Example 1-22
フェンシングの部門が始まると、元帥はパーシヴァルに耳打ちした。これは番号順の二組から始まるトーナメント制で、最後に残った一人が最も点数を貰えるものだった。
「なあパーシヴァル、少し試したい事があるんだが、どうかね。」
「はあ、なんでしょうか。」
元帥が手で招くと、一人の直属の部下が一振りの競技用のレイピアを持ってやってきた。元帥はそれを受け取ると、先を見た。
「あの皇太子は恐らく決勝まで勝ち上がるだろう。それで、その時に皇太子の相手となる受験生にこれを渡したい。」
元帥は、防護用についているフェンシングの剣先のカバーを抜いた。
「か、閣下それは! 命に関わります、おやめください……!」
慌てて行為が見えないように受験生達から覆い隠し、パーシヴァルは困ったような焦ったような顔で忠告した。
「死ぬと思うか? 彼が。」
意地の悪い笑い方だった。長年の付き合いでパーシヴァルはこの元帥の事はよく分かっている。彼の突拍子のない遊び心からの提案であった。
「……もし傷が一つでもついたら、そこで試験を一度中止して下さい。必ずです。」
「勿論だとも! ありがとうパーシヴァル、私は彼がどれだけ肝の据わった者なのか試してみたいんだよ。」
パーシヴァルはほとほと呆れたため息を吐いた。しかし元帥のやり方は手っ取り早い。そして、彼の政治的立場においても、実に周到な余興であった。
予想通り、バスカヴィルは決勝まで勝ち上がった。バスカヴィルはフェンシングを受け取ると、目の前の白髪の青年に向き合ってレイピアを構えた。
「受験番号七八二〇四三五、ガウェイン、受験番号七八二六六六六、バスカヴィル!」
ガウェインと呼ばれた青年もまたレイピアを構えた、その先が、ライトで照らされて反射する。
「始め!」
互いのレイピアが空を切った。耳元でその細剣が唸る。元帥とパーシヴァルは身を乗り出してまじまじとそれを眺めた。まるで剣の動きが見えない。老眼鏡をかけてもスピードについていけないだろう。互いの剣がぶつありあい、空気の中を波のように先がうねった。
(まずい!)
パーシヴァルは声にこそ出さなかったが、そのガウェインが持つレイピアの先がまっすぐバスカヴィルの頰に向かっていくのを確かにはっきりと見た。傷を知らない柔らかな皮膚が尖った先端で切り裂かれた。会場の受験生達が凍りつく。
「試合やめぇ!」
元帥は約束通り声を上げた。しかし、驚いて怯んだガウェインに対して、バスカヴィルはすかさず攻勢に出た。彼のレイピアに、カバーはついていた。しかしその空間にある、剣撃を遮る一切を彼は払い落とした。ガウェインの手袋が僅かに切れ、しっかりと握られていたレイピアが地面に落ちる。
「ガ、ガウェインき……君! 今すぐ離れなさい!」
そのパーシヴァルの声は、バスカヴィルのレイピアがガウェインの左胸を叩くより遅かった。確かに、だれもが、バスカヴィルが勝利した事を理解した。監督役が戸惑いがちに元帥を仰ぐと、元帥は面白そうに苦笑しながら右手を上げた。見た通りの結果を言うようにという合図だ。
「し、勝敗あり!」
「なんとまあ素晴らしい青年だ。とんでもないぞ、あれは……!」
元帥は頰を紅潮させて喜んだ。今すぐはねて飛びたい勢いだった。だれが見ても、この中で最も優秀なのはバスカヴィルの他なかった。むしろ彼には、軍門の受験者の中で試験内容を一通りやらせたいという気持ちでいっぱいになる。元帥は青い瞳を輝かせた。彼を成績優秀者にする以外、一体なんの道があろうか。
バスカヴィルは、頰の傷の応急措置を拒んだ。血液こそ綺麗に拭って消毒もしてもらったが、なにかを貼る事は極力避けたかった。次の部門は射撃。拳銃と狙撃銃、この二つを使って的を狙う。頰に狙撃銃を当てる際に、邪魔になるのだ。
「何、スコープがないんですか?」
フェンシングの勝敗によって射撃の順番は変わった。勝利したバスカヴィルは一番最後であったが、残った狙撃銃にはたまた整備不良があった。
「はい、よろしければ使用済みの銃をいくらか手入れして――」
「構いません。これでやります。雑に手入れをして暴発されれば、それこそ危険ですから。」
差し出された狙撃銃を手に、バスカヴィルは的の前に進み出た。まずは三十メートル、的に当たれば十メートルずつ距離が伸び、最後は六十メートルになる。
「何? 狙撃銃のスコープが足りなかった?」
「は、使用済みのものは全て施設内に既に持っていっておりますが。」
スコープに関して律儀に元帥の耳に入れた直属の部下がそう説明した。元帥は流石に眉間に皺を寄せる。
「なあにをやっているのだ。六十メートルなんて狙えるわけがないだろう……! 今すぐスコープだけでも取り外して、どうしたのだ将軍。」
「やらせてみましょう、閣下。」
そう言うパーシヴァルに、六十メートルだぞ、と叱りつけようとしたが、元帥ははたとパーシヴァルの視線の先を見た。バスカヴィルはもう五十メートルの的を当てようとしていた。
(そんな馬鹿な、一体スコープなしでどうやってあれを狙うと言うのだ!)
元帥は再び座り込んだ。バスカヴィルは四十メートルで使った銃弾の薬莢を排出すると、再び銃を構えた。
「……まさか照尺と照星でのみ狙っているんじゃあないだろうな。」
「恐らくそのようです、閣下。」
化け物か、と元帥は呟いた。若干中心から外れたが、それでもバスカヴィルは的に当ててみせた。落ち着いたようにまた排莢する。次は六十メートルだった。
(……やるしかない。)
構えて、息を整える。別荘の冬で遠くの兎を狙ったあの感覚を思い出した。会場の中に、二月の冬の冷気が漂ってくる。神経を研ぎ澄まし、よく目を凝らす。もう六十メートルなど当たればいいのだ。しかし兎はそうはいかない。頭か、脊椎か、心臓を狙わなければ爆音に驚いてたちまち見えなくなってしまう。手を震わせる事も、息をする事も出来ない。振動を、心臓の鼓動と全身の脈のみに削ぎ落とす。
(今――)
思いが終わるより前に、引き金は引かれた。
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