第9章:廃棄された娘 Scene 8 世界大戦 ― Armageddon ―
【Armageddon――START】
最初に消えたのは、小さな国だった。
国境も軍事拠点も関係ない。機械仕掛けの天使たちが空を覆い、無数の光条を大地へ降らせる。山肌が赤く焼け、森が蒸発し、街を囲んでいた城壁は住民ごと白い光へ呑み込まれた。
ほんの数秒。
そこに国があったという痕跡さえ、ほとんど残らなかった。
アルディアは声を失った。
分かっていた。
これから世界の半分が死ぬ。
原典の結果としてではない。黒野に聞かされた昔話でもない。
今。
目の前で。
一人ずつ。
死んでいく。
「逃げて!」
叫んでも届かない。
地上では人々が走っていた。
子供の手を引く母親。足の悪い老人を背負う青年。混乱した群衆を誘導する兵士。誰も、自分たちがなぜ殺されているのか知らない。
つい昨日まで。
神は彼らを守っていた。
旱魃から。
疫病から。
戦争から。
千年以上。
神に祈れば救われる。
そう信じて生きてきた。
だから。
空から白銀の天使が降りてきた時。
最初に人々がしたことは、逃げることではなかった。
「神の御使いだ!」
誰かが歓声を上げた。
「助かった!」
燃え始めた街で、人々が空へ手を合わせる。
その光景にアルディアは息を呑んだ。
「違う……」
まだ分かっていない。
彼らは。
自分たちを殺すものへ。
祈っている。
機械天使の腕が開いた。
光が集まる。
「逃げて!」
アルディアは走った。
「それは違う! 逃げなさい!」
閃光。
祈っていた人々が消えた。
建物ごと。
広場ごと。
跡形もなく。
「……」
足が止まる。
何もできない。
これは過去だ。
Save Dataだ。
もう起きたこと。
分かっている。
それでも。
「やめて……」
声が震えた。
世界の別の場所では、七つの大罪が動き始めていた。
テンペランスの姿をした怪物が巨大な顎を開き、一つの都市を住民ごと飲み込む。
カスタの顔をした女が、逃げる者たちを光の檻へ閉じ込める。
牡丹と同じ顔の花魁が笑うと、人々の身体から赤い花が咲いた。
かつて世界を救った英雄たち。
その姿を借りたものが。
今度は世界を殺している。
「……最悪」
アルディアは吐き捨てた。
黒野の趣味だ。
ただ殺すだけではない。
希望だったものを絶望へ変える。
守ってくれた顔で殺す。
信じていたものに裏切らせる。
相手が最も傷つく形を選ぶ。
「本当に……趣味が悪い」
『褒め言葉として受け取っておくよ』
黒野の声がした。
アルディアが振り返る。
少し離れた場所。
世界が燃えているというのに、男は椅子へ腰掛けて本を読んでいた。
「……聞こえてる?」
黒野は答えない。
頁をめくる。
偶然なのか。
意図的なのか。
まだ分からない。
アルディアは一度だけ睨みつけると、再びヒューミリスを見た。
天空の玉座。
父は。
動かなかった。
世界中から声が届いている。
神である彼には。
そのすべてが聞こえる。
『助けてください!』
『どうしてですか!』
『神様!』
『子供だけは!』
『何でもします!』
『お願い!』
『貴方が私たちを救ってくれたのでしょう!』
一つ一つが。
耳元で叫ばれているのと変わらない。
それでもヒューミリスは。
聖杯だけを見ていた。
「もう少しだよ」
優しい声だった。
「もう少しで、君を助けられる」
その中央。
分解された魂として眠る瑠美奈へ。
父は話しかけている。
地上で。
何万人。
何十万人。
何百万人。
命が消えていく。
聖杯の数値が。
少しずつ。
上昇していた。
【Soul Resource:12.4%】
【17.8%】
【23.1%】
人間の命が。
数字へ変わる。
アルディアの脳裏に、影那が浮かんだ。
【Function:Fuel】
母。
【Function:Core】
今度は。
世界中の人々。
【Resource】
「……同じ」
名前が。
消える。
人生が。
消える。
誰かの父。
誰かの母。
誰かの娘。
誰かの恋人。
それが。
全部。
数字になる。
「お父さん」
アルディアは玉座へ近づいた。
「貴方が一番嫌だったことでしょう?」
