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夢を見ていた。

起きた瞬間にそれだけはわかるのだが、しかしその内容をなぞろうとすればする程その輪郭がぼやけていく不可思議な感覚。


なにか重要な事を聞いたような⸻ダメだ、思い出せない。

昨日まで心底大切だったものが今日に至ると手元になく、それがなんだったか思い出せないような、そんな違和感。


グレイスがそっと、頬を舐める。

起きた?大丈夫?と思念を飛ばしてくるのを受信して、俺はその事を考えるのをやめた。

脳の“ある部分”だけに靄がかかっているのを認識しながら、身体を起こす。



「おはようございます、ご主人様。お身体の加減は如何でしょう」


アンナとクラマはすでに起きてリビングで思い思い過ごしていた。

こちらの姿を認めるなり、アンナは背筋を伸ばし、クラマはしなだれかかる様に俺に微笑みをくれる。


「心配かけたな。もうなんともないよ。ありがとう二人とも。グレイスも」


昨晩あった倦怠感は鳴りを顰め、その代わり身体の奥から活力が生まれてくるのを感じる。

と、同時に俺の腹が鳴る。

ふぅ、腹減ったぜ。


「お食事の用意はすぐに。それとも先にコーヒーと煙草を楽しまれますか?ご主人様」


ニコニコと上機嫌で気を利かせてそう尋ねてくれるアンナに、煙草貰う、と短く告げて窓際の席に陣取りほんの僅かに窓を開ける。


春近しと言えど冷気が窓の隙間から忍び込んでくる。

天気は良い。

なんというんだったか、小春日和だったか。


「旦那様、今日は休みにするんやろ?自由行動でいいんかえ?」


「うん、いいよ。俺だってまだ病み上がりだしな。今日は寛ぐとするよ」


とはいえ、俺が拠点に居れば皆も寛げないか。

俺とみんなの関係は少し違うけど、上司が部屋にいるようなものだからな。


「出掛けてもいいん?ウチ、少し街の様子見たいんやけど」


そうか、クラマは死後霊だったな。

過去冒険者の従魔としてこの街に暮らしていた経験があるのか。

そりゃ街の変化も気になるよな。


「最近は雪も積もっていたから、ギルドとダンジョンと市場との往復だったからな。それも良いだろう」


「おおきに」


と、手のひらをひらひらとさせるクラマ。

その仕草、目線が妙に色っぽい。


「アンナとグレイスはどうする?」


「私はたろーハウスで掃除をします。明日から遺跡に詰めるわけですし、ご主人様の城を綺麗にしておきたいですわ」


ご主人様のお側にもいられますし、と続けてはにかんで言うのは、昨日の事を思い出しているのかも知れない。


……うわ、急に思い出してハズなってきた。

慌てて煙草を吸って誤魔化す。

クラマがニヤニヤとこちらを見ていた。

完全にバレてら。


「昨晩は随分お楽しみやったみたいやなぁ?旦那様?」


まぁたこいつは誤解を与える様な言い回しを。


「グレイスはどうする?」


んー、寝る!と単純明快な思念伝達。

可愛いぜちくしょう。


ん。じゃあ各員の過ごし方は共有できたかな。



◇◇◇


クラマが壁をすり抜けて出掛けて、グレイスが庭先で丸くなっている。

家内には俺とアンナの二人きりになった。

昨晩から二人が続くな。


アンナは身体をモジモジとさせて、先程からこちらの様子を伺っている。

盗み見るようにチラチラとこちらを見ては掃除に戻る、というのを繰り返して、その度にため息をついた。


そのわかりやすい「世話したい欲」みたいなものが透けて見えて、俺は微笑ましく思う。

今日はアンナの休みでもある。

付き合ってやるか。


「ん、コホン。……あぁーそろそろ、腹が減った、なー。でもアンナは休みだから、俺が用意しなきゃー。でもまだ少し、怠いんだよなー」


我ながらポンコツぶりが酷い棒読みだなぁ。

アンナが顔を輝かせて振り返るが、一瞬耐えた。

が意を決した様に疾風のスピードで俺の目の前に現れて胸をずいと反らせた。


おぉ、あの大質量πが、ゆ、揺れた……。

じゃなくて。


「ご、ご主人様、ご無理をなされてはいけません!わ、私は今日休み、ですが、ご主人様のお身体がそれでは致し方ありませんわよね!?私がお食事の用意をしますのでお休みくださいまし!」


