第6章:白虎と、消えゆく色 ― 白き傀儡ハクレン ―
色のない少女は、ずっと“本物”を欲しがっていた。
誰かの代わり。
誰かの複製。
誰かに選ばれなかった者。
その渇きが向かった先は、
アルディア・グリーンフェルという“色”だった。
目覚めた時、最初に見えたのは紫色だった。
暗闇の中で、その色だけが輝いていた。
夜の帳のような、深くて美しい紫。
「おはよう」
優しい声と共に、紫の髪をした男が微笑んでいた。
それがハクレン・トウヤの、最初の記憶だった。
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暗い空間から引き出され、最初に見たのは硝子に映る自分の姿だった。
白い髪。紅い瞳。色のない、白い何か。
「ドウシテ……私ニハ……色ガ無イノデスカ?」
男——ルキアンは、小さく笑って答えた。
「それはな。お前が所詮、私と……尊き御方の出来損ないの傀儡に過ぎないからだよ」
今なら分かる。あの言葉の意味が。
自分はルキアン・ヴェルティの血と、尊き御方の血を混ぜて造られた、ただの器だ。
戦うために。消費されるために。造られた、モルモット。
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長い通路の奥に、部屋があった。
開かれた扉の向こうに、自分と同じ顔が並んでいた。
何人も、何十人も。培養液の中で眠る、自分の複製たち。
ハクレンは違った。
他の「私」と違って、尊き御方の血が混ざっていた。だから意思を持ち、言葉を話せた。
ルキアンはハクレンを可愛がった。
戦えば戦うほど。この手を血に染めれば染めるほど。どの複製よりも一番に、褒めてくれた。
だから必死だった。もっと褒めてほしくて。もっと一番でいたくて。
——あの女の存在を知るまでは。
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アルディア・グリーンフェル。
その名前を知った日から、胸の奥がチリチリと焼けるようになった。
パパが執着する女。パパが必要とする女。パパが、自分よりも先に思い浮かべる女。
「アルディアが……羨ましいのか? ハクレン」
耳元でルキアンが笑った。楽しんでいた。
自分の羨望を、玩具みたいに転がして。
それでも良かった。
パパに見てもらえるなら、それで良かった。
——パパが、いた頃は。
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回想が途切れる。
シロノヤカタは静かだった。
ルキアンの声はもうどこにもない。
あの聖堂で、かつての戦友の腹に収まって、この世から消えた。
ハクレンは水槽の前に立ち、硝子に白い指を触れた。
中では、無数の「私」が動きを止めたまま眠っている。
「……みんないなくなったわ」
誰もいない。
自分を褒めてくれる声が、ない。
自分を一番と呼んでくれる手が、ない。
だが、血管の中でルキアンの血と尊き御方の血が、どろどろと熱く流れ続けている。
それだけは、消えない。
ハクレンはルキアンが大切に保管していた記録を手に取った。
アルディア・グリーンフェルの記録。パパが執着し続けた、「本物の色」の記録。
白い指でくしゃくしゃに握りつぶす。
(あの女さえいなければ、私は二番目じゃなかった)
(あの女がいなければ、私は——)
ルキアンが残した紫の断片を身に纏い、ハクレンはシロノヤカタの通路を歩き出した。
「待っていて、アルディア。……私が、貴方になってあげる」
夜風が白い髪を揺らした。
紅い瞳が、闇の中で静かに輝いた。
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聖堂が燃えていた。
ジュラが放った黒い炎が、全ての因縁を包んで燃え広がっている。
その炎を背に、アルディアとジュラは夜道を歩いていた。
二人の間に言葉はない。
ただ、焚き火の爆ぜる音と、遠くで建物が軋む音だけが続いていた。
「……ジュラ」
アルディアが前を向いたまま言った。
「ありがとう」
ジュラは少し間を置いて、鼻を鳴らした。
「感謝なら、もっと私を見てから言いなさい」
「見てる」
「……嘘ばっかり」
それでも、ジュラの口元がわずかに緩んだのを、アルディアは気づいていた。
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気配が来たのは、その時だった。
「ッ——」
ジュラが即座に瘴気を展開する。
「何よ……この匂い」
吐き気がするほど不快な血の匂い。
ルキアンの残り香——それを塗り潰すような、冒涜的なまでの異質さ。生命の温もりを一切感じさせない、冷徹な理だけで編み上げられた何か。
「ルキアンのなり損ない?……いいえ、もっと薄汚い何かが混ざってる」
ジュラの視線の先に、白い影が立っていた。
白い髪。紅い瞳。アルディアの大鎌を模倣したような、禍々しい武器。
その少女は、ただ一点——アルディアの瞳だけを見ていた。
「どうして……貴方には、色があるの?」
ゆらりと、一歩踏み出す。
その動きは生き物というより、精巧なゼンマイ仕掛けの人形に近い。
「パパが、ルキアン様が、あんなに欲しがった色。……私がそれを手に入れれば、私は二番目じゃなくなる。そうでしょう?」
「アルディア、下がって」
ジュラが前に出た。
「その偽物、私の瘴気で形も残さず腐らせてあげる」
「……ねぇ、アルディア」