黒野が。
人間を。
役割へ変えること。
仲間を。
物語の部品にすること。
影那を。
燃料にすること。
瑠美奈を。
中枢核と呼ぶこと。
「なのに」
今度は。
父自身が。
それをやっている。
何億の人生を。
「お母様を戻すための材料にしてる」
ヒューミリスは何も答えない。
もちろん。
届かない。
それでもアルディアは言った。
「分かるよ」
自分でも。
その言葉が出たことに驚いた。
「私だって、お父さんを取り戻したかった」
キアロン。
ジュラ。
バハムート。
全部。
返してほしかった。
そのためなら。
何だってしたいと思った。
母に消される直前まで。
そう願っていた。
「大切な人を取り戻したい気持ちは、分かる」
だから。
余計に。
次の言葉を。
逃げずに言った。
「でも、これは駄目」
理解と。
肯定は。
違う。
「この人たちは、お母様を奪った人じゃない」
地上。
少女が泣いている。
瓦礫の下。
動かなくなった母親へ縋りついている。
「何もしてない」
別の場所では、老人が妻の手を握っていた。
逃げられないと悟ったのだろう。
二人で。
空を見ている。
「お父さんにだって」
若い兵士が、子供たちを地下室へ押し込む。
自分だけ。
外へ残る。
「何もしてない」
そして。
光。
また。
命が消えた。
ヒューミリスが。
玉座で。
両手を広げる。
「僕のために」
世界が燃える。
「君のために」
聖杯が。
黒く染まっていく。
「何よりも」
父の瞳へ。
狂気の光が宿った。
「愛のために」
アルディアは顔を歪めた。
「それを」
声に怒りが混じる。
「愛って呼ばないで」
ヒューミリスは笑った。
あるいは。
泣いていたのかもしれない。
「残酷だと罵ればいい!」
街が一つ消える。
「凄惨だと呪えばいい!」
海が割れ。
沿岸都市が光に包まれる。
「血みどろになって、何もかも破壊し尽くしてやる!」
【Soul Resource:31.9%】
「もう二度と、僕は失わない!」
【37.2%】
「僕たちの幸せは!」
四割。
「ここにはない!」
アルディアは。
父を。
見ていた。
もう。
世界を見ていない。
未来だけ。
見ている。
自分と瑠美奈が。
もう一度。
一緒に笑う。
その未来。
「遥か未来にあるんだ!」
五割。
【Soul Resource:50.0%】
音が。
止まった。
機械天使たちが。
動きを止める。
七つの大罪も。
殺戮を止める。
必要な量が。
満ちた。
それだけ。
世界の半分が。
死んだ。
――静寂。
あまりにも。
静かだった。
さっきまで聞こえていた。
悲鳴。
祈り。
泣き声。
助けを求める声。
その半分が。
消えた。
燃え上がる都市。
無数の亡骸が浮かぶ海。
血で黒く染まった大地。
ヒューミリスが。
千年以上かけて。
完璧にした世界。
それを。
本人の命令で。
半分まで壊した。
アルディアは。
しばらく。
何も言えなかった。
父が。
可哀想だと思った。
黒野に。
人生を弄ばれた。
仲間を奪われ。
母を奪われ。
千年以上。
一人で。
願いを守った。
それは。
全部。
本当。
「でも……」
眼下を。
見る。
「それでも」
死んだ人々も。
本当。
「貴方がやった」
アルディアは。
父を見た。
「黒野に仕組まれてても」
罠を。
用意したのは。
黒野。
道を。
作ったのも。
黒野。
でも。
最後に。
命令したのは。
「貴方だよ」
ヒューミリス。
父。
その人。
アルディアは。
目を逸らさなかった。
「だから」
父を。
理解する。
父が。
そこへ落ちた理由を。
全部。
見る。
「私は」
それでも。
「貴方がしたことまで、無かったことにはしない」
Trash Boxで。
学んだ。
消すな。
存在したものを。
都合よく。
無かったことにするな。
それは。
悲劇だけではない。
罪も。
同じ。
「覚えてるから」
誰に届かなくても。
アルディアは。
言った。
「貴方が優しかったことも」
世界を。
救ったことも。
「壊れたことも」
世界を。
殺したことも。
「全部」
それが。
人間なのだと。
今は。
思う。
聖杯が。
低い音を鳴らした。
【必要魂魄量ノ充填ヲ確認】
