第90話《祈りの行方》
再びアストレアへ書簡が届いたのは、あれから一週間後だった。
差出人は――ラグス。
前回のようなホログラムではなく、達筆な文字で綴られた書簡を、伝達ユニットが静かに運んできた。
マリアスは皆を集め、テーブルの上にそれを広げる。
「今回はラグスからだ。……やはり奴は生きていた」
その名が発せられた瞬間、イエルの眉間がわずかに歪む。
「マリアス……何が書いてある」
低く押し出すような声。
マリアスは一度、書簡へと視線を落とした。
「今から読み上げる。……皆、席に着いてくれ」
促されるままに、全員が静かに腰を下ろす。
紙の擦れる音だけが、静かに残った。
マリアスはゆっくりと息を整え、書簡を読み始める。
「アストレアを統べる者へ。
先日の第七区の件、まずは失礼いたしました。
もっとも、貴殿らが我が国へ侵入したことに対する対応に過ぎませんので、そこはご理解くださいませ。
その結果、私も少々大きな損傷を負うこととなりましたが――
それもまた、結果の一部でしょう。
さて、本題です。
一週間後、ノエル様が対話の場を設けられます。
場所は祈りの塔第一層広間。
アネシアとの対話については、その後ノエル様の判断に委ねられます。
また、貴殿らの要望についてですが今回に限り、同行者全員の入国を許可します。
当日は西側国境へ警備ユニットを向かわせます。
指示に従い、そのまま入国してください。
最後に。
イエル様の身柄は、無事な状態で引き渡していただきます。
余計なことをする必要はありません。
以上です。
ルミエル中央統制官 ラグス」
読み終えた瞬間、部屋の空気が重く沈んだ。
イエルが低く吐き捨てる。
「ラグス……僕をも殺そうとしたくせに」
その声には、怒りと、わずかな苦さが混じっていた。
オルガが腕を組み、静かに口を開く。
「だからこそ、オレがお前を守る。……それにしても、話が通りすぎてるな。ラグスのことだ、何か企んでる可能性は高い。罠はあると思って動いた方がいい」
マリアスはわずかに頷いた。
「あぁ。だが――ノエルは理解しているはずだ。私たちよりも、都市の脅威がアネシアにあることを。そして、それを止められる可能性があるのが……私たちしかいないということも」
その言葉に、わずかな沈黙が落ちる。
カイが静かに口を開いた。
「……やっぱり、ナギも連れて行くんだよね」
マリアスは迷いなく頷く。
そして、まっすぐカイを見る。
「そうだ。アネシアとの対話に、ナギは必要だ。カイ、君は全力でナギを守れ」
「もちろん。命に代えてでもナギを守る。それがオレの使命だ」
その瞳に、迷いは一切ない。
マリアスは小さく頷き、次にルカとヨウルへと視線を向ける。
「ルカ、ヨウル。君たちもナギを守ることに全力を尽くしてくれ。何かあれば、カイを助けるんだ」
「アイ!」
ルカが元気よく応じる。
ヨウルもまた低く唸り、ナギへと身体を寄せた。
理解しているかのように、その頬をそっと擦りつける。
ナギはまだすべてを理解しているわけではない。
それでも、ヨウルの頭を優しく撫で、そのまま抱きしめた。
その腕の中には、まだ形にならない想いが宿り始めていた。
マリアスは静かに立ち上がった。
その視線は、宮殿の外。
遥か都市の方角へと向けられている。
「……この件は、国民にも伝える」
その一言で、空気が引き締まる。
カイが息を呑む。
「公にするの……?」
マリアスは迷いなく頷いた。
「あぁ。これはもう、一部の判断で進めていい話ではない。我々は――この国の祈りを背負っている」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
静かだが、確かな重みを持った声だった。
「アネシアは、この世界そのものを揺るがす存在だ。ならば、我々が何を選び、どこへ向かうのか……民にも知る権利がある」
オルガが腕を組んだまま、低く唸る。
「つまり……覚悟を問うってわけか」
「そうだ」
短く肯定する。
「これは戦いではない。祈りを守るための対話だ。だが――命を懸けることに変わりはない。もし私に何かあれば……君たちは、何があってもこの国に戻れ。そして、この国を守るんだ」
その言葉に、空気が凍りつく。
カイが思わず声を荒げた。
「ちょっと……マリアス! 何を言ってるんだ」
ナギの不安げな瞳が揺れる。
「マリアス、どういうこと? 平和のお話だよね?」
マリアスはそっと手を伸ばし、ナギの頬に触れた。
「そうだ、ナギ」
柔らかな声。
「その先の未来を……君たちが紡ぐんだ」
オルガが一歩踏み出す。
「待て、マリアス。覚悟はわかった。だが、なんでも一人で背負い込むな。心配するな――オレが全員守る。そしてエリカも、必ず救い出す」
その言葉に、イエルも静かに続いた。
「そうだ、マリアス。僕たちは仲間だ。だから、全員で行くんだ。そして……僕が必ずルミエルを立て直す。きっと兄さんだって……わかってくれる」
オルガが腕を組み、ふっと息を吐く。
「とにかくだ、全員で帰る。それで……そのあと、オレとエリカの式もあるしな」
「式?」
カイが首を傾げる。
「兄さん、式ってなに?」
オルガの顔がわずかに強張る。
「け……結婚式だ」
「結婚式!」
ナギがぱっと頬を押さえ、目を輝かせる。
その無垢な反応に、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
マリアスが小さく笑う。
「オルガ……お前は、エリカの気持ちを置き去りにしているな」
「そ……そんなことはないぞ、きっとエリカだって……」
照れ隠しのように顔を背けるオルガ。
その様子に、皆が小さく笑った。
重く沈んでいた空気が、少しずつほどけていく。
マリアスは、ゆっくりと皆を見渡した。
「……そうだな。ありがとう、みんな」
その声は、先ほどよりもずっと穏やかだった。
「皆がいれば、必ず帰れる。取り戻そう。民が、穏やかに祈れる国を」
カイが勢いよく立ち上がった。
「よし! 大丈夫さ。今度は、必ずうまくいく!」
その声に、空気がわずかに軽くなる。
イエルが静かに続く。
「そうだ。怒りではなく、赦しを……」
一度、言葉を噛みしめる。
「僕も、まだ割り切れてはいない。だが――争いは、仲間さえも傷つけると知った。この対話に賭けよう」
その言葉に、皆の表情がわずかに引き締まる。
しかし、その輪の外でオルガだけは一歩引いたまま、静かに状況を見据えていた。
――いくらこちらが対話の姿勢で臨んだところで、相手が殴りかかってくるなら話は別だ。これ以上、仲間を傷つけるような真似をしてきたら……ノエルとて容赦はしねぇ。そのときは、躊躇なく剣を抜く。
視線をわずかに落とす。
――覚悟はしておけよ、マリアス。
オルガは誰にも気づかれぬまま、静かに決意を固めた。
マリアスが一歩前に出る。
「準備を進める。出発の朝、広場で演説を行う」
その声は、穏やかでありながら揺るがない。
「各自、支度を整えてくれ」
一瞬の静寂のあと――皆が確かめ合うように視線を重ねる。
「おう!」
「了解!」
明るい返事が、重なる。
その響きは決意と不安が入り混じりながらも、確かに前へ進もうとする声だった。




