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二人の空  作者: 蒼久斎
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アリSP 「アラビアのロレンス」

 エステルは、本番の強心臓が信じがたいほど、本番前には神経質になるのだという。

 アナスタシアの言を信じるなら、その神経質に、今回はさらに、育て親への反抗期が重なっている、ということになる。

 なるほど、好んで近づきたいと思うような雰囲気を出しているわけがないだろう、と、私は納得した。

 おまけに、今回は、演じるプログラムがプログラムだ。昨シーズンのプログラムのこともあって、本国では基本的に、右派からの支持が熱い彼女だが、今回は、その支持をなくしかねないような、微妙な綱渡りを予定しているのだ。

 もっとも、その「ヴェニスの商人」をやるのは、フリースケーティングの方で、今日のショートプログラムの方は、別の演技をやることになっている。私は詳細は知らないが、こちらも、先年までとは、ずいぶん毛色が違うものになるらしい。

 私はアリに、何か言葉を掛けようかと思った。

 しかし、うまい言葉が見つからなくて、結局、口ごもった。

 アリは、今度は大人びた笑顔で微笑んで、言った。

「最高の演技ができるように、祈っていて下さい」

 私は、心の底から力強く頷いて、もちろんだよ、と、答えた。

 やがて、アリのグループの滑走順がやって来た。

 私は、テレビモニターの中に映し出された、アリの姿を追いかけた。

 五分間練習。アリの調子は上々らしい。

 やがて、グループの第一滑走者の演技が始まる。アリは、第四滑走者だ。

 アリの滑走順が近づく頃、私のそばに、二人分の気配が近づいてきた。

 振り返ると、アナスタシアと、エステルだった。

 さっきはちらっとしか見なかったので分からなかったが、エステルは、肩より少し長い髪をひっつめにして、さらに、三つ編みにした付け毛を巻き付けていた。まだ衣装は着ていないようだった。

 私は、ちら、と二人を観察すると、またモニターへと目を向けた。第三滑走者の演技が終了した。得点が表示される。そして、アリが姿を現した。

 また、ちらっと、エステルの様子を見た。

 エステルは、ずっと握っていたらしい、アナスタシアの手を掴む力を、一瞬、ぐっと強めた。

 モニターの中には、アリがリンクの中央へと向かっていくのが、映し出されていた。

 私は、どうか、彼が最高の演技をできますように、と、心の底から祈った。

 曲が、始まった。

 ショートプログラムは、アラブの中に溶けこもうとしていくロレンスの姿を演じる。

 イギリスを出て、アラビアへ向かう、不安。そして、イギリス人将校としての使命感。

 気負うような表情のまま、最初の跳躍に入る。

 四回転、三回転の、コンビネーションジャンプ。

 着氷が決まった瞬間、客席から、盛大な拍手がわき起こる。ステップを経て、次は、四種類のスピンを組み合わせた、コンビネーションスピンだ。

 昨シーズンまでのアリが、地味に減点をされていた、ひそかな弱点である。

 だが、今季のアリは、スピンでもミスはしない。

 安定した軸のままスピンを終え、大きく跳ねるように、再びステップに入る。

 徐々にアラビアに溶けこんでいくロレンス。単なる任務を超えて、感じていく愛着。

 その変容が、表情から、仕草から、伝わってくる。

 ショートプログラムとは思えないほどゆったりと、時が過ぎていく。

 最後に三回転ジャンプを決めて、演技が終了する。

 ミスなし、だ。

 私は思わず、モニターに向かって拍手をした。

 その私の横で、じっとアリの演技を見つめていたエステルが、ぼそりと、何かを呟いた。おそらく、ヘブライ語でしゃべったのだろう。

 どういう意味だろう、と思っていると、彼女は言語を英語に切り替えて、言った。

「負けない、絶対に」

 それから彼女は、どこか悪戯っぽい笑みで、言った。

「アリに、そう伝えてください」

 それだけ言って、エステルは、アナスタシアとともに、また去っていった。

 私は、あわててモニターに目を戻した。アリの得点が表示されている。

 技術点、一位。芸術点、一位。

 もちろん、総合一位だ。

 この後の滑走者たちも、良い滑りをしたが、アリは、ショートプログラムを一位で通過した。

 さて、次は、エステルの番である。



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