【対象個体ノ分離及ビ再構成ヲ開始】
ヒューミリスが。
初めて。
玉座から立ち上がった。
「瑠美奈……」
黒く染まった聖杯の光が。
一点へ。
収束していく。
アルディアも。
息を呑んだ。
光が。
形を作る。
最初は。
骨。
その周囲へ。
肉体。
皮膚。
長い髪。
ゆっくりと。
一人の少女が。
聖杯から。
降りてくる。
「……お母様」
天城瑠美奈。
死んだ。
母。
世界へ。
拡散された魂。
それが。
もう一度。
一人の人間として。
形を持った。
ヒューミリスが。
落ちてくる身体を。
抱き止める。
「瑠美奈」
返事はない。
身体は。
冷たい。
けれど。
いる。
腕の中に。
母が。
いる。
「……戻った」
アルディアの。
胸が。
震えた。
本当に。
戻した。
世界の半分と。
引き換えに。
父は。
母を。
取り戻した。
ヒューミリスは。
何度も。
瑠美奈の髪へ触れた。
頬を。
撫でた。
壊れ物を。
扱うように。
「もうすぐ会えるからね」
声は。
ひどく。
優しかった。
さっき。
世界の半分へ。
死を命じた。
同じ人間の声とは。
思えないほど。
「起きたら」
頬へ。
付いていた。
自分の血を。
拭う。
「帰ろう」
アルディアが。
目を細める。
「帰る……?」
「僕たちがいた時代へ」
アルディアの。
胸が。
強く。
脈打った。
元の時代。
現代日本。
Save Data 01。
六月。
父と。
母。
そして。
生まれるはずだった。
自分。
「……」
もし。
二人が。
帰ったら。
今度こそ。
三人で。
生きられる?
そんな。
馬鹿な考えが。
一瞬。
浮かんだ。
でも。
これは。
過去。
既に。
結果は。
知っている。
自分は。
その世界で。
生まれていない。
「……また」
嫌な予感がした。
ヒューミリスは。
聖杯へ。
手を置く。
「この世界を捨てる」
眼下。
半分死んだ。
世界。
「僕と瑠美奈を」
父は。
迷いなく。
告げる。
「元の時代へ転生させろ」
【転生要求ヲ確認】
聖杯の輪が。
高速で。
回転する。
アルディアは。
祈るような気持ちで。
見ていた。
何を。
祈っているのか。
自分でも。
分からない。
成功?
失敗?
もし。
成功したら。
今の自分は。
何なのか。
その時。
赤。
空間へ。
警告が。
表示された。
【ERROR】
ヒューミリスの。
表情が。
止まる。
【転生権限ノ重複ヲ確認】
「……何だ」
【対象個体ハ、既ニ一度ノ転生ヲ完了シテイマス】
沈黙。
「待て」
ヒューミリスが。
聖杯を。
見上げる。
「僕たちは、元の時代へ帰るだけだ」
【要求ヲ拒否】
「必要な魂なら集めた!」
その言葉に。
アルディアは。
胸を刺された。
世界の半分。
集めた。
その表現。
もう。
完全に。
Resourceとして。
見てしまっている。
【魂魄量ノ問題デハアリマセン】
「なら何だ!」
【転生回数ノ上限デス】
ヒューミリスの。
顔から。
血の気が。
引いた。
「一度……」
声が。
掠れる。
「僕たちは」
現代日本から。
この世界へ。
「一度、転生しているから……?」
【肯定】
アルディアも。
言葉を失った。
「そんな……」
世界の半分。
全部。
このため。
父が。
壊したもの。
殺した人。
捨てた。
千年以上の平和。
全部。
なのに。
「……最初から」
背後で。
小さな。
笑い声がした。
ヒューミリスの。
顔が。
ゆっくり。
動く。
黒野。
肩を。
震わせている。
笑いを。
堪えて。
「……お前」
ヒューミリスが。
瑠美奈を抱いたまま。
振り返る。
「知っていたな」
黒野は。
否定しなかった。
「ああ」
アルディアの。
胃の奥が。
冷たくなる。
「知っていて」
父の声が。
震える。
「僕に世界を殺させたのか」
黒野は。
少し。
不思議そうな顔をした。
そして。
言った。
「聞かれなかったからね」
その瞬間。
アルディアの中で。
何かが。
切れた。
「――っ!」
拳を。
振り抜いた。
もちろん。
届かない。
それでも。
殴らずには。
いられなかった。
「この……!」
黒野の顔を。
何度も。
殴る。
手が。
すり抜ける。
「それで!」
