第87話《均衡の書簡》
ルミエル評議会本部。
緊急招集された議会には、ルミエルの要人と議員たちが顔を揃えていた。
重苦しい空気の中、ノエルの鋭い視線が場を貫き、誰もが言葉を失っている。
「ラグスは、先日の第七区での戦闘により重傷を負った。現在は治療中だが、命に別状はない」
低く抑えた声が響く。
一人の大臣が、焦りを隠せぬまま口を開いた。
「ノエル様……第七区で、いったい何が起きたのですか。西の国境でも衝突があったと聞いております。国民の動揺が広がっております」
ノエルは一瞬の迷いもなく答える。
「祈念種の暴動だ。ラグスが鎮圧した」
その一言で、場の空気が一気に崩れた。
「まさか……十七年前の再来では」
「アストレアは肥大化しすぎた。早急に潰すべきですぞ!」
「いや、それでは全面戦争になります! 国民が黙ってはおりませぬ!」
「こちらはラグス様がやられているのだぞ!」
声が重なり、収拾がつかない。
その喧騒を、たった一言が断ち切った。
「――黙れ」
静寂が落ちる。
張り詰めた空気の中、ノエルはゆっくりと口を開いた。
「アストレアに、イエルが囚われている」
再び、ざわめきが広がる。
「イエル様が……!? 卑劣な祈念種どもめが!」
「直ちに救出部隊を編成すべきです!」
「いや――」
ノエルの声が、再び場を押さえ込む。
「アストレアに書簡を送る」
その言葉に、場の温度が変わった。
「書簡……? ノエル様、祈念種どもは話の通じる相手ではございません。十七年前の第七区の暴動、さらにはエリオ様にまで手をかけた連中です。この機に潰すべきかと」
別の議員が、食い下がる。
「イエル様が囚われているのですぞ! それで身に何かあれば、どう責任を取られるおつもりですか!」
さらに、低い声が続いた。
「……お言葉ですが、ノエル様。イエル様は人権派を率い、アストレアとも通じていたとの情報もございます」
その一言に、空気がわずかに歪む。
ノエルの瞳が鋭く細められた。
「だからどうした」
抑えきれぬ怒気が、言葉の奥に滲む。
「今、俺の肉親はイエルしかいない。まずは交渉だ」
押し返すように言い切る。
一人の議員が、慎重に問いかけた。
「……ラグス様のご意向は、いかがなされますか」
一瞬だけ、沈黙が落ちる。
ノエルは視線を逸らさず、答えた。
「ラグスは今、療養中だ。余計な負担はかけない。この件は――俺の独断で進める」
その夜、ルミエルから一機の小型ユニットが、アストレアの国境へと向かった。
――翌早朝。
宮殿の広間を、ルカが忙しなく走り回っていた。
「マリアス! ヨウルガ、何カ拾ッテキタ!」
その声に反応し、マリアスとカイが姿を現す。
ナギも眠たげに目を擦りながら、ふらりと広間へとやって来た。
そこには、小型ユニットを咥え、嬉しそうに尻尾を振るヨウルの姿があった。
カイが目を見開く。
「ヨウル、それ敵ユニットだよ! どうしたんだ?」
ヨウルは低く唸り、祈念を通じてカイへとイメージを送り込む。
「……ふむ。国境沿いを散歩してたら、こいつが国境を越えるか迷ってて……越えた瞬間に捕まえた、ってことか」
ヨウルは「グルル」と得意げに喉を鳴らした。
マリアスがカイに視線を向ける。
「カイ、それは何だ」
「これは恐らく……ホログラムメッセージだ。ルミエルからの。ただ……誰かの亡命支援の要請かもしれない」
「いや――違う」
静かな声が割り込む。
振り向くと、足を引きずりながらイエルが立っていた。
胸を押さえながらも、その視線ははっきりとユニットを捉えている。
ナギが駆け寄る。
「イエル、大丈夫? 無理しないで」
イエルはナギの頭にそっと手を置き、柔らかく微笑んだ。
「あぁ……君のおかげで、だいぶ楽になったよ」
ナギは嬉しそうに頬を緩め、マリアスの後ろへと身を隠しながら、そっとイエルを見つめる。
イエルはゆっくりとマリアスへ向き直った。
「それは、ルミエルが中央の要人間で使われる伝達ユニットだ。一般のものじゃない」
わずかに息を整え、続ける。
「……書簡だな。先日の戦いを受けて、何かしらの意思表示をしてきたんだろう」
マリアスは短く息を吐く。
「……そうか」
視線をユニットへと落とし、わずかに考え込む。
「オルガも呼んだ方がいいな。カイ、呼んできてくれるか」
「わかった、すぐに呼んでくる!」
カイはそのまま踵を返し、宮殿の外へと駆け出していった。
しばらくして、大きな足音が駆け寄ってくる。
息を切らしながら、オルガが声を上げた。
「もしかしたら……エリカから、オレへのメッセージじゃ……」
マリアスはわずかに笑みを浮かべる。
「だったらいいな。カイ、起動できるか?」
「うん、やってみる」
カイはユニットの外殻装甲を開き、内部のスイッチを操作する。
次の瞬間、ユニットの上方にホログラムが展開された。
浮かび上がったのは――ノエルの姿。
「……ノエル」
その場にいた全員が、息を呑む。
やがて、ノエルが静かに語り始めた。
《ルミエル統治者ノエルより、アストレアを統べる者へ。
本書簡は、戦闘継続の意思確認および、事態収束に向けた通達である。
現在、貴殿らが捕えているイエルの身柄を、速やかにルミエルへ引き渡せ。イエルは我が国における重要人物であり、その処遇は本来、我々が決定すべきものである。
なお、イエルの状態については正確な報告を求める。不当な負傷が確認された場合、それ相応の対応を取る。
本要請に応じるのであれば、ルミエル側の軍事行動は一時停止とする。対話の場を設けることも検討しよう。
だが――応じぬ場合、あるいは虚偽が認められた場合、攻撃は直ちに再開される。その際の責はすべて、貴殿らに帰するものとする。
付言しておく。本件において先に武力衝突を誘発したのは、そちら側である。我々はそれに対し、必要な応答を行ったに過ぎない。
以上が、現時点における我が意思だ。判断は、速やかに示せ》
再生が終わると同時に、ホログラムは音もなく消えた。
オルガが拳を強く握る。
「……調子のいいことばかり言いやがって。あの日、国境を越えてきたのは向こうからなんだぞ」
カイが静かに応じる。
「でも……第七区には、僕たちが侵入した」
「……まぁな。そこは、お互い様か」
オルガは短く息を吐いた。
イエルが一歩前に出る。
「僕が囚われている、か……。この傷だって、ラグスがやったようなものだ……」
マリアスがその言葉を受ける。
「それよりも、対話の場を設けると言っている。ノエルは真実を知らない。……これは、機会かもしれない」
「罠かもしれないぞ、マリアス。ラグスは信用ならねぇ」
オルガは腕を組み、低く唸る。
「そうだな、オルガ。しかし……恐らくラグスは、あの日かなりの傷を負っているはずだ。私たちは祈念で守れたが、あの状況で無傷とは考えにくい。屈強な男だ、命までは落としていないだろうが……。ノエルの独断である可能性は高い」
マリアスは静かに結論を下した。
「……返答を送ろう」
その言葉に、反対する者はいなかった。
全員が、同じ方向を見据えたまま、静かに頷く。




