第76話《亡霊の戦場》
決行日当日。
カイはヨウルに跨った。
甲装で強化されたヨウルは、低く唸るように身を起こす。
次の瞬間、地を蹴り風のように宮殿前を駆け抜けた。
「よし、いいぞヨウル! 右だ――次は、あの塀を越えてみて!」
祈念の受信盤がカイの思考を捉え、ヨウルはそれに応えるように軌道を変え、跳躍する。
重力をものともせず、軽々と塀を越えた。
一度止まり、カイはその頭を撫でる。
「いいぞヨウル。君は本当にすごい」
ヨウルは何も言わず、ただ尾を大きく振った。
マリアスが手をかざす。
応じるように、白い機体が静かに歩み出た。
二本の脚で大地を捉えるその姿は、まるで大きな鳥のようだった。
細くしなやかな脚と、白と金に輝く装甲が、朝の光を受けて静かにきらめく。
「この子はソルフェ。行こう、ナギ」
マリアスはナギを抱き上げ、その背に乗る。
「カイ、出発だ」
次の瞬間――
機体は音もなく地を蹴り、軽やかに跳ねるように駆け出した。
後を追うように、ヨウルも走る。
国境沿いを北上し、ルミエル第七区へ。
やがて森へと入り、木漏れ日が三人を淡く照らした。
枝を避け、幹を蹴り、機体は跳ねるように前へ進む。
ナギはその風を受け、無邪気にはしゃぐ。
「マリアス、早ーい! カーイー! 着いてきてー!」
「よし、ヨウル、追いつくぞ」
カイの祈念波を受け、ヨウルの甲装が淡く光を帯びる。
ヨウルは木から木へと飛び移り、やがてマリアスたちと並走した。
「マリアスー、抜かれちゃうよ」
「競争じゃないの、ナギ。これ以上スピードを上げると、あなたが危険なのよ」
ナギは少しだけ頬を膨らませる。
その様子を見たカイは速度を落とし、マリアスの後ろへとついた。
「あら、カイ。優しいのね」
マリアスはナギの髪を風から守るようにそっと抱き寄せる。
ナギは満足そうに、その胸へ顔を埋めた。
一方――。
オルガとルカは、およそ二百機のユニットを引き連れ、宮殿から最短の国境へと、すでに歩みを進めていた。
大型ユニットと連結したルカの背に、オルガは跨る。
肩には大剣。
その姿は、まるで戦場に立つ守護者のようだった。
連結されたルカの声は、低く重く響く。
「オルガ……重イ」
「我が野望のためだ。ルカ……すまないな」
「エ……オルガ、ソレ、思ッテナイ」
「ガーハッハ! さすがはルカ。オレの祈念波を読み取るとは。心が通じ合う――それはもう、友だ!」
「ウウ……デモ、イク。ナギノ、タメニ」
「……すまない。オレのために――」
「ナギノタメ!」
ルカの言葉は短く、だが揺るがなかった。
オルガは一瞬だけ口を閉じ、やがて小さく息を吐く。
やがて、国境が見えた。
ルミエル側。
巨大な国境警備ユニットが、等間隔に並んでいる。
無機質なレンズが一斉にこちらを捉え、淡く光を帯びていた。
「……よし、ここで止まれ」
オルガの声で、二百機のユニットが一斉に足を止める。
左右へと展開し、静かに隊列を組んだ。
その光景はまるで、壁だった。
「まだ早い」
オルガは空を見上げる。
太陽は、まだ低い位置にある。
「太陽が真上に来たら動く。ゆっくり間合いを詰める。見つかるように、見つからないように、だ」
「ソレ、ドッチ、ナノ」
ルカの素朴な疑問に、オルガは口元を歪めた。
短い沈黙。
「……とにかく、ここに敵の目を引く。それが役目だ」
大剣を肩から下ろし、地面に突き立てる。
「争いはしない。――睨み合うだけでいい」
その言葉とは裏腹に、空気はすでに、火花が散る寸前まで張り詰めていた。
その時、ルカが遠くを見つめた。
「オルガ、遠クニ、砂ケムリ」
「ん?」
「巡回ユニット、タクサン!」
オルガが低く言う。
「あぁ……あの新型か。二百……四百……五百はいるな」