ハクレンはジュラを見ていない。ただアルディアだけを見て、静かに言った。
「貴方を殺して、その色を私にちょうだい」
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「断るわ」
アルディアが大鎌を構えた。
「私の色は、誰かにあげるためのものじゃない」
刃が交錯した。
金属音が夜に響き渡る。
ハクレンの筋力は異常だった。ルキアンの再生能力と、あの悍ましい血がもたらす強度。アルディアの一撃を受け止め、押し返してくる。
「あはは……っ! 似てる、やっぱり似てるわ。私と貴方、どっちが本物になれるかしらね?」
アルディアの鎌がハクレンの肩を裂いた。
白磁のような肌から鮮血が舞う。だが——。
「もっと……もっと刻んで」
恍惚とした表情で、ハクレンは傷口を晒した。
「貴方の色を、私に刻みつけて!」
裂かれた肉が蠢く。驚異的な速度で再生していく。その断面から溢れる黒い血が、アルディアの大鎌に絡みついた。
「いい加減になさい、この薄汚い偽物がッ!!」
ジュラが最大出力の瘴気を解き放った。
触れた瞬間に骨まで溶ける、死の霧。
しかしハクレンは笑いながら、その霧の中を真っ直ぐに進んでくる。
「……見つけた。アルディアの、一番近く」
武器が変形した。鎌の形を捨てて、巨大な杭へ。
その狙いは——ジュラの背後にいるアルディア。
「させない」
ジュラが叫んだ。
「アルディアは、私の——!!」
自分の体を盾にして、前へ出た。
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ド、チュッ。
鈍い音だった。
杭がジュラの胸を貫いた。
「……あ」
ジュラの口から、黒い瘴気ではなく——赤が溢れた。
「ジュラッ!!」
アルディアが叫ぶ。
崩れ落ちるジュラを抱きとめる。手が、血で濡れていく。
「……あぁ……アルディ……ア……」
ジュラの震える手が、アルディアの頬へ伸びた。
でもその指先は、砂のように崩れていく。
「やっと……私だけを……見て……」
「ジュラ、しっかりして——」
「……ずるい……わ……。最後に貴方を抱きしめるのは……私なのに……」
光が消えていく。
ジュラの体が、黒い霧となって霧散していく。
アルディアの掌の中に、何かが残った。
ドクン、ドクンと脈打つ——漆黒の結晶。
「……あ。消えちゃった」
ハクレンが、不思議そうに首を傾げた。
「邪魔者がいなくなったわね、アルディア。これで貴方の隣は私のもの。貴方の色は、私のもの」
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アルディアはゆっくりと立ち上がった。
掌の結晶が熱を持つ。
ジュラが遺した「嫉妬」の遺志が、アルディアの怒りと混ざり合い——大鎌を侵食するように這い上がる。
ヴァンパイアハンターの清廉な魔力と、嫉妬の闇が混ざり合う。
青白かった刃が、禍々しい紫黒色に染まった。
「え……?」
ハクレンの紅い瞳が、初めて揺れた。
シロノヤカタのどの資料にも、こんなアルディアの姿は記されていなかった。
「……貴方を、殺す」
アルディアの口から漏れたのは、静かな殺意だった。
怒りではない。悲しみでもない。
ただ——ジュラが遺した何かと、自分の中の何かが重なって、一つの終止符になった。
地を蹴った。
紫黒の尾を引く彗星となって、ハクレンの懐へと潜り込む。
「あはっ、すごい! それが貴方の本当の——」
鎌がハクレンの杭を切り裂いた。
そしてそのまま——白い胴体を、一文字に両断した。
「……ッ、ガ……ハッ」
再生が始まらない。
ジュラの闇がハクレンの再生能力を、根元から腐食させていた。
「ドウシテ……治らな……い……。私、一番の完成体……なのに……」
地に伏したハクレンを、アルディアは見下ろした。
感情を失った瞳で。
刃をその喉元に突き立てる。
「……貴方は私じゃない」
静かに言った。
「私は、貴方じゃない」
「……そうね……」
ハクレンの声が、掠れていく。
「私は……何も……持っていなかった……」
光が消えていく。
彼女が最期に見たのは——憎しみに染まりながらも、美しく鮮やかな「怒り」という色を纏った、本物のアルディアの姿だった。
「羨ましい……な……」
白き傀儡の体が、一握りの灰へと変わり、夜風にさらわれて消えた。
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静寂が戻った。
アルディアの腕を覆っていた影が結晶へと収まり、彼女はその場に力なく膝をついた。
「ジュラ……」
名前を呼んでも、皮肉げな笑みは返ってこない。
過剰な抱擁も、毒舌も、何も返ってこない。
手の中で、漆黒の結晶だけが、静かに脈打っていた。
遠くで、レノアが呆然とその光景を見つめていた。
姉を失った自分と、半身ともいえる存在を失ったアルディア。
二人の間に、言葉はなかった。
ただ、夜が深まっていく。
第6章を読んでいただきありがとうございます。
この章では、ハクレンという少女の渇望と、
ジュラが遺した想いの行き先が描かれます。
羨望。嫉妬。執着。
“本物”になれなかった者の願いは、
やがて誰かの大切なものを奪う形で牙を剥きます。
そしてアルディアは、
ジュラの遺したものをその身に刻みながら、
また一つ前へ進むことになります。
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