休日は、アンナの休みだから、メイドという立場を忘れてアンナのやりたいことをやる⸻という教えを覚えてくれていたようだな。

わかりやすく餌に喰いつくアンナ。

こういうわかりやすい献身性には、俺はすっかりやられてしまっている。


モグモグと咀嚼する俺の様子をニコニコと眺めるアンナ。

そんな見んな。

食べにくいわ。


「美味しゅうございますか?ご主人様?」


「ん、美味いよ」


ほわぁ、とオノマトペが聞こえてきそうな程わかりやすく、眼を潤ませて手を胸の前で組むアンナ。

少女漫画みてぇ。

あ、ハート飛んでるのが見える。


「アンナのその献身欲、みたいなものは種族的な面も大きいんだよな?」


確か、魔族は主に仕えるように在る、のだったか。


「左様でございます……が、私はご主人様だから仕えているのでございます。たろー様だからこそ、アンナの愛を捧げるに価しますわ」


またそう恥ずかしげもなく照れることを。

……悪い気はしないがな。


「人はそれを恋と呼ぶもの、らしいですわね」


茶吹いた。

最近輪にかけてストレートに表現するなぁ。

前からか。


「私はご主人様の筆頭メイドですから」


あ、久しぶりに聞いた気がするな、その台詞。

前はなんでもかんでも「メイドですから」ですましていた事を思い出す。

随分と付き合いも長くなってきたものだ。


「アンナ」


と、俺は意を決して、言う。

……続く言葉が出てこない。

ちくしょう、社畜時代には色恋沙汰なんか無縁だったからなぁ。


「ん?なんでございましょうか?」


なんて。

アンナは俺を疑いもせず続く言葉を待っている。

その眼、その首をかしげる仕草が。

俺をどうしようもなく惑わせる。


「……ん。好きだよ」


ようやっと、絞り出した言葉は、そんなものだった。

我ながら語彙力どこいった、とツッコマざるを得ない。

恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだ。


チラリとアンナを盗み見ると、驚愕⸻からの嘆息。

そして、涙。


「ご主人様……」


「悪い、今ハズい。あんま見んでくれ」


ふふっ、と笑いながら、微笑むアンナの美しさときたら。

頬の赤みは、俺の言葉が伝わった証し、か。


「私も、お慕いしております」


言うが早いか、アンナは身を乗り出し顔を突き出した。

おぉぅ、これは、その、あれか。

男女の仲を確かめる儀式、キ、キス、というものをせがんでいるのか。


「っん」


そっと、唇を重ねるだけの、なんでもないキスだった。

それでもその柔らかな感触と、眼を開けた時のアンナの表情を、俺は生涯忘れることはないだろう。


何秒、その眼を見つめていただろう。

視線を逸らせない。

時が止まったようでもあり、鼓動の音が時を刻んでいるようでもある。


どれくらいそうしていたか⸻正確なことはわからない。


「く、クラマには内緒な」


なんて色気のない言い訳を言うぐらいしか、俺には出来なかった。

アンナが笑ってくれているだけが、救いだな。



◇◇◇


クラマが帰ってきてからの、その落ち着かなさそうな雰囲気には気づいた。

どこか遠い眼をして、ため息ばかり吐いている。


もともと見た目が花魁みたいだから、シャキッとしない足を崩した座り方自体は、いつも通りと言えるが。


「ゆっくり休めたか?クラマ」


直接的になにかあったか、と聞くことは憚られた。

クラマにだってプライベートがあるはずだし、なんでもかんでも共有するのがチームとも思っていない。


「ん、せやなぁ。旦那様には、耳に入れといた方がいいか……」


それは独り言の様にも、自分自身に言っているようでもあった。

なんだ?

休みの間になにか気づいた、のか?


「ウチが過去従魔として、この街におったんは言うたやんなぁ?」


それが、何年前になるのかまでは知らないが、確かに聞いたな。


「せやから『魔鉱』の外の世界の事を、多少知ってるんやけど……今あるヘイルニルはその記憶の”残り香がまるでない”んや」


残り香?

面影がない、ということか?


「せやなぁ。建物は仕方ない、として。道や作りからして、まるで違うんや」


……?

どういうことだ。

クラマの生前あった場所、と違うのか?


「魔素の残滓はよう似とるよ。ただ、見た目はまるで違う。全く別物、レベルやなぁ」


クラマはゴーストであり、妖狐だ。

視覚的な情報に加えて、魔素を読み取る術に長けている。


「……なにが言いたいんだ?」


全く見当もつかない……のだが、脳の靄がかった部分が警鐘を鳴らしていた。

なんだ?なぜ思い出せない?


「しかも、『遺跡』の入り口……あそこには……いや。まぁそれは明日確かめたらいいか……」


なんて、一人で何かを納得したあと、クラマはそれ以上何も言わなかった。

黒ずんだ不安が、胸中に広がるのを俺は感じた。

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