↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二人の空  作者: 蒼久斎
40/47

ラマラの墓地で


 許可証を提示しつつ、エステルははヘブライ語で検問所の兵士とやり取りを行い、ついでにせがまれたらしいサインに、笑顔で答えている。

「慣れたもんだな」

 私の言葉に、ラヘルが、ぼそりと答えた。

「ああやって、彼女は、イスラエルの中で、一度失った居場所を、再び築き上げてきたんです」

 そうか、と、私は納得した。

 民族主義プロパガンダスタイルからの転向により、彼女は、当初彼女を支持していた右派から、一転、攻撃されることになった。その後は、彼女ははっきりとは言わなかったが、おそらく、相当に苦しかったことに違いない。何せ、身内のはずのコーチの中にすら、確実に監視が紛れ込んでいるのだから。

 たしかに、エステルが先に言っていたとおり、嫌になるほどの検問所を通過して、ラマラに到着する頃には、日は完全に暮れていた。

 なんて時間が掛かるんだ、とぼやいた私に、ラヘルがまた、いいえ、と首を振った。

「まだ、早く着いた方だと思います」

「これで?」

 思わず、驚きと抗議の混じった声になった私に、ええ、とラヘルは、淡々とした表情で頷いた。

「そうです。それが当たり前になっているのが、この国、この地域なんです」

 酷い話だ、と言った私に、クルーの一人が、でも、と英語で反論してきた。

「検問所で、テロリストを食い止めた例もある。だからこれがなければ、もっと危険になると思って、なくそうとは、みんな言い出さないんだ」

 その言葉に、私は、数十年に渡って積み重ねられてきた、相互不信の根深さを、痛感した。

 ラマラでは、エステルとアリがオリンピックで使った曲を作るのに参加したという、音楽家の家に滞在させてもらうことになった。

「今日中に着くか、心配してたんだけれど」

 そう言って笑った彼に、私は、この地域の正常のいびつさを、やはり、感じた。

 夕食をごちそうになり、男女別々の部屋で雑魚寝となる。そして、次の日の朝を迎えた。

 その日二人は、エステルが出資して建て、アリの名前がつけられた、パレスチナの孤児の支援施設を訪れた。

 そこには、二人のための曲を書いた、ユダヤとパレスチナの音楽家の合同チームも来ていた。

 始まった演奏会の中、アリとエステルは、即興で踊りを踊って見せた。子どもたちも、一緒になって。

 もちろん、楽しいことばかりなどではなかった。アリはそこで、様々の悲惨な話を聞いた。

 最後にアリは、言った。

「この子たちが、二度と、悲しみの涙を流さなくて済むように、僕たちは精一杯、人生を使います」

 そう宣言したアリに、施設の先生の女性が向けた微笑の切なさは、今でも私の胸に突き刺さっている。

 昼過ぎから夕方に迫っていく頃、私たちは墓地に着いた。墓守らしい老人が、アリの顔を見て驚いていた。

「……イスマーイール?」

 アリは、目を、真ん丸に見開いた。

 エステルが、アラビア語で、何かを説明した。詳しくは解らないが、おそらく、アリのことを、つまり、彼がイスマーイールの息子であることを、説明したのだろうと思う。

 老人は泣き笑いに顔をゆがめて、そして、アラビア語で激しくまくし立てた。アリが困惑したように、エステルを見た。とても聴き取れなかったのだ。

 エステルが、老人の話した内容を、英語に直した。

 第二次インティファーダの時、彼はイスマーイールとともに行動していたという。そして、彼が射殺された時に、それを側で目撃したのだと。

「彼をここに葬ったのも、この人なの」

 エステルがそう説明する間にも、老人は、アリの袖を掴んで、そうして墓地の一角へと引っ張っていった。

 墓石の一つに、アラビア文字が刻まれていた。

 おそらく、イスマーイール・ハダド、と。

 そして、生没年が、イスラーム暦で刻まれていた。

 墓の前で、アリは立ちつくした。

 それから、確認するように、そっと墓石に触れた。

 そして彼は、声を上げて、激しく泣き始めた。

 私も、もらい泣きした。

 エステルは、何かを堪えるように、じっと唇を噛んでいた。

 墓守の老人に別れを告げて、滞在先の音楽家の家へと戻る。また夕食をいただき、翌朝、ラマラを発った。

 そして、検問所に邪魔をされながら、再びテルアヴィヴの町へと戻った。

 テルアヴィヴに戻った翌日の午前、アリはエステルとともに、テレビ局の顔ぶれと、番組の構成について、いくつかの打ち合わせをした。私はその詳細は知らない。

 しかし、あとで送られてきたビデオと、添えられた英語の字幕を見て、アリが別に苦情を口にしていなかったところを見ると、おそらく、要求通りの構成で、番組は作られたのだろう。

 午後から、帰路につくために、ベングリオン空港に入った。フライト時間に比べて、あまりにも早すぎるのではないか、と私が言ったら、ラヘルが、これでいいんです、と答えた。そして、怖い顔で告げた。

「イスラエルの空港は、テロを警戒して、恐ろしくセキュリティチェックが厳しいんです。執拗に同じ質問を繰り返されますけれど、絶対に、すべてに真面目に答えてください。一つでもいい加減に答えると、疑われて、何時間でも拘束されます」

 むちゃくちゃだ、と、思わずあきれ顔になった私に、ラヘルは相変わらずの厳しい顔で、続けて言った。

「同じ尋問を、手を変え品を変え繰り返し、ボロを出すまでつつくのが、イスラエル流のセキュリティチェックなんです。こうして、フライトの安全を維持しているんです」

 逆に、そうまでしなければ安心できないほどに、この国には警戒心が渦巻いているのだ。

 私はそう感じた。

 この現状を、アリとエステルと、二人だけで打開することなど、不可能だろう。

 私はそう思ったが、さらに、こうも思った。

 でも、あの二人が力を合わせて、そして、もっと色んな人々が、二人の運動に加わっていけば、いつかは、この相互不信と警戒心に満ちた国も、変わっていくのでは、変われるのではないだろうか、と。



現実のエルアル航空やベングリオン空港のセキュリティチェックは、文中の描写よりももっと厳しいと思った方が良いかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。