44 実感
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「ラルス様!ご主人様は!?」
誰かが、来たのか?
誰だ?
俺をご主人様と呼ぶ人は⸻
朦朧とする意識の中ではそれを認知できないでいる。
僅かに、声が聞こえる。
しかし、それが言葉になって耳に入ってこない、ような感覚。
戦局はどうなった?
アンナは、無事なのか。
「ご主人様は無事なのですか!?」
「峠は越えた。しかし血を失い過ぎている。ここでは満足な治療もできん」
不確かな言葉の応酬が、果たしてそれが俺の事を言っているのかいないのか。
聞こえない。
けれど⸻感じる。
アンナの全開の魔闘が俺を包む感覚。
何度も何度も俺を救った、あの⸻
「ご主人様!ご主人様ぁ!!」
叫ぶ声が、魔素の鼓動が、俺の止まりかけた心臓を執拗にノックする。
視界が血で滲む。
ほのかに感じる、頬に水滴の当たる感触。
そんなものだけが、俺の意識の全てだった。
頬を伝う熱の正体はアンナの涙か。
俺の血か。
泣くな⸻アンナ。
……あぁ、眠いなぁ。とてつもなく、眠い。
誰かが何かを叫んでいる。もう……聞こえない。
でも、彼女から溢れる魔闘が、俺の止まりかけた心臓を無理やり叩き起こすような、そんな凄まじい『生』への執着を感じた。
そこで俺は⸻意識を手放した。
◇◇◇
……
…………
………………
包丁がまな板を叩く音。
卵が強火で熱せられたフライパンに広がる瞬間の、じゅぅという小気味の良い音。
そんなものがまず俺の意識の縁を叩いた。
朧げに覚醒していくと次に感じるのは⸻匂い。
ぐつぐつと何かを煮込む音ともに芳しい香りが鼻腔を刺す。
俺は⸻生きているのか。
瞼を開けると広がる、見慣れた天井⸻たろーハウスだ。
眠れぬ夜に数えた天井のシミが、まだある。
死後の世界ではないらしい⸻と、俺は四肢に力を込める。
肩口に痛み。
熱っぽい身体にさす痛みが、現実を示す。
どうやら、本当に生きているらしいな。
パタパタというスリッパの音が、誰かが近づくのを報せた。
「ご……しゅじ、んさ、ま」
アンナはもう既に、涙を止める努力をしていなかった。
そのまま駆け出し俺の胸へと抱きついてくるのを、抱き返す。
涙が胸を濡らしていくのが、くすぐったい。
「ただいま、アンナ」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
なんて、メイドのお手本の様な挨拶は。
⸻お互い嗚咽が混じってグシャグシャだった。
◇◇◇
ひとしきり抱き合った後、どちらからともなく離れた。
恥ずかしいやら、嬉しいやらで、もうどうしようも無くなった。
「⸻旦那様、起きてたんやったら言うてや」
とクラマとグレイスも寝室に入ってきた。
話し声が聞こえた、かな。
「クラマ、グレイス!良かった!二人も無事で!」
二人も俺の胸に飛び込んできた。
無事を確かめる様に俺も抱き返す。
「ポンコツメイドはんも、旦那様起きたんやったら呼んでくれればええのに」
半分、本気で怒った顔を作るクラマ。
なんだか、この揶揄う調子も懐かしい。
グレイスがベット上の膝に頭を置いた。
撫でろ、ってことかな。
モフモフを撫でると気持ち良さそうに眼を細める。
「皆が無事で本当に良かったよ……あの後、どうなったんだ?」
アンナとクラマが互いの顔を見合わせる。
なんか、微妙な空気……?
なんだ?
二人が共闘している、所は記憶があるのだが。
「聞いてや旦那様!こんのアホメイド、武器に取り憑いたウチをブンブンブンブン力任せに振り回しよって!蜂かお前は!?」
「聞いてくださいご主人様!この女狐、自分では敵を殲滅できないくせに注文ばかり!それで本当にご主人様の従魔ですか!?貴女は!」
……
…………
………………ははっ!
