イェーテボリでもう一度
二人の知名度が幸いしてか、セキュリティチェックの通過は、それなりにスムーズに進んだ。ツアー客の通過も早いようだったが、個人旅行客の中には、スーツケースをひっくり返されている人もいた。
「女の人でね、下着の袋まで調べられた上に、四時間も拘束されたって話もあるのよ」
エステルが、うんざりした顔でそう言った。
ラヘルが、反論するように言った。
「警備保障に非協力的なら、そのぐらいされても、不思議じゃありません」
その言葉に、エステルは抗議するように手を振った。
「ええ。そりゃ、イスラエルじゃ、あっても不思議じゃない話だわ。でも、世界的に見れば変よ。それがまかり通るのがこの国。それは何故? それはこの国の中に、信じる心がなくなっているからよ。疑うことでしか安心できないぐらい、この国は病んでいる。私はこの国を愛している。だからこそ、病んだままでいて欲しくない。だから私は行動するの」
決然と告げるエステルの目が、ちらとアリを見た。
「そして、私たちは行動するの」
そう付け足された言葉に、アリは頷いた。
先の飛行機が離陸していくのを眺めながら、ふと、エステルが、思い出したようにアリに問うた。
「もう、滑らないの?」
彼女の質問に、アリは首を傾げた。
エステルは、言葉を継ぎ足した。
「できるなら、どこのリンクででもいいから、私、あなたと一緒に、一度でいいから、滑りたいと思ってた」
一度は叶うかと思ったけど、あんなことになった、と言ったエステルの言葉に、私たちは、アナスタシアが重傷を負った、あの狙撃事件を思い出した。
エステルは、寂しそうに微笑みながら、言った。
「私たち、ペアを組んで大会に出ることなんて、絶対にできないから」
その言葉に、アリは、ああ、と頷いた。
国籍を揃えなければ、大会には出られない。
アリはイスラエル国籍など取らない。エステルはイスラエル国籍を捨てられない。
わかった、と告げるように、アリは力強く頷いた。
そして、ラウルや、他の支援者たちと、進めている計画について話した。
「今、僕は、北欧の方で、世界の孤児を支援するためのチャリティーのショーをやろうって、企画してるんだ。できれば、次の春に。現役で競技をやっている人にも声を掛けているから、冬にやると、大会と重なってしまうだろ。だから、シーズン終了間際ぐらいを予定してるんだけど……」
そこで、一緒に滑らないか、と、アリは提案した。
「もちろん、無報酬になるんだけど」
そう言ったアリに、ばかね、とエステルは笑った。
「あなたと一緒に、世界のために滑れるのなら、それに勝る報酬なんて、この世に存在しないわ」
そう断言したエステルの笑顔を、私は、最高に美しいと思った。
「ショーについて、細部まで詰まってきたら、また話をするよ。打ち合わせはメールで大丈夫かな?」
「大丈夫よ」
そう答えてから、会場はどこを予定しているの、と、エステルは訊ねた。
イェーテボリの、あのリンクだ、と、アリは答えた。
「僕たちが、最初に出会った、あのリンクだよ」
かつて、互いに互いを嫌い、憎しみを抱いた状態で出会った、あのリンクだ。
そこで今度は、手に手を取って滑るのだ。
私は、かつて思い描いた夢の一つが、夢ではなくなりつつあることを確信して、喜んだ。
わかった、と答えたエステルは、じゃあ、早めに手を打っておくわ、と言った。
「手を打つ?」
首を傾げたアリに、エステルは苦笑して、言った。
「女だから、牢屋にぶち込まれることはないと思うけど、兵役を拒否するんだもの。相応の目に遭うことは、覚悟しておかなきゃいけないと思う」
まして、当局に睨まれちゃった現状ではね、と、彼女はわざと、おどけたような調子で明るく言った。
アリが、力づけるように言った。
「もし、イスラエル政府が、君の出国を妨害するような様子があったら、僕はスウェーデン政府に直訴してでも、君が来られるように努力するよ」
ありがとう、と、エステルは頷いた。
アリが、そっと、励ますように彼女を抱きしめた。
「また会おう。今度は、スウェーデンで」
ええ、と、エステルも答えた。
「また会いましょう、スウェーデンで」
誰かが、セキュリティチェックでいい加減な受け答えをしたのかして、飛行機は、定刻より一時間近く遅れて、ベングリオン空港を飛び立った。
アリは、眼下に遠ざかっていく大地を、見える限り、いつまでも見つめていた。
考古学研究者の知人は、サンプルのつもりでフィルムケースに詰めていた土を見とがめられて、全部捨てられたことがあるそうな。土は検疫的な意味でもヤバイんじゃないかとは思うが。




