第78話《祈りの崩落》
ラグスが去った直後、六区の旧型監視ユニット、及び国境監視ユニットの通信が、突如として途絶えた。
「――異常検知。第七区南部、及び六区のユニット群の応答途絶……通信不能」
エリカの声が、わずかに揺れる。
静寂に包まれていたはずの空間に、次々と警告が重なり、祈りの塔の底に不穏なざわめきが広がっていく。
「旧型巡回ユニット群、国境警備大型ユニット、制御応答……なし。再接続……失敗。……命令権限、拒否」
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
――あり得ない。
この都市の旧型ユニットは、すべてエリカの祈念波の網の中にあり、例外など存在しないはずだった。
「どうして……二百機が北上……?」
視界の中で、赤い光点が増え、そのすべてが命令を無視して動き出していた。
進行方向――第七区。
エリカは祈念波を強め、何度も何度も呼びかける。
「止まれ……戻れ……命令を聞いて……!」
だが、応答はない。
まるでそこに意思そのものが存在しないかのように。
「……そんな……」
指先が震える。
その時、別系統の情報が流れ込んだ。
西部国境沿い。
オルガの部隊が、新型ユニット群の接触寸前まで迫っている。
「……オルガ……」
唇がかすかに震える。
争いは避けなければならない。
だが、止められない。祈りが届かない。
その現実だけが、冷たく胸を締めつけていく。
ルミエル中央制御区。
「……アストレアを落とす」
ノエルの声は低く、揺らぎがなかった。
「……よろしいのですか、ノエル様」
ラグスの声が、静かに響く。
巨大な窓の向こう、都市の光が広がっていた。
その中心に立つノエルは、しばらく何も答えなかった。
やがてゆっくりと口を開いた。
「第七区に侵入した祈念種……確認されているな」
「は。獣に乗った、例のミデアの少年です」
ノエルは目を閉じ、わずかな静寂ののちに口を開いた。
「……排除する」
短く、それだけを告げた。
ラグスの口元が、わずかに歪む。
「新型ユニット群の投入、及び新型国境警備ユニットの越境使用を許可する。徹底的に排除しろ」
「承知いたしました。西部国境沿いにもオルガが陣取り、こちらを伺っています。すでに巡回ユニット七百機の配備は済んでいます。そちらは?」
「マリアスはどっちにいる」
「確認は取れていませんが、おそらく七区。……オルガは陽動かと」
「ならば、オルガを落とせ。殺しても構わん。ユニット群をアストレアへ進行させろ。それと……マリアスは生かして捕えろ」
ラグスはわずかに目を伏せる。
「――御意」
その声音には、かすかな愉悦が滲んでいた。
もはや、その命は覆らない。
都市を動かす命令は、静かに、そして不可逆のまま確定した。
西部国境。
張り詰めた空気の中、オルガはじっと前方を見据えていた。
「……妙だな」
対峙する新型ユニット群。
数は増え続けている。
「五百、六百、七百……おいおい、増えすぎだろうが」
ルカが低く唸る。
「オルガ……コレ、作戦通リ?」
「あぁ……陽動じゃ済まねぇな。向こうは本気かもな。だが国境までは――」
その瞬間だった。
ルミエル側のユニットが、一斉に動いた。
――一歩、前へ。
「……は?」
オルガの目が見開かれる。
確かめるようにさらに一歩踏み出したルミエル側のユニットは、そのまま何の躊躇いもなく国境線を越えた。
「おい待て……! 冗談だろうが!」
オルガの怒号が響く。
次の瞬間、赤い閃光が走り、遅れて轟音と衝撃が弾けた。張り詰めていた均衡は一気に崩れ、戦闘が始まった。
「チッ……! 全機、迎撃体勢だ! 下がるな!」
オルガは大剣を引き抜き、前へ踏み出す。
陽動のはずだった。
だが、もうそんな段階ではない。
これは――侵攻だ。
その頃、カイは森を抜け、マリアスのもとへと辿り着いていた。
「マリアス!」
「カイ……無事だったのね」
マリアスの声には、わずかに安堵が滲んでいた。
だがその背後に、異様な光景が広がっていた。
二百機余りのユニットが静かに整列し、その無機質な視線が一斉にカイへと向けられていた。
「……これは」
「私の祈念波で接続を書き換えたの。旧式ユニットなら、まだ介入できる」
マリアスは淡く光る掌を見つめる。
「完全ではないけれど……今は味方よ」
ナギが駆け寄る。
「カーイ! すごいよ、いっぱい仲間いる!」
無邪気な声。
だが空気は、すでに戦場のそれだった。
「マリアス、七区はすでに新型に監視されていた。ここからの突破は厳しい」
「そうか……侵入経路の再検討が必要ね。イエルからの連絡もまだ……ひとまず待機」
その時だった。
背後に、冷たい気配。
「……来る」
カイが低く呟く。
森の向こう、無数の赤い光が灯る。
「奴ら、国境を越えてきている……それに数が多すぎる」
マリアスの声が沈む。
「戦うしかない……か」
ナギが震え、マリアスにしがみつく。
「ナギ……怖いか?」
「大丈夫。エリカを助けなきゃ。今……エリカも怖がってる」
マリアスはわずかに目を見開いた。
これほど離れていてなお祈念波を感じ取る――ナギの感応は、想像以上に深い。
マリアスはそっと抱きしめた。
カイはその姿を見つめる。
そして――
《ナギを守る。この命にかえてでも――》
祈念核の深層に、再び刻まれる言葉。
その瞬間、カイの両腕に青白い電流が走り、瞳孔が銀に染まる。
「マリアス、僕が突破口を開く。援護を頼む……ナギを守って」
「成長したね、カイ。オルガにも劣らない祈念波だ。ナギは任せて」
カイはヨウルの頭を撫でると、白銀の狼はそれに応えるように低く唸った。
旧式ユニット群と、新型ユニット群が対峙する。
静寂は、一瞬だった。
次の瞬間、無数の閃光が交錯した。
轟音と爆炎が重なり、祈念と鋼が激しくぶつかり合う。
「行くぞ、ヨウル!」
白銀の狼が駆け出す。
味方ユニットの隙間を抜け、高く跳躍し、そのまま敵群の中央へと叩き込まれる。
カイの両腕から放たれた祈念の波動が、連鎖するようにユニットを吹き飛ばしていく。
戦場が、燃え上がる。
それはもはや潜入ではない。
祈りと侵略が衝突する、臨界点。
誰にも止められない戦いが今、始まった。
祈りの塔、最下層。
エリカは膝をつき、震えていた。
「……止まらない……どうして……私が守ってきたはずなのに」
新型ユニットは止まらない。
国境では戦闘が始まり、アストレアへ侵攻が進んでいる。
そのすべてを、ただ見ていることしかできない。
「……違う……こんなの、違う……」
争いたくない。
ただ守りたいだけなのに、どうして祈りは戦いへと変わってしまうのか――その問いだけが、胸の奥で何度も繰り返されていた。
その時、視界に西部の国境警備ユニット群が映る。
「……これは……動かせる……」
わずかな希望。
エリカは祈念波を伸ばす。
応答――あり。
「……お願い……」
震える声で、命じる。
「オルガを……守って」
白い光が走る。
国境警備ユニットが、一斉に進路を変えた。




