エステルSP 「ロミオとジュリエット」
エステルのショートプログラムは、「ロミオとジュリエット」だった。今季はシェークスピア特集らしい。
青を基調とした衣装は、スラッシュ(切り裂き)などの、中世イタリアの要素を採り入れたデザインだった。もっとも、かなり広い範囲に、火傷の痕があるらしい彼女は、胸元を露出することはせず、相変わらず、肌色の布で覆っていた。
定番といえば、定番のプログラムだ。もちろん、ペアで行われることの方が多いが、女子でも、演じる選手がいないわけではない。
そう思うと、昨シーズンの挑発的なプログラムからの変化に、軽く戸惑いを覚えるほどだ。
しかし、戻ってきたアリにそう言った私に、彼はにやりと笑って言った。
「エステルの、今季のテーマは、過激に言うなら、『シェークスピアをコケにする』ですよ。彼女は『ロミオとジュリエット』を演るんじゃありません。『ジュリエット』を演るんです」
スタンダードな演技なんか、やるわけないでしょう、と、少し意地の悪さすら見える笑みで、アリは言った。
女子は、エステルの実力が、頭一つ抜きん出ている。トリプルアクセルなどの難易度の高い技を、嫌みなほど平然と成功させる上に、女優並みの演技力、表現力を兼ね備えているのだ。
エステルの滑走順が来る。
私とアリと、そしてラウルは、じっとモニターの中のエステルを見つめた。
最初は、ジュリエットの性格を表すかのように、柔らかな表情での踊り。けれども、時折差す影に、同時に、何か欠けたものを抱えているように感じさせる。
のびやかなスピンを終えて、ふと、動きを止める。
何かを見い出したかのように、けれども、それが何なのかを、まだ理解できないように、そっと胸に手を当てる。それから、花が開くように笑った。
軽やかに、エッジを切り替えつつステップを踏む。それから、助走。トリプルアクセル。再びスピン。
相変わらず、柔らかい体だ。
恋に落ちたジュリエット。けれども、彼女は、恋したその相手が、仇敵の家の息子であったことを知る。
信じたくない、受け入れたくない現実と直面するジュリエットの姿は、昨シーズンまでの彼女と同じ、やがて破壊されるものとしての幸福、だ。
現実から逃れようとするかのように、エステルは高く跳躍する。三回転、三回転、二回転の、コンビネーションジャンプ。
それから、エッジを精確に切り替えながらの、ステップ。悩み苦しむように、上下に大きく動く、激しい動作を行う。運命に抗おうとするかのように、繰り返されるジャンプとスピン。
けれども、やがて、それを受け入れるのだと、そう決意したような表情で、そっと手を差し伸べた。
スパイラル・シークエンス。
寂しげな微笑が、やがて、運命を受け入れた上で、それでも愛することを選ぼうという、強い意志を秘めた表情へと変わっていく。
新しい旅立ちの、コンビネーションジャンプ。
得意のスピンで締めくくる。
最後まで、運命を受け入れながらも、その中で戦うことを選んだ、強い「ジュリエット」のままだった。
悲しいだけではない、苦しいだけではない。
生きる、ということ、愛する、ということを、皮肉な運命の中ですら慈しむ。
会場からわき起こる拍手に応えるエステルに、私もまた、モニター越しに拍手をした。
横で、アリが言った。
「ますます、負けられない」
私はそれで、うっかり忘れていた、エステルからの伝言を思い出した。
「そのエステルも、君に『絶対に負けない』と伝えてくれと、そう言っていたよ」
そう言うと、いつ、と言いたげな目をアリは見せたので、私は付け足して言った。
「君が、ロレンスを滑ったのを、見た後だよ」
アリが目を丸くしている横で、ラウルが言った。
「エステルの得点が出るぞ」
私もアリも、画面に目を戻した。
二位以下に大差をつけての、一位だった。
アリは、決意を固めるように、拳を握った。
ラウルが、そっと、アリの肩に手を置いた。
「さあ、明日が待っているぞ」
フリースケーティング。
「アラビアのロレンス」と「ヴェニスの商人」の対決だ。
アリは、強い瞳で頷いた。
「そう、明日が待ってる」