今、心底実感が湧いた。
生きて、帰ったんだ。この日常に。
「なにを笑っとるんや旦那様!このクソメイドに言ってやってや!」
「黙って聞いていれば何をいけしゃあしゃあと!ご主人様にお灸を据えて頂くのは貴女です、女狐!」
あとからあとから笑いが込み上げてきて、仕方ない。
刺された肩が痛むが、そんなことはどうでもよかった。
「はぁ、笑った。二人とも、頑張ってくれてありがとう」
毒気が抜かれた様にキョトン顔⸻から呆れた様な微笑む二人を見て、更に笑いが込み上げた。
改めての感謝の言葉にクラマは露骨に照れていた。
髪を弄りながら顔を真っ赤にしている。
「んもぅ、意地悪なお人や、ホンマに」
生きている。
その実感がなによりも、嬉しい。
「⸻みんなは?たしかガルドさんや疾風の人達が救援に来てくれた、んだよな?」
「はい。ご主人様が今ここにいるのは、皆様のおかげでございます」
そうか。
快方したことを報せるのも含めて、礼を言わなければな。
「すごかったで、特に“疾風”の三人は。あれは人やないな」
レンさんがあの時放った大規模魔法は、いわば俺が仕込みありで行った粉塵爆発を“単体で”行ったようなものだ。
しかもそれを、“連発”したらしい。
もはや驚きを通り越して呆れる。
クラマの言う通り、人外だなぁ、あの人は。
「特筆すべきはゴードン様、でしたわ。戦線を離れてご主人様の元に向かった私の代わりに、最前線へ」
そこからは無双だった、とか。
寸前でグレイスが殴られたのを見て激昂したらしい。
「もう鬼の様やったで。バケモンやなぁ、あれも」
クラマが遠い眼をする。
あの人グレイス溺愛してるもんなぁ。
その後ゴードンさんが突撃した楔から、骨の陣形は瓦解。
指揮をしたのはガルドさん、か。
「あのお方も獅子奮迅の働きでしたわね。その凄さは単騎戦力以上に、その指揮能力でした」
曰く、鼻歌を歌いながら骨を叩き潰していたとか。
バテる冒険者のケツを蹴り上げていたとか。
人が死にかけてるっつうのに、あの人は。
「凄惨だなぁ」
「ホンマやで旦那様。旦那様というツッコミ不在はカオスや。これからは死にかけんといてや」
なんて。
そんな台詞にはマジの意思が込められていて自然と背筋が伸びる。
しかし⸻
「アンナも凄かったな」
鬼気迫るアンナの闘争を思い出す。
途切れ途切れの意識の中、幾万の骨に相対し一歩も引かない姿。
「あ、あれは、その……ご主人様が刺されて、我を忘れていたといいますか……」
俺を見て、か。
なんだか恥ずかしくなるな。
「なにより、愛する人を守れなかった自分の非力が、許せませんでした」
それで、あの。
嬉しい⸻反面、危うくも思う。
不甲斐なさと、愛おしさの半々。
一度メイドの仮面を脱いだアンナは、凄まじいの一言だった。
出来うることなら、二度とあのアンナは見たくない、な。
◇◇◇
程なくして、ラルスさんが訪れた。
なんでも俺が倒れて依頼毎日見舞いに来て、さらに治療の続きをしてくれているらしいと、アンナがこっそり教えてくれた。
「たろー」
「ラルスさん、ありがとうございました。ラルスさんのおかげで生き延びました」
「そうか」
なんて、短い言葉の中に万の意味が込められている。
素っ気ない言葉とは裏腹に、胸に手を当て深呼吸するような仕草。
「傷口を診せろ」
と包帯でぐるぐるになった肩を診てくれるらしい。
肌が露出されたとき、アンナが後ろでビクンビクンと悶えるのを感じた。
空気読めお前。
「跡は……残ってしまったな。⸻未熟ですまない」
「と、とんでもない!生命があるだけでも感謝しています」
それこそ、今生きているだけで望外の喜びを感じていた所だ。
傷の有無など、望むべくもない。
「そんなことを言わないで下さい、ラルスさん。貴女がいなければ俺はいない」
「しかしっ」
「アンナとクラマからも聞きました。先に救援に行くアンナに着いてきて下さった、とか。貴女の判断が、俺を救ったんです。感謝するならまだしも、責任を負うなど」
そうか……とそれでも沈むラルスさん。
何やら思うところがあるのか。
これ以上は言うまい。
「じゃあ、俺が回復したら祝いをしましょう。それに参加して下さい。それでチャラ、としましょう」
「なっ!?それでは釣り合わんではないか!?」
「なぜです?わざわざ俺の為に時間を割く、傷口の事を悔やんでらっしゃるのであれば、対価はそれで充分です」
背後で呆れたように、アンナとクラマが笑った。
ん?なんか言ったか、俺?
「本当、お前は良い男だな。たろー」
ピキッ。
一変、アンナのこめかみに青筋が立ったが⸻
それには触れないでおこう。




