第93話《仕組まれた未来》
静寂の中、マリアスは一歩前へと進み出た。
その動きに呼応するように、周囲の空気がわずかに張り詰める。
「……ノエル。今回は対話の場を設けてくれてありがとう」
呼びかけは、静かだった。
だがその一言には、十七年という歳月が滲んでいる。
ノエルは視線を逸らさない。
「特例だ、マリアス」
短い応答。
それだけで、互いの距離が測れる。
その間に、ラグスがゆっくりと口元を歪めた。
「こうして顔を合わせるのは……実に興味深いものですね」
柔らかな声音。
だが、場の空気にわずかな歪みを混ぜる。
オルガの手が、わずかに動く。
それを視界の端で捉えながら、マリアスは続けた。
「まず確認させてもらう。この場は、対話の場として成立していると考えていいのか」
ノエルは一瞬だけ、ラグスへ視線をやる。
ほんのわずかな迷い。
だがすぐに、正面へと戻した。
「あぁ。この場は、対話のために設けられた」
その言葉に嘘はない。
だが、すべてが真実とも限らない。
マリアスは小さく頷いた。
「オルガ、柄から手を離せ」
オルガは周囲を警戒しながら、ゆっくりと手を下ろす。
だがその間合い、目の前にはイエルがいる。
いつでも仕留められる距離だけは保ち、その緊張を演じ続けていた。
マリアスは視線を戻す。
「そちらは随分と厳重だな。警備ユニットに加え、要人たちも武器を携えている。こちらも、武装は許可してもらう」
ノエルは即座に応じた。
「構わぬ。ただし――」
その視線が、イエルへと向く。
「イエルに手を出さぬと約束しろ」
わずかに、空気が揺れる。
兄としての感情と、統治者としての判断。
兄弟の十七年ぶりの再会だった。
マリアスは静かに頷く。
「了承した。――では、話を始めよう」
その一言で、場の温度が変わる。
戦いではない。
だが、誰一人として油断はしていなかった。
ノエルが短く命じる。
「広間へ案内しろ」
無言のまま、ユニットが動き出す。
一行は、祈りの塔の内部へと通された。
マリアス、オルガ、イエルにとっては懐かしい場所。
だがその空気は、かつてとは明らかに違っていた。
ナギとカイは、最下層しか知らない。
二千年の祈りが積み重なった空間。
その奥へと進むほどに、空気は濃密になっていく圧倒的な神域。
張り詰めた緊張の中でさえ、祈念核がわずかに熱を帯びる。
広間の中央には、長卓が据えられていた。
磨き上げられたその天板は、まるで鏡のように光を反射している。
マリアスは、迷いなくその中央の席へと歩み寄り、静かに腰を下ろした。
その動きに続くように、カイ、ナギ、オルガ、イエルも横一列に並び、席へと着く。
その背後では、ヨウルが静かに腰を落とし、床へと身を伏せた。
大型ユニットと連結したままのルカも、その隣に並び、じっと場を見据えている。
対する側――
ノエルもまた、正面の席へとゆっくりと腰を下ろした。
その隣には車椅子のラグス。
そして左右には、十名ほどの要人と議員たちが整然と並ぶ。
誰一人として、余計な動きはない。
ただ、視線だけが交錯する。
長卓を挟み、向かい合う両陣営。
その距離は決して遠くはない。
だが、埋めようのない隔たりが確かに存在していた。
この場に置かれているのは、言葉だけ。
それでも一つの選択が、世界の形を変える。
静かに、対話の舞台は整った。
広間に満ちていた静寂を、ノエルの一言が切り裂いた。
「ラグス、始めろ」
短く、余計な感情を削ぎ落とした命令。
その声音には、揺らぎを許さぬ統治者としての重みがあった。
「御意。では始めます。まずは……マリアス様、先日の七区ではお世話になりました。お陰で私もこんな様でございます」
ラグスは穏やかに頭を下げる。
だがその言葉には、明らかな棘が含まれていた。
マリアスは表情を変えない。
「あぁ、だが悪いとは思わぬ。目的はアネシアとの対話だった。それは同時にこの都市を救うことにもなった。それにその怪我……。私が負わせたものではないだろ」
言葉は静か。
だが一切の退きはない。
「はい、この塔からのあの一閃、あれは強烈でしたなぁ」
ラグスの機構化された右腕が、ゆっくりと卓の上に置かれる。
その指が、軋むように閉じていく。
握り締められた拳。
そこに宿るのは、痛みか――それとも。
「ラグス……話を進めろ」
ノエルの声が、わずかに低くなる。
感情を抑え込むように。
ラグスはすぐに顔を上げた。
「失礼いたしました。ついつい恨み節を。では、そちらの要望ですが、アネシアとの対話についてですが……。あの神気取りの機械の暴走をあなたたちが止められるとか……」
その瞬間、空気がわずかに軋んだ。
マリアスの視線が、真っ直ぐにラグスを射抜く。
「ラグス。言葉に気をつけろ。アネシアは二千年もの間、この都市を守ってきた。今やこの世界の理だ。アネシアは始祖マリーに次ぐ神同然の存在だ」
静かな声。
そこには、否定を許さぬ確信があった。
ラグスは、わずかに頭を下げる。
「失礼いたしました。祈念種にとっては、アネシアは神――そして、エリカ様もまた」
その名が発せられた瞬間、オルガの視線が鋭くラグスを射抜いた。
「第七区の一件以降、エリカとアネシアは地下に幽閉されたと聞いている」
低く、押し殺した声。
「エリカはどうしている。……無事なんだろうな」
ラグスは肩をすくめるように、わずかに笑う。
「ええ。忌まわしき祈念種が引き起こした、第七区の暴動の後に……地下へ移しましたが。無事ですよ。――そこの子供たちが、すでに確認しているはずでは?」
その言葉に、空気がわずかに軋む。
ナギとカイの存在を、あえて突きつけるような物言いだった。
「ラグス――いい加減にしろ」
ノエルの声が、低く落ちる。
感情を抑えながらも、明確な制止。
「ここは対話の場だ。この都市の未来がかかっている。まずは――アネシアをどうするかだ。それが先決だ」
ラグスは、わずかに口元を緩めた。
「ご心配には及びません、ノエル様。アネシアが放ったあの一閃――確かに、都市へ向けられれば首都ユナガーデン……そしてこのルミエルは終わります。しかし、アネシアには、すでに“対策”を講じておりますゆえ」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が凍りついた。
ノエルの視線が鋭くなる。
「……どういうことだ」
ラグスは肩をすくめるように続ける。
「現在、この都市における祈念波脱却率は、三十五パーセントをようやく上回りました。まだまだ十分とは言えませぬが――都市機能を最低限維持するには、どうにか足りる数値でございます」
淡々とした口調。
だが、その一語一語が、何かを削っていく。
マリアスの視線が、鋭くラグスを捉える。
「ラグス……何を言いたいのだ」
ラグスは、ゆっくりと右手を持ち上げた。
機構化された指が、ひとつずつ握られていく。
「今後――最下層において、アネシアおよびエリカ様が、都市の維持に必要以上の祈念波を集中させた場合……」
わずかに、笑みが深まる。
広げた五指を、そのまま空中で止め――
「ボーン、です」
指が、軽く開く。
「爆発します」
その一言は脅しではなく、確定させうる未来だった。




