『Vendetta 0』第六章:遺された時計仕掛けの夢
海を渡った先に、霧があった。
濃い、白い霧。
船の舳先が霧を割っても、霧は割れない。ただ左右に分かれて、また後ろで閉じる。
「……本当にこの先に島があるのか」
テンペランスが呟いた。
「あるよ」
ヒューミリスは前を向いたまま答えた。
根拠はない。
ただ——あの患者の体に刻まれていた呪詛の術式。あれは魔術だけで作れるものではなかった。
別の技術が混ざっていた。機械的な、精密な何かが。
その匂いを辿れば、必ず辿り着ける気がした。
やがて霧が晴れた。
目の前に現れたのは——緑でも砂でもなく、錆びた鉄と真鍮だった。
絶え間なく蒸気を噴き上げる煙突の森。
歯車が組み合わさった奇妙な建造物。
人工の光が、霧の残滓を照らしている。
「隔離地域『未来島』」
パトスが静かに言った。
「人形師が、生涯をかけて築いた場所だ」
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上陸すると、機械の音だけが出迎えた。
清掃ロボットが、プログラム通りに床を磨いている。
誰もいないのに。主がいないのに。ただ、命じられたことを続けている。
「……静かねぇ。機械の音しかしやしない」
牡丹が煙管の煙を吐いた。
「人の気配がありません」
カスタが周囲を警戒しながら言う。
「まるで、島全体が墓場のようです」
朽ち果てた研究施設。
割れたままの窓。埃をかぶった実験台。
だが——不思議と、荒らされた形跡はない。
時間が止まっている、というより。
主を待ったまま、静止している感じがした。
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島の入口に、ターミナルがあった。
ヒューミリスが触れた瞬間——空中に青白い光が集束した。
一人の青年の姿が、ホログラムとして投影される。
白衣を纏い、片目にモノクルをかけた優男。
どこか疲れた、でも穏やかな顔をしている。
『ようこそ、未来からの訪問者よ』
録画だ、とすぐに分かった。
映像の目は、こちらを見ていない。見ているふりをしているだけだ。
『この映像を見ているということは、僕はもう死んでいるのだろうね』
アマリスが「クロノさん?」と声をかけたが、当然、映像は反応しない。
『僕は失敗した。科学で魔に対抗できると証明したかったが——寿命には勝てなかったよ』
男——ディリジア・クロノグラフは、疲れたように笑った。
『この島にあるのは、僕の「勤勉」な人生の残骸だ。……でも、最高傑作たちは眠らせておくには惜しい』
ホログラムの目が、ヒューミリスを捉えた。
正確には、捉えているように設定されていた。
それでも——その視線は、妙にまっすぐだった。
『君からは、僕と同じ「理を書き換える」匂いがする』
【システム通知:管理者権限の譲渡申請を確認】
【承認しますか? YES / NO】
ヒューミリスは迷わず「YES」を選んだ。
掌に、黄金の鍵が出現した。
『感謝する。……僕の可愛い娘たちを、頼んだよ』
映像が消えた。
静寂が戻る。
ヒューミリスは手のひらの鍵を見つめた。
「……受け取った」
誰に言うでもなく、呟いた。
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「行くぞ。最初の娘は、この島の中心にいる」
ヒューミリスたちは、島の中央へ向かった。
霧の向こうにそびえていたのは、漆黒の尖塔。
人形師クロノが島の核として築いた中枢塔——**黒の塔**。
近づくだけで、身体が変な感覚に包まれる。
若返るような。老いるような。時間の流れが、ここだけ壊れている。
「時間が……狂ってる?」
テンペランスが剣を構えた。
塔の周囲では、時計の針が逆回転し、空間そのものが軋むように歪んでいる。
「マスター権限のない者は入れない構造だ。俺が開く」
ヒューミリスは黄金の鍵をかざした。
『理の干渉』——時間軸同期。
ギギギギ……ガシャァァァン!!
