き寄せられた魔物達は、しかしリディアが張った結界を嫌って、再び大樹海内に散っていくのだろう。
「――要するに結界内に取り込んだ魔物への対処だけを考えれば良いって事だな!」
ロイド兄の言葉にクロがうなずく。
「うん。小型種およそ二百。グランゼスで起きた大侵災に比べたら楽勝だよ!」
俺達の主目的は、フォルス大樹海に巣食った魔物の掃討ではなく、あくまで御神体に辿り着く事と異端魔道士スクォールの確保だ。
なぜか樹海に踏み込んでいる王宮騎士達や魔物への対処は、二次目的でしかない。
だからリディアは結界によって、ババアが切り拓いた道へこれ以上魔物が流入する事を防いだ。
見据える先では、すでに兵騎隊が先陣の魔物と交戦している。
三対の歪な人の腕を胴から生やした、鉛色の甲殻を持った蟻だ。
魔物の分類上は小型に属するが、それでも三メートルの巨躯を持つ。
横列密集隊形をとって防壁となっている兵騎隊に対して、魔物は次々と押し寄せ、仲間の身体を踏みつけにして上に伸び上がっていく。
『――化生隊、構え!』
リディアの指示に応じて、黒い甲殻に覆われた獣属達が身構える。
積み重なった魔物が、ついに兵騎を乗り越えようとした瞬間――
『――今っ!』
その声を合図に、化生隊が地を蹴って跳び上がる。
まるで事前に打ち合わせたかのように、一糸乱れぬ同時攻撃。
兵騎に伸し掛かっていた魔物が吹き飛ばされ、あるいは鉛色のその甲殻を割り砕かれ、ドス黒い粘液を撒き散らして地に叩きつけられる。
「……なんか弱くね?」
俺の疑問は、前線で戦ってる連中も同じく抱いたようで、着地した彼らは目の前の成果に驚きや戸惑いの表情を浮かべている。
グランゼス領城で戦った魔物は中型も混じっての大混戦だったが、小型一体に対して<竜牙>三人一組となって対処していたんだ。
「あ、そっか! <女神の唱歌>だ!
魔物は瘴気を失くしてるのに加えて、みんなは魔道器官が賦活されてるから!」
「ん? どういうことだ?」
クロの説明に首をひねるロイド兄。
「普段とは――瘴気に対処しながら対処してる、いつもとは逆って事!」
「つまり結界内では、オレ達が強化されて、魔物は弱体化してるって事か!」
ロイド兄の顔に理解の色が広がる。
「となると、いつもの戦術はむしろ枷だな!」
<竜爪>の対魔物戦術は、兵騎が外装に施している強固な結界刻印によって瘴気を防ぎつつ、化生隊がその背後や側面から削り潰すというものだ。
だが、瘴気を気にせず、全力を振るえる現状では、たしかに消極的な策と言えるだろう。
『――そうですね。作戦を修正します!
このように陣形変更を変更!』
と、脳内にリディアが思い描く陣形が流れ込んでくる。
五騎の兵騎の中央騎を基点に両翼が前進しての鶴翼――半包囲陣だ。
化生隊はその隙間を埋めるように三人一組で配置される。
『――黒狼団、展開までの時間稼ぎをお願いします!』
リディアの指示にボリスン達が声を揃えて応じ、イカれた外装の兵騎三騎が<竜爪>騎達が造る防壁の前に飛び出した。
それぞれが得意な獲物を手にしたあいつらは、<竜爪>騎に取り付いた魔物達を薙ぎ払う。
直後、<竜爪>騎の両翼が前進を始めた。
俺は改めてボリスン達を誇らしく思う。
あいつらは今日が初の対魔物戦闘だ。
いかにリディアの結界によって瘴気が失くなっているとはいえ、まるで臆することなく獲物を振るい――いつものように奇声をあげているのはともかく――、魔物を追い立てる様はまるで歴戦の騎士のようだ。
学園で、あるいは騎士学校でしっかりと教育を受けた者でさえ、魔物との初陣はその奇っ怪で嫌悪感をもよおす見た目に怯み、思い通り動けなくなるのだと聞く。
俺だって、ババアの教育で初めて魔物の映像を観せられた時は、正直なところ吐き気をもよおし、朝飯を戻してしまったくらいだ。
だからこそ、俺はあいつらがそうなってもおかしくないと考えて、<竜爪>の補助に徹するように命じたのだが――こうして見る限り、いらん気遣いだったようだな。
『――このまま後方の群れまで前進! 押し潰してしまいましょう!』
陣形の変更が完了したのを見計らい、リディアがそう指示を飛ばす。
「……という事は、だ」
と、ロイド兄がニヤリと笑みを浮かべる。
「オレらが食っちまっても構わないんだろう?」
ロイドの問いに、リディアは一瞬考え込んだようだが――
『……そうですね。アル達には群れの間隙を縫って先行してもらうつもりでしたが、この戦力差なら先に魔物を片付けてしまった方が早いかもしれませんね。
――こういう事はできますか?』
と、修正された作戦が伝わってくる。
「……いいねぇ」
ロイド兄が犬歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべた。
リディアが修正した作戦は、包囲の内部に突っ込み、黒狼団騎と共に内側から魔物の群れを蹂躙していくというものだ。
「――よし、それじゃ誰が一番魔物を潰せるかでも勝負と行こうじゃないか!」
