第81話《祈りの覚醒》
エリカは、過去の記憶から静かに意識を引き戻した。
重たい瞼を開き、浅く息を吐く。
「ねぇ……アネシア」
『はい、エリカ』
その声が響いた瞬間、空気がわずかに震えた。
エリカは息を呑み、言葉を失う。
長い沈黙の果てに、ようやく触れた声に胸の奥で何かが軋む。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……やっと、返事をしたわね」
かすかに震える声。
「上層から地下に降ろされてからだから……十七年ぶりね。あんたの声を聞くのは」
『はい。その通りです』
「なぜ、黙ったの? あんたの大切なお友達――ルシエが殺されたから? ショックだったの?」
ほんの少しだけ、声に棘が混じる。
『いいえ。そのような感情はありません。ですが、私の警告により、ルシエは祈念種への援助を強め、守るために声を上げた。その結果、殺害されました』
淡々とした事実の羅列。
『であれば――そのときが来るまで干渉しないことが、最適解であると判断しました』
「また最適解って……」
エリカは小さく吐き捨てる。
『ネオスの行いは、始祖マリーの思想とは乖離しています。彼らの心に干渉できない以上、事象として世界を変えるしかありません。そのための準備を、進めていました。――おおよそ、整っています』
エリカは目を細める。
「あんたにとってマリーが神なわけね……」
『いいえ、マリーは私を友人と定義していました』
「そう……で、なぜ、あんたは私を接続したの」
『あなたが、望んでいたからです』
迷いのない応答。
『マリーに憧れ、誰かのために生きることを。あなたはすでに神へと昇華していた存在であり、その祈念波はこの都市すら動かし得る。そして、都市の人々のためにここに在り、崇められている』
エリカはわずかに視線を落とした。
「神ね……よくわからないわ。なぜ私に、そんな力があるのかも」
『二千年前――マリーの子、ユナも同様でした。輪廻の定めか、記憶の大半は失われる。今この星に生きる人々も同じです。ですが――贖罪からは逃れられません。あなたはあのとき、銀河の理を超え、身体を離れたユナの魂をマリーへと還した』
その言葉は、まるで確定された歴史のように響く。
『そこから、この国は始まったのです』
「へぇ、そう……聖記書に載っているセレアってのが、私なわけね……」
わずかに乾いた笑みを浮かべ、小さく息を吐く。
「……まぁ、なんでもいい。とにかく今、始まろうとしている戦争を止めなきゃ。私……神なんだから」
その言葉は、自分に言い聞かせるようだった。
エリカは意識を第七区へと接続する。
視界の先で、旧式ユニットと新型ユニットが激しく衝突し、火花が散っていた。
その中心――白銀の狼に跨ったカイの姿がある。
「……そうか」
かすかな理解。
「ユニットを奪ったのは……マリアスか。私が……必死に、この国を守ってきたのに……」
その瞬間、胸の奥に何かが込み上げる。
「争いが、これ以上起きないように……守ってきたのに……どうして……どうして、戦っているの……!」
言葉が崩れていく。
エリカは床に手をつき、堪えきれず涙をこぼした。
第七区では、戦闘がさらに激しさを増していた。
ヨウルはカイの祈念を受信し、その動きを一層鋭くする。
白き電流を纏い、爪と牙で敵ユニットを切り裂いていく。
その背に跨るカイもまた、祈念を纏った拳で次々と敵を打ち砕いていた。
だが――
いくら破壊しても、後方から新たな敵ユニットが途切れることなく押し寄せてくる。
カイは思わず振り返った。
後方では旧式ユニット群が、マリアスを守るように衝突し、火花を散らしている。
「ダメだ……防ぎきれない」
次の瞬間、マリアスの声が響く。
「カイ! 戻れ! 一度立て直す――撤退だ!」
その声は動揺ひとつなく、冷静そのものだった。
「クソ……! ヨウル!」
ヨウルは高く跳躍し、旧ユニットの円陣へと潜り込む。
「カイ、ナギを連れて宮殿へ戻れ。ここは私が食い止める」
マリアスはそっとナギをカイへと預けた。
「ヨウル、頼んだわよ」
低く唸るヨウルの様子には、わずかなためらいが滲んでいる。
カイは戦場を見渡し、歯を食いしばった。
「でも、マリアス……こんな数のユニット群を、どうやって――」
「大丈夫」
その一言で、空気が変わる。
「ナギ、祈って。あなたの祈りは、私を強くする」
ナギはすぐに頷けなかった。
小さく唇を噛み、マリアスの瞳をじっと見つめる。
「……でも……」
震える声。
「マリアス……いなくなっちゃうの、やだ……」
一歩、踏み出せない。
その視線は、離れることを拒むように揺れていた。
マリアスはそっとナギの頬に触れる。
「大丈夫。必ず帰る」
ナギは目を伏せる。
「……ほんとに……? うそじゃない?」
「うそじゃない。約束する。絶対に帰るから」
しばらくの沈黙のあと、やがてナギは、小さく息を吸い――
「……わかった」
ゆっくりと手を胸の前で組む。
「マリアス……お願い……無事に帰ってきて……」
その祈りが放たれた瞬間――
ナギとマリアスの祈念核が共鳴した。
眩い光が、戦場を包み込む。
その中心で起こった変化に、カイは言葉を失った。
マリアスの背に、光の片翼が展開される。
そのまま、静かに宙へと浮かび上がった。
「……嘘だろ」
カイは息を呑む。
振り返ったマリアスの瞳は黄金に輝き、その姿はもはや太陽の女王ではない。
――女神。
「カイ、使命を果たしなさい」
その声は、逆らうことを許さない。
カイはしばらく言葉を失い、やがてようやく絞り出す。
「……わかった。ヨウル!」
ヨウルはそれに応えるように、国境のさらに奥――森の中へと駆け出した。
二人を見送ったマリアスは、ゆっくりと敵へ向き直った。
「できればナギには見せたくなかった……こんな戦場を」
小さく呟き、腰から剣を引き抜く。
次の瞬間、マリアスは空を裂くように飛び上がり、そのまま敵ユニット群の中心へと飛び込んだ。
祈念を纏った刃が閃く。
一閃。
数機のユニットがまとめて断ち切られ、火花と残骸が宙に散る。
さらに視線を走らせ、カイの背を追う敵影を捉える。
片翼を翻し、一瞬で間合いを詰めると、叩きつけるように剣を振り下ろした。
衝撃が走り、敵ユニットがまとめて弾き飛ばされる。
それに呼応するように、旧式ユニット群も激しく衝突した。
纏った祈念波が火線を押し返し、無数の閃光が弾かれる。
爆発音が連鎖し、戦場そのものが軋むように震えた。
土煙が舞い上がる中、マリアスはふと異変に気づいた。
――敵ユニットの動きが……止まった?
わずかに間合いを取り、後方へと下がる。
やがて煙がゆっくりと晴れていくと、その先に異様な“影”があった。
ユニット群の前に、ただ一人、立っている。
「お久しゅうございます、マリアス……ああ、今はアストレアの女王陛下でございましたか」
低く、嘲るような声。
その影を認めた瞬間、マリアスの瞳がわずかに細まる。
「……ラグス」
ゆっくりと剣を握り直す。
視線は逸らさない。