もう一度。
「それで済ませるの!?」
黒野は。
笑っている。
「世界の半分よ!」
また。
拳。
「何人死んだと思ってるの!」
返事は。
ない。
「知ってたんでしょう!」
黒野は。
全部。
知っていた。
ヒューミリスが。
どう選ぶかも。
世界が。
どう壊れるかも。
それを。
見たかった。
ただ。
それだけ。
「……最低」
アルディアは。
拳を。
下ろした。
でも。
次の瞬間。
自分の。
言葉を。
飲み込む。
違う。
それだけでは。
駄目。
黒野が。
最低だから。
父の罪が。
消えるわけではない。
アルディアは。
ヒューミリスを見る。
父は。
世界を。
殺した。
黒野は。
知っていた。
誘導した。
楽しんだ。
それでも。
命令したのは。
父。
両方。
覚えておく。
どちらか一方を。
消して。
話を。
簡単にしない。
それが。
今。
自分に。
できること。
ヒューミリスは。
動かなかった。
腕の中には。
瑠美奈。
眼下には。
自分が。
殺した世界。
「……無駄だったのか」
かすかな声。
「全部」
その問いに。
黒野だけが。
笑わなかった。
「無駄じゃないよ」
ヒューミリスが。
顔を上げる。
「……何?」
黒野は。
指を。
一本。
立てた。
「抜け道はある」
アルディアは。
反射的に。
叫んだ。
「聞くな!」
もう。
知っている。
黒野の。
その言葉。
救済ではない。
次の。
地獄だ。
「二人は無理でも」
黒野は。
微笑んだ。
「一人なら」
指が。
一本。
「二度目の転生を通せる」
ヒューミリスは。
腕の中の。
瑠美奈を。
見た。
迷った時間は。
一秒も。
なかった。
「瑠美奈を送れ」
黒野の。
眉が。
僅かに。
動いた。
「即答か」
「彼女を、元の時代へ」
「君は残るよ」
「ああ」
あまりにも。
簡単だった。
アルディアは。
父を。
見つめる。
世界の半分を。
殺した男。
愛する人のために。
すべてを。
踏みにじった男。
なのに。
二人のうち。
一人しか。
救えないと知った瞬間。
自分を。
選ばなかった。
「……お父さん」
理解できない。
優しいのか。
残酷なのか。
利己的なのか。
自己犠牲的なのか。
その全部。
なのかもしれない。
ヒューミリスは。
血に染まった世界を。
見下ろした。
「僕はここに残る」
瑠美奈を。
強く。
抱き締める。
「魔王にでも、何にでもなればいい」
黒野が。
少しだけ。
楽しそうに。
笑った。
ヒューミリスは。
瑠美奈の額へ。
口づける。
「待つよ」
一億年でも。
二億年でも。
いつか。
彼女が。
再び。
ここへ来るまで。
今度こそ。
誰も。
犠牲にしない。
本当の。
幸福を。
「僕は、ここで待っている」
アルディアは。
その言葉を。
聞いていた。
そして。
知っている。
この願いも。
まだ。
終わりではない。
聖杯が。
再び。
動き始める。
【転生対象ヲ確定】
【対象――天城瑠美奈】
【転生先――一億五千万年後】
光が。
母を。
包む。
アルディアは。
その表示を。
見上げた。
一億五千万年後。
自分が。
知っている。
あの世界へ。
母が。
戻ってくる。
「……帰れる」
初めて。
小さな。
安堵が。
胸へ。
生まれた。
その直後。
警告音が。
鳴った。
【WARNING】
アルディアの。
顔から。
血の気が。
引いた。
「……まだ?」
赤い文字が。
表示される。
【転生質量ガ不足シテイマス】
【対象ノ完全再構築ハ不可能】
ヒューミリスが。
聖杯を。
睨んだ。
「今度は……何だ」
アルディアも。
同じ気持ちだった。
「もう……」
世界の半分。
殺した。
父は。
残ると決めた。
それでも。
まだ。
足りない。
「もう、何を取るのよ……」
聖杯の光が。
ゆっくりと。
向きを変えた。
母から。
父へ。
【追加供給源ヲ要求】
【同一転生経路ヲ持ツ高密度魂魄】
そして。
最後の表示。
【適合個体――Humilis Vanitas】
アルディアは。
息を止めた。
父も。
聖杯を。
見つめていた。
世界の半分を。
奪って。
それでも。
まだ。
物語は。
彼から。
奪おうとしている。
今度は。
彼自身を。




