表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Vendetta Re-Verse ― 血と復讐の叙事詩 ―  作者: 慧梓
VendettaZero

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/20

『Vendetta 0』第五章:飢えたる剣、節制の果て

戦場の匂いは、血と油と硝煙だった。

聖国領の清浄な空気が遠ざかり、代わりに重く淀んだ空気が肺を満たす。

パトスの背から眼下を見渡すと、無数の旗が乱れ飛ぶ平原が広がっていた。

小国家群スモール・ステイツ」。

大小様々な国家が乱立し、昨日の同盟国が今日は敵になる、終わりのない戦場。

「……空気が悪いねぇ。ここには『粋』も『信仰』もありゃしない」

牡丹が扇子で口元を覆い、顔をしかめる。

「これが、戦争……」

アマリスが不安げに杖を握りしめた。

「南の王国とはまた違う、ドロドロしたものを感じます」

ヒューミリスは眼下の平原を見ていた。

無数の兵士。無数の旗。無数の死。

そしてその中央に——奇妙な「空白」があった。


戦場の中心に、誰も踏み込めない場所がある。

数千の兵士たちが、たった一人を遠巻きに取り囲み、恐怖で動けずにいる。

その中心で、男が座禅を組んでいた。

ボロボロの灰色の外套。

膝の上に置かれた、刃こぼれ一つない巨大な剛剣。

男は目を閉じている。周囲の喧騒を、完全に遮断しているかのように。

「あの男……強い」

カスタが青ざめた。

「パトス様と同格か、それ以上の気配を感じます」

「グルル」

パトスが低く唸る。

「獣のカンだが——奴は『飢えて』いるな。血に、あるいは勝利に」

「行ってみよう」

ヒューミリスはパトスを降下させた。


巨大な白銀の狼が戦場の中央に降り立った瞬間、兵士たちはパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

残ったのは——ヒューミリスたちと、座禅を組んだままの男だけ。

「……邪魔をするな」

男が薄目を開けた。

冷たい鋼の色をした瞳。極限まで感情を抑制した、静かな目。

「私は均衡を保たねばならん」

「均衡?」

ヒューミリスは男を見た。

「ただ我慢しているようにしか見えないが」

男の眉がピクリと動いた。

「我慢ではない。節制だ」

低い声が、静かに答える。

「力とは、振るうためにあるのではない。抑え込むためにある」

男は語った。

かつてその剣で多くの命を奪ったこと。

強すぎる力は世界を歪めること。

だから自らに厳格なルールを課し、食事すら最低限に抑え、力の行使を極限まで制限してきたのだと。

「腹が減っては戦はできぬ、と言いんすがねぇ」

牡丹が呆れたように扇子を仰いだ。

男は答えなかった。


その時、地平線の向こうから地鳴りが響いた。

逃げ去ったはずの兵士たちが——魔導兵器を率いて戻ってきた。

「あいつらだ! 賞金首の花魁と、銀色の化け物だ! 殺せェェ!!」

四方八方から砲撃が迫る。

男——テンペランスが立ち上がろうとした瞬間。

「ぐ……ッ」

膝が、折れた。

腹が、鳴った。

「グゥ~」

盛大に。

「……不覚」

空腹と疲労。節制の限界が、今この瞬間に来ていた。

「馬鹿だねぇ、アンタ」

牡丹が扇子を開き、結界を展開する。

「死んじまったら、節制もへったくれもないだろうさ!」

「下がってろ」

ヒューミリスが前に出た。

手を掲げる。

着弾寸前の砲弾が空中で静止し、光の粒子となって手のひらに吸い込まれていく。

テンペランスが目を見開いた。

「な……!?」

ヒューミリスは吸収したエネルギーを手のひらで圧縮した。

凝縮して、凝縮して——一つの輝く塊へ。

形は、リンゴに似ていた。

「ほら、食え」

無造作に放り投げる。


テンペランスは反射的に受け取った。

魔力の塊。常人なら触れただけで消し飛ぶエネルギー体。

だが——極限の空腹が、理性を凌駕した。

「……いただく」

ガブリッ。

齧った。

途端、全身から爆発的な闘気が噴き上がる。

抑制していたリミッターが外れ、その肉体が膨れ上がるような錯覚。

「美味い……! なんだこれは、力が……溢れてくる……ッ!!」

テンペランスが剛剣を構えた。

もはや迷いはない。

「我が剣は空腹なり。全てを喰らい尽くさん!!」

ズバァァァァァァンッ!!!

一振り。

衝撃波が地平線まで駆け抜けた。

魔導兵器の大隊が、空間ごと削り取られて消えた。

殺すのではない。文字通り、剣圧で——更地にした。


砂煙が晴れた。

テンペランスは我に返り、自分の手を見つめていた。

「私は……禁忌を破り、力を解放してしまった……」

「いい斬撃だったよ」

ヒューミリスが拍手した。

「抑えるだけが能じゃない。時には食らって、消化して、自分の血肉にするのも——節制のうちだ」

テンペランスは長い沈黙の後、ゆっくりとヒューミリスを見上げた。

「……貴殿の与えた糧、極上の味であった」

剣を鞘に納め、跪く。

「私の渇きを癒やしたのは、貴殿が初めてだ」

一拍。

「私の名はテンペランス・ジハード。……この剣と命、貴殿に委ねよう。私の食欲が世界を食い尽くすその日まで——貴殿の節制コントロールの下に」


「……」

牡丹が、新しい仲間をじっと見ていた。

「アンタ、腹が減ったらまた暴走するのかい?」

「……努力する」

「努力じゃ足りないねぇ」

「……善処する」

「善処でも足りないよ」

「では、尽力する」

「言葉を変えてるだけだよ!!」

カスタが呆れた顔で割って入った。

「貴方たち、もう少し建設的な会話ができませんか……?」

テンペランスは静かに立ち上がり、パトスを見上げた。

『……大食らいが増えたな』

「失礼な」

「否定できないだろう」


一行は六人になった。

平原を後にして北西へ向かいながら、ヒューミリスはテンペランスの横顔を見た。

剣を背負い、無言で歩く男。

その腹が、また小さく鳴った。

「……食うか」

「……いただく」

干し肉を渡す。テンペランスは無言で受け取り、静かに噛んだ。

「旨い」

「よかった」

それだけだった。

それだけで——なんとなく、信頼できる気がした。

ヒューミリスは前を向いた。

次は、南西の海を越えた孤島。

人形師が残したという、機械仕掛けの夢が眠る場所。

「未来島か」

呟きが、風に溶けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