第96話《赤黒き祈念》
「兄さぁぁぁん!!」
イエルの絶叫が広間に響いた。
ノエルの口元から血が伝う。
「ラグス……これで満足か……」
掠れた声。
だがラグスは冷ややかな笑みを崩さない。
「ノエル様。先ほど、あなたに叱られましたね。前置きは置かず……さっさと死んでもらいましょう」
剣を振りかぶり、刃が振り下ろされようとした、その瞬間。
「ゴラァ!!」
怒号が炸裂した。
横合いから滑り込んだオルガが、ラグスの刃を叩き弾く。
そのまま体ごとぶつかり、衝撃がラグスを押し飛ばした。
ラグスは床を滑りながらも即座に体勢を立て直し、剣を構える。
対するオルガも、その燃えるような瞳で睨み返した。
「ラグス……オレは人を斬れるミデアだ」
低く唸るような声。
「なぜかオレは怒りを知っている。祈念核が、お前を殺せと叫んでやがる」
ラグスの口元が歪む。
「はい。あなたの祈念波……今なら私にもわかります」
その瞳が細められる。
「あなたは――邪悪です。オルガ」
その言葉と同時に、オルガの剣から赤黒い祈念波が噴き上がった。
それは刃から腕へ、全身へと燃え広がり、広間一帯を呑み込んでいく。
空気そのものが軋む。
赤黒い祈念波が広間を侵食し、石床すら震えていた。
その隙にマリアスがノエルを抱き起こし、イエルのもとへ運ぶ。
ふと、広間奥の扉に目が留まる。
「イエル! ノエルを連れてあの扉まで行け! 私とヨウルで援護する!」
「すまない、マリアス!」
イエルはノエルを肩に抱え、扉へ走る。
迫るユニットを、マリアスは斬り伏せる。
ヨウルは牙で噛み砕く。
二人が道を切り開く。
マリアスは先回りして扉を開いた。
中は中規模の会議室だった。
イエルがそこへ飛び込む。
「イエル、君の移動ユニットを呼べ! 塔を脱出してカイたちと合流しろ!」
マリアスが叫ぶ。
言い終えるや否や、マリアスは扉を閉ざした。
赤黒い祈念波と、ラグスの黒き擬似祈念が激しくぶつかり合い、広間一帯はまるで地獄の業火に包まれたようだった。
熱ではない。
怒りと殺意そのものが、空間を燃やしている。
剣と剣が激突するたび、火花が散り、衝撃が石床を震わせる。
オルガとラグス。
二つの異質な闘気が正面から噛み合い、広間そのものが戦場へ変わっていた。
激しい斬撃の応酬の中、ラグスが低く笑う。
「オルガ、あなたには信仰がないようですね。本当に私を殺しにきている。珍しい……いえ、こんな祈念種は初めてです」
その言葉に、オルガは剣を打ち込みながら吐き捨てる。
「オレは根本から違った」
重い斬撃を撃ち込み、さらに踏み込む。
「ミデアとして生き、この国の不条理にはいつも腹が立ってた。特にオレの祈念核がどす黒く疼くのは――大切なものを奪われるときだ」
その一撃に、ラグスが後方へ跳び、剣で受け流しながら間合いを取る。
黒い機構から火花が散った。
ラグスは愉しむように口元を歪める。
「私も同じですよ。奪われることは大っ嫌いです」
静かに剣を構え直し、黒い祈念が機構に脈動し始める。
「ですが――それ以上に、奪うことは実に心が躍る」
そう言った次の瞬間、ラグスの姿がぶれた。
消えたように見えたのは一瞬。
黒い残光だけを残し、ラグスはすでに懐へ踏み込んでいた。
「――ッ!」
オルガは咄嗟に剣で受けるが、衝撃で数歩押し返される。
石床が削れた。
ラグスは笑っている。
「どうしました、オルガ」
さらに追撃。
機構化した右腕から黒い祈念が噴き上がり、暴風のような斬撃が降り注ぐ。
オルガは受けながら歯を食いしばる。
「――速ぇ……!」
「あなたは強い。ですが私に及ばぬものがある。経験と策略。そして殺した数。怒りに任せて剣を振り回したとて、そんな力技は私には通じませぬ」
そのとき、戦闘の余波を避けていたはずの護衛ユニット数機が、横合いから一斉にオルガへ襲いかかった。
「チッ……邪魔だ」
オルガの眼が鋭くなる。
振り向きざま、剣を後方へ一閃。
赤黒い祈念波を纏った斬撃が扇状に走り、ユニット群をまとめて断ち切った。
火花を散らし爆ぜるユニット。
残骸が床を転がる。
その一振りは、まるで背後に目があるかのような精度だった。
だが、次の瞬間。
ラグスの剣先が、オルガの喉元へ触れていた。
あと一寸、踏み込めば貫かれる距離。
「そして勝つためには手段を問わない」
オルガの額を汗が伝う。
さらに敵ユニットが続々とオルガの背後に集まり始める。
「くっ……いったいどんだけいるんだ……」
「オルガ。終わりです。あなたと剣を交えて何か近しいものを感じました。殺すのは惜しいですが……」
次の瞬間、オルガは素早く屈み低い体勢のままラグスの足に剣を振る。
ラグスは素早く剣を振り下ろし、それを弾く。
オルガは転がるように距離を取る。
「ラグス。お前はさっきノエルに言われたことをもう忘れたようだな。仕留めるときに仕留めなきゃ、獲物は取り逃がすぞ……学習しろ、ラグス」
「確かに。少し喋りすぎました。だがオルガ。状況は何も変わってはいませんよ」
再びユニット群がオルガに襲いかかる。
それと同時にラグスも間合いを素早く詰めてきた。
「両方は無理だ……ならばラグス、刺し違えてでもお前を殺す!」
しかしラグスはオルガの一撃を受け止めた。
次の瞬間、オルガの脚に激痛が走る。
敵ユニットの前脚がオルガの太ももを貫通していた。
「クソ……」
「では、次こそは仕留めましょう」
立ち上がれぬオルガへ、ラグスの剣が容赦なく振り下ろされる。
その刃が届く寸前――疾風が駆け抜けた。
ラグスの姿が視界から掻き消える。
鈍い衝撃音。
次の瞬間、床へ叩きつけられていたのはラグスだった。
その機構化された右腕に喰らいつき、牙を剥いて激しく唸っている白銀の影。
「……ヨウル!」
オルガが目を見開く。
ヨウルは喉を震わせ、ラグスを逃がすまいとさらに噛み締める。
「貴様……獣風情が!」
ラグスが振り払おうとした、その時。
オルガの背後で連続する斬撃音が鳴り響いた。
鋼が裂け、ユニットが砕ける音。
「すまない。遅くなったオルガ。今ので最後の一機だ」
マリアスの目の前で最後の四脚が煙を上げ崩れ落ちた。
マリアスは砕けたユニットの破片を払うように刃を構え、オルガの隣に並ぶ。
その時だった。
唸りを上げたラグスの剣が、不意に黒い軌跡を描く。
「ヨウル、避けろ!」
マリアスの叫びより早く、刃が閃いた。
白銀の身体が跳ねる。
ヨウルの前脚が深く裂かれ、血の飛沫を散らして石床へ転がった。
キャンッ――
鋭い悲鳴が広間に走った。
ヨウルはなお牙を剥くが、傷ついた前脚が震えている。
オルガの表情が変わる。
「てめぇ……!」
ラグスは血を払うように剣を傾け、薄く笑った。
「守るものが増えるほど、戦いは鈍る」
広間の空気がさらに冷えた。