やがて、敵のユニット群は大型ユニットの間に隊列を組み、
赤いレンズを光らせながら、オルガ側の様子を監視するように眺めていた。
正午、マリアスたちは第七区国境へと辿り着いた。
「マリアス、まずは僕が七区に入って様子を探る。ナギを守って」
「わかった。私も――準備に入る。頼む、カイ。気をつけて」
カイはヨウルに跨り、風のように国境を突っ切って第七区へと潜入した。
十七年前――《第七区虐殺事件》と呼ばれる惨劇の現場。
カイにとっても、この地を訪れるのは初めてだった。
そこは当時のまま手つかずで、黒く焼け焦げた建物の骨組みが空を突き、錆びた遊具や崩れ落ちた住居が廃墟の中に点在している。
風が吹くたび、折れた鉄骨が悲鳴のような音を響かせた。
暴動と鎮圧。
その激しさを、今なお語り続けているかのようだった。
「ヨウル……ここで祈念種たちは虐殺されたんだ。ただ自由を求めただけなのに。暴動なんて嘘で塗り替えられて……それでも、きっと最後まで抗ったはずだ」
カイはヨウルの背から飛び降り、ゆっくりと廃墟の街を歩く。
足元には、長い歳月を経ても消えぬ焦げ跡や、砕け散った武装の残骸が転がっていた。
ルミエルで五年間暮らした間、カイの耳に届いたのは「祈念種が暴走し、罪なき民を焼いた」という声ばかりだった。
だが――
この沈黙の荒野を前にすると、胸の奥に別の声が響く。
追い詰められ、抗い、それでも誇りを失わなかった祈念種たちの祈りが、今もここに残っているように思えた。
「……本当に帰ってきてしまったな」
はるか遠く、薄い霞の向こうに祈りの塔が聳えている。
祈りを宿す壁が陽光を反射し、亡霊のように浮かび上がっていた。
「ヨウル、見えるか? あれが……オレたちの目指す祈りの塔――」
その言葉を遮るように、一瞬、鋭い閃光が視界をかすめた。
廃墟の屋根。
何かが、光を反射した。
「新型……? しまった、見つかった!」
次の瞬間、廃墟の影から鋭い光弾が放たれる。
轟音とともに地面が抉れ、砂塵が舞い上がった。
「ヨウル! 走れ!」
カイが飛び乗ると同時に、白銀の狼は甲装を鳴らし、地を蹴った。
光弾が雨のように降り注ぐ。
ヨウルは瞬時に反応し、瓦礫の間を縫うように疾走した。
赤いセンサーを光らせた新型巡回ユニットが、壁面を駆け上がりながら追尾してくる。
機械仕掛けの四脚が建物を垂直に走り、無数の銃口が閃光を吐いた。
「ちっ……! 本当に“新型”だな!」
炸裂弾が頭上で弾け、熱風が頬を焼く。
ヨウルは瓦礫を蹴り、宙へと跳躍した。
その衝撃で崩れ落ちた建物が粉塵を巻き上げ、追手の視界を遮る。
「ヨウル、右だ!」
カイの声に応じ、狼は体をひねり、狭い路地へと滑り込む。
壁をかすめた弾丸が、火花を散らした。
息をつく暇もなく、さらに前方。
新たなユニットが道を塞ぐ。
赤い光点が幾つも浮かび、銃口が一斉にこちらへと向けられる。
「くそっ……囲まれたのか!」
ヨウルの甲装が淡く光を帯び、増幅器が低く唸る。
祈念波に呼応したその力が、次の一歩を爆発的な推進力へと変えた。
白銀の狼は地を裂くように加速し、光弾の網を突き抜ける。
直後、背後で弾幕が廃墟を蜂の巣に変えた。
「やっぱりお前はすげぇよ、ヨウル!」
カイは必死にしがみつきながら、遠ざかる塔の影を見据える。
ヨウルは瓦礫を蹴り飛ばし、さらに跳躍する。
そして影のように森へと滑り込んだ。
背後で鋼の機械音が咆哮のように響く。
まるで過去の亡霊が、なおも祈念種を許さぬかのように。
白銀の獣は振り返ることなく、息を切らしながら矢のように森の奥へと駆け抜けた。
やがて、追跡の音は遠ざかっていく。
胸を打つ鼓動の中で、カイは深く息を吐いた。
見上げた空。
その先に、祈りの塔の尖塔がなおも光を放っていた。




