エピローグ:非効率な休日の過ごし方
本編を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
こちらは、平和になった世界でアレスがどう過ごしているかを描いた、ささやかな後日談です。
少し肩の力を抜いてお楽しみください。
アレスティア建国から一年。
かつての「棄民の地」は、今や大陸全土から「知の都」と称えられていた。
だが、その国の主であるアレス・グレイの姿は、今日も総統執務室にはなかった。
「……またですか」
警備局長に就任したシエラ・フォン・アルトワは、執務机の上に置かれた一枚のメモを手に、こめかみを指で押さえた。
そこには、幾何学的なほど整った筆跡でこう記されていた。
『本日、思考のデフラグ(整理)のため外出する。捜索は不要。論理的に考えて、僕を見つけ出すコストは君たちの業務時間を圧迫するだけだ。』
「あの分からず屋の天才……! カイル、陛下がどのゲートを通ったか分かっているの?」
秘書官として多忙な日々を送るカイルが、苦笑しながら端末を操作する。
「第3地区のマーケットプレイスですね。さっき、露店で『このリンゴの糖度分布を測定したい』とか言って、店主を困らせていたという目撃証言が上がっています」
「……行くわよ。緊急時以外は自由にしていいと言ったけれど、明日は隣国の通商代表団との会談があるんだから」
*
アレスティア第3地区。
そこは、王都出身の難民も、旧軍の兵士も、亜人も、誰もが対等に商売を営む活気あふれるエリアだ。
アレスは、運河沿いのベンチに座り、ぼんやりと水面を眺めていた。
その手には、半分かじったパンがある。
「……ふむ。酵母の活動限界を魔法で $0.5% $ だけ引き上げれば、さらに食感が改善されるはずですが。それをやると『手作りの不均一さ』という情緒が失われる。実に難解な問題だ」
「陛下。独り言で世界の理を修正しようとするのは、休日の定義から外れていると思いますが」
聞き慣れた声に、アレスは顔を上げることなく隣のスペースを開けた。
シエラが、軍服の裾を翻して隣に座る。
「シエラか。君の追跡パターンは以前より $12% $ 向上したようですね。警備局の教育プログラムが機能している証拠だ」
「貴方を追いかけるのが一番の訓練ですから。……それで? 今日はここで何を計算しているのですか?」
「何もしないことを、計算しています」
アレスはパンの最後の一片を口に放り込み、空を見上げた。
「かつて王都にいた頃、僕は空を見るたびに結界の綻びや魔素の偏りを計算していた。……でも、今はただの『青い色』としてしか見ていない。これほど非効率で、贅沢な時間の使い方は初めてです」
シエラは、アレスの横顔を盗み見た。
かつての刺すような冷たさは消え、そこには自分の作った「平和」という結果を享受する、一人の青年の顔があった。
「……貴方が守った世界ですよ、アレス。皆、貴方の作った『理』の中で、ようやく人間らしく笑えるようになった」
「僕が作ったのは『場』に過ぎない。そこで笑うかどうかは、彼らの自由だ」
アレスは立ち上がり、軽く伸びをした。
「さて、シエラ。せっかく見つかったんだ。帰る前に、少しだけ付き合ってもらおう。この近くに、前世の記憶にある『喫茶店』という概念を再現した店がある。そこのコーヒーの抽出温度が理論値に近いかどうか、君にも確かめてほしい」
「……それ、ただのデートのお誘いと解釈してよろしいのかしら? 陛下」
シエラが少しだけ茶化すように微笑むと、アレスは一瞬だけ言葉を詰まらせ、フイと視線を逸らした。
「……相関関係は不明ですが、二人の人間が同時に飲食を行う行為には、統計的に親密度を向上させる効果があるとされています。……計算の結果、断るメリットは君にもないはずだ」
「ふふっ。相変わらず、可愛くない言い方」
シエラはアレスの隣に並び、歩き出した。
街のあちこちから、アレスが普及させた「魔導ラジオ」の音が聞こえてくる。
かつての魔導士公会の審問官が、今やアレスティア大学の講師として「魔法の論理的基礎」を熱心に講義している声。
再教育キャンプを卒業した元貴族たちが、工事現場で「この魔導重機は素晴らしい!」と叫びながら汗を流している報告。
世界は、確実に書き換えられた。
一人の「追放者」が持ち込んだ、圧倒的な正しさと、少しの不器用さによって。
「アレス。……私、この国に来てよかった」
「……計算通りです」
アレスは短く答えたが、その耳たぶがほんの少しだけ赤くなっているのを、シエラは見逃さなかった。
夕日に染まるアレスティアの街並み。
それは、どんな魔法式よりも美しく、完璧な「正解」を描き出していた。
アレスとシエラ、計算外の距離感でしたね(笑)。
改めまして、完結までのお付き合い、心より感謝申し上げます。
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