塔の入口を塞いでいた「時間の壁」が解除され、巨大な歯車の扉が開いた。
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最上階に、少女がいた。
無数の振り子が揺れる部屋の中央。
陶器のように白い肌。
メイド服に似た戦闘装束。
身の丈ほどの大鎌を携えて、ただ立っていた。
ヒューミリスが足を踏み入れた瞬間、少女の瞳が開いた。
「……起動シークエンス、確認」
感情のない声。
「待機時間、7万8千時間経過」
7万8千時間。
約9年。
「識別個体名:E-10587987。……おはようございます、新たなマスター」
少女はヒューミリスの前に跪いた。
「お前が、クロノの最高傑作か」
「肯定。私は、魔を滅ぼすために造られました」
一拍の沈黙。
「命令を」
「ついて来い。世界を救う」
「了解。……ターゲット確認。全魔族の殲滅を開始します」
「もう少し段階を踏んでくれ」
「……了解。段階を踏みます」
テンペランスが小さく吹き出した。
「随分と物騒な最高傑作だな」
「効率を最優先した結果だろうねぇ」
牡丹が面白そうに目を細める。
ヒューミリスは少女を見た。
「通称は?」
「識別略称、エリュ」
「分かった。エリュ、まずは同行しろ」
「了解。同行します、マスター」
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マスター権限を使って、島の施設を次々と解放していった。
次に向かったのは、島の知識と記録を一括保存していた大図書館——**クロノライブラリー**だった。
内部には天井まで届く本棚が立ち並び、紙の匂いと機械油の匂いが奇妙に混ざり合っている。
中央の演算卓だけが、今もかすかに青い光を灯していた。
その最深部で、眼鏡をかけた機巧少女が目を覚ました。
「識別個体名:A-3897419」
彼女は起動するなり、ヒューミリスを見上げて言った。
「やれやれ、やっとお目覚めですか。……計算より遅い到着ですね、マスター?」
「寝てたのはお前だろう」
「それはそうですが」
眼鏡の奥の瞳が、すっと仲間たちを見渡す。
「現戦力を確認。……ああ、なるほど。最低限、壊滅は避けられそうな編成ですね」
「お前、起き抜けに失礼だな」
テンペランスが眉をひそめる。
「事実確認です。感情的反応は不要かと」
「こいつ、カスタより嫌な言い方するぞ」
「心外です。不浄呼ばわりはしていません」
「してないだけで大概だろうが」
島の演算中枢と魔術解析を担っていた個体らしい。
皮肉めいた口調の端々に、設計者譲りの理知が滲んでいた。
「通称は?」
「アル。そう呼ばれていました」
「じゃあ、アル。今からお前も来い」
アルは一拍置き、静かに頷いた。
「了解しました、マスター。クロノ様の権限継承を確認。以後、補佐機として随伴します」
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島の北端には、賓客用に設計された迎賓館——**クロノ館**があった。
古い様式の意匠を残したその館は、人気がないはずなのに、どこか誰かを待ち続けている気配を宿していた。
巨大な扉を開くと、赤い絨毯がまっすぐ奥へ伸びている。
その終点、玉座の前で、重装甲のドレスを纏った無口な機巧少女が待っていた。
「識別個体名:G-3497816」
彼女は起動すると、ヒューミリスをじっと見て、短く言った。
「……マスター、守る。それだけ」
「ありがとう」
「……どういたしまして」
「短っ」
アマリスが思わず言ってしまう。
少女は少しだけ首を傾げた。
「長く話す必要が、ありません」
「う、うん……強い子なんだね」
迎賓館そのものを要塞として運用するための護衛個体。
言葉数の少なさに反して、その佇まいだけで役割は十分に伝わった。
「通称は?」
「ジー」
「分かった、ジー。お前も同行だ」
「了解。護衛を開始します」
彼女が一歩前に出た瞬間、床下で重い駆動音が鳴った。
館そのものが武装を内包していることを、誰もが直感した。
テンペランスが低く口笛を吹く。
「……こいつは要塞だな」
アルが淡々と補足する。
「事実です。ジーは迎撃・防衛・拠点制圧を担当します」
「お前は説明口調だな」
「役割理解は重要ですので」
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三体が揃った。
整列する機巧少女たちを前に、テンペランスが腕を組んで唸る。
「……これだけの戦力が、眠っていたとは」
「うぅ……お友達が増えたのは嬉しいですけど、みんな無表情で怖いです……」
アマリスがおっかなびっくりエリュに指を伸ばす。
「……触れると切れますよ」
アマリスが慌てて手を引っ込めた。
「切れません! 人を傷つけるための鎌じゃないです!」
「……触れると、機械部品が外れるかもしれません」
「それも嫌です!!」
牡丹がニヤニヤと眺めている。
カスタが「不浄な島ですね」と呟き、パトスが「お前はどこに行っても文句があるな」と返した。
アルが眼鏡の位置を直しながら言う。
「騒音値が上昇しています。もう少し静粛に行軍を」
「無茶言うなよ。うちの編成見てから言え」
テンペランスが呆れたように肩をすくめる。
ジーは黙ったまま、ヒューミリスの半歩後ろに立った。
エリュは大鎌を静かに担ぎ、アルは周囲の構造を走査している。
ヒューミリスは、騒がしい仲間たちから少し離れ、空を見上げた。
霧が晴れて、星が見えていた。
「あんたの勤勉、確かに受け取った」
クロノへの言葉は、誰にも聞こえない声で。
受け取ったのは、力だけじゃない。
9年間、ただ眠り続けた三体の少女たちを遺して、それでも諦めなかった男の——意志だ。
勤勉は、死んではいなかった。
人形師クロノの生涯は終わっても、その理想は三つの器に分かたれ、今また動き出したのだ。
ヒューミリスは振り返った。
「全機、随伴せよ」
三体が同時に頷いた。
「次は最南端——終焉の地だ」
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出発の朝、アマリスがエリュの隣を歩いていた。
未来島を離れる船の甲板。
朝靄の向こうで、黒の塔が少しずつ遠ざかっていく。
「エリュさんって、9年間ずっと一人で待ってたんですか?」
「……待機していました」
「寂しくなかったですか?」
エリュは少し間を置いた。
「……感情回路に、その概念がありません」
「そうですか……」
アマリスがしゅんとする。
エリュはまた少し間を置いた。
「……ただ」
アマリスが顔を上げる。
「起動した時、マスターの声を聞いた時」
一拍。
「エラーが出ました。原因不明の」
「……それ、嬉しかったってことじゃないですか?」
エリュは答えなかった。
ただ、その無表情がわずかに——本当にわずかに、柔らかくなったような気がした。
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一行は南へ向かって進んだ。
九人と一頭。
世界の最果てへ向かって。