クロもまたノリノリで応える。
「……ふむ」
そんな好戦的なふたりをよそに、目前に迫った戦場を見据える。
小規模な鶴翼に展開された陣形の内側には、次々と魔物がなだれ込み、ボリスン達は混戦の中で奮闘している。
今の俺はババアが用意した黒色の戦甲冑を身にまとい、クロが幻創した晶剣もある。
訓練着に無手のまま、突発的に始まったグランゼス領城の侵災と違い、完全な戦装束だ。
戦闘形態に頼る事なく、魔物相手にどこまで戦えるか――正直なところ興味がある。
「――ならば、俺が先陣を切らせてもらう!」
と、俺は両足の強化をさらに強め、並走するふたりにそう告げてみせた。
ババア特製の戦甲冑は、俺の身体強化に連動してそれを補助――結果、俺は弾かれるように加速した。
「――あ、クソ! アル! 抜け駆けかよ!」
ロイド兄のそんな叫びさえ置き去りにして、大気を割って駆けた俺は鶴翼陣中央目前で地を蹴って高く跳び上がる。
腰の後ろに帯びた鞘から晶剣を抜き放ち、上段に振りかぶった。
ここでアリシアなら、例の埒外のトンチキ歩法で空中を蹴って加速するのだろうが、常識人の俺はそんな頭のおかしい真似はできない。
だから。
「オオォォォ――――ッ!!」
始まった落下に合わせ、俺を待ち構える眼下の魔物の群れに向けて、俺は咆哮と共に全力で晶剣を振り降ろした。
剣閃が駆け抜け、魔物が吹き飛ぶ。
できた間隙に俺は着地し、身をひねって周囲の魔物をさらに薙ぎ払った。
『――兄貴っ!』
『生身なのにすっげえっ!』
ボリスン達が驚きの声をあげた。
「なにを驚く……」
さらに押し寄せる蟻どもを斬り飛ばしながら俺は応える。
「あんなの騎士なら当たり前だ」
『い、いや……でも……』
戸惑ったようにボリスンが引きつった声をあげる。
『兄貴の騎士観って、かなり歪んでるよな?』
『そうそう。兄貴、アリシアの姐さんは騎士として規格外なんスよ!?』
「そんな事、俺だってわかってる!」
斬る、斬る、斬りまくる。
獲物は次々と眼の前に湧き出てくるから、入れ喰い状態だ。
今日は甲冑があるから、多少の攻撃なら回避に気を使わなくて良いのも楽だ。
そんな事を考えながら――
「見てろ。本当の騎士――王宮第二騎士団団長が来るぞ」
俺はボリスン達に親指で後方を指して見せた。
直後――
「――うぉらああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
一陣の暴風が一気に戦場を駆け抜け、魔物の群れを左右に分断して噴き上がらせた。
『な、なぁ――ッ!?』
ディックが驚きの声をあげ、舞い上げられた魔物がドサドサと地面に降り注ぐ。
そして、それを成したロイド兄は、地面を抉って急制止。
「らああぁぁ――ッ!!」
さらに咆えて戦場を駆け抜け、魔物を屠っていく。
『あれが王宮騎士の頂点……』
『兄貴の基準が狂ってる理由がわかった気がするっす……』
チャーリーとディックが、なぜかドン引きで呟いている。
包囲陣を構築している<竜爪>から、ロイド兄を讃える歓声が飛んだ。
「そもそもだな。俺に騎士の概念を叩き込んだのは――」
と、今度は俺は切っ先を頭上に向けて応えた。
そこには腰から黒色の皮翼を生やして飛び上がったクロの姿。
「――ぎゃおおぉぉぉん!!」
ヤツは逆手に握った二振りの短刀を胸の前で交差させ、一直線に降下してくる。
三度、魔物の群れが宙に高く噴き上がった。
「さあさあ、蹂躙だ!
おまえらの天敵の末裔の力、しかと味わうといい!」
着地したクロは高らかに言い放つ。
短刀を振るうたびに剣閃が飛び、その進路の魔物が両断されていく。
俺が全力で振るってようやく出せる「飛ぶ剣閃」を、ああも事もなさげに繰り出しまくるんだから、本当にイヤになる。
『……ク、クロ坊って、あんなでたらめだったのか……』
ボリスンが呻いた。
普段のあいつはぬいぐるみのような、おかしな姿だからな。
あの見た目から、ヤツの強さを想像しろってのは無理な話だろう。
「……俺達の実技鍛錬の教官だったといえば、ヤツのおかしさがわかるだろう?」
『へ、へえ……』
そうしている間にも、ロイド兄とクロは次々と魔物達を吹き飛ばし、あるいは斬り捨てていく。
「――ヘイヘイ、相棒。このままじゃキミがビリだぜ?」
「ビリにはなにか罰が必要だな!」
などと、ふたりは示し合わせながらそんな事を言い始めた。
「クッソ、見てろ! 俺だって、伊達に紫竜剣術皆伝ではないのだと思い知らせてやる!」
俺は黒い晶剣を正眼に構え、地面を踏みしめる。
ロイド兄が見せた緑竜槍術の対軍の技のように。
紫竜剣術にも対軍用は存在するんだ。
かつての俺はその演舞を再現するのが精一杯だったわけだが……
「――へぇ? 実戦で使えるようになったってワケ?」
クロが面白そうに声をかけてくる。
……まあ見ているがいい!
目を半眼に、深く息を吸い込んで、俺は右足を地に滑らせ――
「――ハァッ!!」
気合いの叫びと共に、俺は左足で踏み切った!




