第94話《崩れゆく真実》
ラグスは、口元にゆっくりと笑みを浮かべた。
すべてが思惑通りに運んでいると確信しているかのように。
「地下層には、すでに塔もろとも破壊できるだけの爆薬を仕掛けさせていただきました」
その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が凍りついた。
オルガの表情が険しく変わり、剣の柄を握る手に力がこもる。
「貴様……エリカに何かあれば、オレが許さぬぞ」
低く唸るような声だった。
ラグスはそれを愉しむように、わずかに目を細める。
「ほう……祈念種というものは、怒りもせぬ弱々しい種族と思っておりましたが。怒りを露わにするミデアは、初めて見ました」
わざとらしくノエルへ向き直る。
「ノエル様。これが祈念種どもの正体でございます」
「ラグス……」
ノエルの声が鋭く落ちる。
「オレは対話の場を設けろと言ったのだ。こちらはイエルを人質に取られているのだぞ! 何を勝手なことをしている!」
その叱責すら、ラグスは意に介さない。
「アストレアの皆様。イエル様は焼こうが、煮ようが――どうぞご自由に」
その一言に、今度はノエルが立ち上がった。
「ラグス、何を言っている! イエルは……もう、たった一人のオレの肉親なのだぞ!」
抑えていた感情が、初めて剥き出しになる。
イエルが静かに口を開いた。
「兄さん……これが、ヤツの正体だ。父上も……お祖父様も……」
言葉がそこで詰まる。
ラグスはそれを待っていたかのように、穏やかに微笑んだ。
「もう遠慮は要りませんよ、イエル様。どうぞノエル様にお伝えくださいませ」
イエルの拳が震える。
「くっ……兄さん。二人を殺したのは……ラグスだ」
その告白は、刃より深くノエルを貫いた。
ノエルはその場に縫い止められたように、動けなかった。
ノエルの瞳が見開かれた。
「……まさか。そんな戯言はやめろ。ラグスに限って……」
信じたくない拒絶が、声に滲む。
ラグスは静かに頷いた。
「真実でございます、ノエル様」
その一言で、対話は別の局面へと変わった。
十七年、自らが信じてきた正義と記憶が、音もなく崩れ始めていた。
ノエルの顔から血の気が引いていく。
「父上も……お祖父様も……。父上は七区で祈念種に殺されたのでは」
震えを押し殺した問い。
ラグスは、あまりにも平然と答えた。
「いいえ。エリオ様の命を受け――私が殺りました」
その言葉に、ノエルが息を呑む。
「お祖父様が……父上を? して、そのお祖父様を殺したのも……お前だと言うのか」
「はい。私でございます」
沈黙が広間を支配した。
それは静寂ではなく、崩壊の予兆のようでもあった。
「ならば……リゼルは……。お前はあの日、リゼルが犯人だと――」
「はい、嘘です」
ラグスは、あまりにも自然に言った。
嘘を告白するというより、不要な事実を整理するような口ぶりだった。
ラグスは薄く笑う。
「それにしても、躊躇ありませんでしたなノエル様。リゼルの祈念核を一突きで。見事でした」
その瞬間、ノエルの中で何かが切れた。
「おのれ、ラグス……オレを騙し続けていたのか。貴様ァッ!」
剣へと手が走る。
だがその刹那、ラグスは車椅子を蹴るように身を起こしていた。
病み上がりを思わせぬ速度でノエルの懐へ入り、次の瞬間には首元へ刃が押し当てられている。
場が凍る。
「兄さん!」
イエルが立ち上がり、オルガも半歩踏み込む。
だが動けない。
一手で、盤面を奪われていた。
「な、何を……!」
「ラグス殿……!?」
議員たちは狼狽し、広間は一気に混乱へ沈む。
だがその中心だけは、不気味なほど静かだった。
ノエルの喉元に刃を当てたまま、ラグスだけが微笑んでいる。
その瞬間、この場の秩序は静かに反転した。
マリアスが静かに問う。
「ラグス……貴様の目的は何なのだ」
ラグスは首を傾げた。
「偉くなることですよ」
あまりにもあっさりとした返答だった。
「昔、父に言われましてな。お前は偉くなれと。父はネオスでありながら外殻へ追いやられ、母の顔も知らず、私は祈念種どもと同様に扱われて育ちました」
淡々とした口調の奥に、長年澱んだ執念が滲む。
「もっとも、祈念種は嫌いではありませんよ。従順で、脅せば言いなりになる。むしろネオスの方が私にとっては面倒なのかもしれません」
ノエルの瞳が険しく揺れた。
「ラグス……貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか」
「ええ、ノエル様。私も無闇に命まで奪いたくはございません」
そう言ってラグスはマリアスへ視線を向けた。
「マリアス様のお命と引き換えに、ノエル様をそちらへ渡します。ルミエルから出て行きなさい。さもなくば――ここで死にますか?」
ナギは怯え、思わずマリアスへ抱きつく。
「ふざけんな!」
カイが立ち上がる。
「マリアスはアストレアに無事に帰るんだ!」
「そうだ。マリアスには指一本触れさせねぇ」
オルガも剣の柄に手をかける。
だがその緊迫の中で、ノエルだけが静かだった。
「ラグス……オレを殺れば気が済むのか」
視線がイエルへ移る。
「すまない、イエル……マリアス、オルガ。罪は償わせてもらう」
そう言って腕を下ろす。
「ラグス――斬れ」
「兄さん! ダメだ!」
イエルの叫びが響く。
ラグスは満足げに微笑んだ。
「ノエル様、立派でございます。今まで大変お世話になりました。これからのルミエルのことは――」
その言葉が終わるより早く、ノエルの短剣がラグスの太腿へ深く突き立っていた。
不意を突かれたラグスがわずかに怯んだその瞬間、ノエルは首元の刃を弾き返す。
そこへイエルが長卓を乗り越え、怒号とともに斬りかかる。
「ラグスッ!」
だがラグスは機構化された右腕でその斬撃を受け止め、そのまま力任せに弾き返した。
それでも、その一瞬で十分だった。
ノエルは間合いを取り、イエルもその隣へ滑り込む。
十七年ぶりに並んだ兄弟は、今、同じ敵へ剣を向けていた。
かつて共に立つことなど二度とないと思われた二人が、今この瞬間だけは、同じ意思で結ばれていた。
失われた歳月は戻らない。
それでも二人は、確かに兄弟として並んでいた。
ノエルは剣先をわずかに下げ、ラグスを見据えた。
「ラグス、貴様は律儀すぎる。何を成すにも順を踏まずにはいられぬ。斬るべきその瞬間でさえ言葉を挟む……だから隙が生まれる」
ラグスの目がわずかに細まる。
「それに――これまで剣術を教えたのは、お前だ。お前は強い。だが、そのお前に鍛えられたオレもまた……お前の癖は知り尽くしている」
その言葉は挑発ではなかった。
かつて師と仰いだ男へ向ける、弟子の宣戦だった。




