シャローム、サラーム
イスラエル在住の例の知人との情報交換を、私は相変わらず続けていた。通信手段として、郵便に加えてEメールを用いるようになってからは、ほぼリアルタイムで、向こうの情報を得ることができるようになった。
アナスタシアを解任され、自分の身近な味方を減らされても、エステルはへこたれていなかった。
いや、そう言うと実態に反するだろう。彼女は決して、ショックを受けていなかったわけではない。ただ、打たれっぱなしでは終わろうとはしなかった。
エステルは、自分の知名度を生かして、様々の活動を展開していた。イスラエル、パレスチナ、双方の孤児たちへの支援。和平のための対話集会への参加。
コーチ陣から外されたアナスタシアを、それを良いことに、自分の活動のマネージャーにした話を聞いた時には、あまりの強かさに舌を巻いた。
刺激し合うように、アリも活動を拡大していった。
批判を恐れず、メディアに露出し、臆することなく、自分の意見を述べた。
「世界の紛争孤児たちに、支援の手を」
そう訴えるアリの周囲に、次第に、賛同の輪が広がっていった。
そうした社会活動を続けながら、アリは、オリンピックへの参加準備も、きちんと進めていた。
エステルに送られた曲の完成版が到着して、先に組み上がっていたショートプログラムに加え、フリースケーティングのプログラムも、本格的な練習に入った。
この頃、アリのメール交換相手は、一気に増える。社会活動を支援しようというグループの人々や、エステルが送ってきた曲を作るのに参加した、パレスチナの音楽家などである。
活動を拡大すれば拡大した分、バッシングも増えたが、ラウルと私は、常にアリの側にいた。そして、新しい彼の支持者たちも。
冬が近づき、オリンピックへのカウントダウンがそろそろ始まり出す頃、調整と称して、エステルはスウェーデンにやって来た。
調整ももちろん、れっきとした理由だったが、もう一つの理由が、アリに会うためだということは、おそらく、誰が見ても明らかだっただろう。
ストックホルムの空港に降り立った彼女は、何人もの警護の人間に取り巻かれていた。その傍らに、杖をついてはいたが、紛れもないアナスタシアの姿を見つけて、私は心から喜びを感じた。
空港で、アリはエステルを出迎えた。
握手を交わす二人を、カメラのフラッシュが囲んだ。
中継するカメラの前で、二人は、英語で言った。
「私たちは、世界の平和と、子どもたちの笑顔のために、私たちの力と、そして人生とを捧げます」
アリが、ヘブライ語で言った。
「シャローム」
エステルが、アラビア語で言った。
「サラーム」
そして二人は、声を合わせて、言った。
「私たちは、過去の傷を忘れることによって、現在を笑いで取り繕おうとは思わない。私たちは、互いの傷を見つめ合い、許し合うことによって、未来に笑い合えるように歩む」
感激と喜びに涙をにじませる私の姿を見て、アナスタシアが、そっと微笑んでいた。
この年のオリンピックは、オリンピックの歴史だけではなく、世界の歴史にとって、きっと重要なものになったに違いないと、私は信じている。
この頃、ラウルは国際オリンピック委員会と、二つの旗を掲げることの是非についての交渉をしていた。
国家レベルの祭典であるオリンピックでは、掲げられる国旗は、原則、一つである。
ただ、夏季オリンピックで、オーストラリアの女子陸上選手であった、キャシー・フリーマンが、オーストラリア国旗と、自らの出身を示す、アボリジナルの旗とを掲げて、ウイニング・ランを行った前例もある。
パレスチナ問題は、世界的に非常にデリケートな問題であるため、委員会は、アリがスウェーデンとパレスチナ、双方の旗を掲げることについて、苦い顔だった。
アリは、自分を支援してくれるグループのメンバーを動かして、ネット上で、その問題に関する是非を問う投票を行った。
結果は、行うべきだ、という意見が、自粛すべきだ、という意見を、大きく上回った。
投票結果を見て、アリが微笑んだのを覚えている。
「これはもう、絶対に、優勝しなくちゃいけないね」
スウェーデンのために。パレスチナのために。
引き締められた表情に、強く未来を見据えるような瞳に、私は、アリの決意を感じた。
委員会は、ついに、アリの提案を認めると告げた。




