第74話《歪んだ継承》
ルミエル評議会本部。
その最上層にある大評議会室は、蒼灰の石と鋼鉄で築かれた広間だった。
半円状に並ぶ議席には数十名の議員たちが座し、中央――。
玉座にも似た執務席には、連邦の象徴ノエルが静かに腰を下ろしていた。
広間の空気は張り詰め、ひと声で国の命運が左右されることを誰もが知っている。
「ラグス。塔に侵入した祈念種のガキどもはどうなった?」
名を呼ばれた壮年の将が立ち上がり、深く頭を下げる。
「申し訳ありません、ノエル様。国境まで追いましたが逃しました。国境を越える際、エリカ様が手を貸した模様。さらに国境にはオルガが待ち構えていました」
ノエルはしばし沈黙し、指先で肘掛けを叩いた後、低く問いを続けた。
「ラグス。都市巡回ユニットの祈念波脱却率は、どこまで進んでいる」
「はい、30%ほどにございます」
「30か……まだ足りぬ。塔の監視を強化しろ。周囲の旧型ユニットはすべて排除し、監視は新型のみとする。エリカに一切干渉させるな」
「……御意」
だが、その直後、円卓の端に座る慎重派の議員が静かに手を挙げた。
「ノエル様……。監視の強化は人権派の反発を招きます。イエル殿が訴えているように、過度な締め付けは国際的な同情も呼びます。慎重に――」
それを聞いて強硬派の議員が立ち上がり、机を打った。
「戯言だ! 人権派など祈念種と通じた裏切り者に他ならぬ。黙認すれば連邦の根幹が揺らぐぞ!」
議場は一瞬にして騒然となり、秩序が崩れかけた。
重苦しいざわめきが渦を巻くその時――。
「……黙れ」
ノエルの声が低く響いた。
怒鳴りではないが、その一語で混乱は凍りついた。
ノエルはゆっくりと立ち上がり、鋭く冷たい瞳を議員たちに向けた。
「秩序を乱す者が誰であろうと、捕らえるだけだ。祈念種であれ、人権派であれ、イエルであれ例外はない」
その言葉に、議員たちは息を呑み、誰一人として反論できなかった。
ノエルは椅子に腰を下ろし、静かに告げる。
「会議を続ける」
沈黙が残る広間で、ノエルはさらに続けた。
「ラグス」
「御意」
「イエルの動向を監視しろ。会合、交友、影に潜む繋がり――すべてだ。アストレアと通じる気配があれば、即座に報告するように」
ラグスは深く頭を垂れ、薄く笑みを浮かべた。
「承知いたしました。あの男の理想がどこまで通じるか、興味深いものですな」
ノエルの瞳が一瞬、冷え切った光を放つ。
「理想は必要だ。――だが秩序を揺るがす者は容赦しない」
ノエルは一度、視線を窓の外へ向けた。
遠く、地平の彼方――アストレアの方角へ。
「……そして、もう一つ」
その声は静かだったが、議場の空気を再び張り詰めさせる。
「アストレアは……肥大しすぎた」
ざわめきが走る。
「マリアスのもとで、祈念種は力を蓄えている。あの都市は、いずれ第二の第七区となるだろう」
議員たちの表情が強張る。
「同じ過ちを、繰り返すつもりはない。――芽のうちに潰す」
ノエルの瞳が冷たい光を帯び、空気が凍る。
「アストレアへの先制攻撃を検討する」
その一言で、議場は完全に揺れた。
「なっ……!」「それは早計です!」「全面衝突になりますぞ!」
ざわめきが広がる中――
ノエルは、ただ一言だけ落とした。
「秩序のためだ」
再び沈黙が訪れ、議場はノエルの威圧だけを残して静まり返った。
そして会議が終わり、大評議会室にはノエルとラグスだけが残った。
「ラグス……17年前に暴動を鎮めた功績には、感謝している」
ノエルは静かに目を伏せる。
その意識は、遠い過去へと沈んでいった。
――十七年前。
まだ幼いノエルは、祖父であり先代のエリオの膝の上で怯えていた。
「お祖父様……七区の暴動は大丈夫なの? 僕たちはどうなるの?」
エリオはノエルの頭を優しく撫で、穏やかに言う。
「大丈夫だ。この国の一番の剣士、ラグスが止めに行った。知っているだろう。お前も剣術をラグスに習っているのだから」
「うん、ラグスならきっと大丈夫だね! 父上もイエルも、きっと助け出してくれるね!」
――わずかな沈黙。
「……そうだな」
その言葉は、どこか遠かった。
やがて、扉の向こうから声が響く。
「エリオ様、ただいま戻りました」
「入れ」
扉が開く。
そこに立っていたのは――祈念種の血と油に塗れたラグスだった。
「七区の制圧、無事完了しました」
「ご苦労」
ノエルは弾かれたように駆け寄る。
「ラグス! 父上とイエルは?」
ラグスはゆっくりと膝をつき、視線を落としたまま答えた。
「ノエル様……ルシエ様は、祈念種の暴動により討死されました。――最後までこの国のために戦われた、立派な最期でございました」
ノエルの表情が固まる。
「え……?」
ラグスは続ける。
「そしてイエル様ですが、現在行方が分かっておりません。捜索は続けております。必ずや、見つけ出します」
幼いノエルは何も言えなかった。
ただ、その言葉を――そのまま受け入れるしかなかった。
それから十五年後――。
ルミエル中枢区、最上層の寝室。
先代エリオは、自室で無惨な姿となって発見された。
白い寝具は深い紅に染まり、床には引きずられたような血痕が残っている。
争った痕跡は明らかだった。
家具は倒れ、壁には鋭く抉られた傷が刻まれている。
そして、床に異様な油染みが黒く広がっていた。
それは、この都市において一つの種族を連想させるには十分すぎる痕だった。
重苦しい空気の中、ラグスが静かに口を開く。
「……祈念種の仕業ですな」
その一言で、場の空気が決定づけられた。
ノエルは、言葉を発さなかった。
ただ、ゆっくりと拳を握りしめる。
指先が白くなるほどに。
その瞳には、かつてないほどの血の色が宿っていた。
「――また、奪われた。父に続き、弟、祖父までも」
そして、その理由は同じだ。
祈念種――オリジン、そしてミデア。
「……許さない」
誰に向けたものかもわからぬまま、言葉が零れる。
やがて事件は正式に、オリジンによる犯行と断定された。
だが――犯人が捕らえられることはなかった。
真相は、闇に沈んだまま。
そして、その日を境にノエルは、ルミエルの最高指導者としての道を歩み始める。
その直後だった。
扉を叩く音もなく、ラグスが現れる。
その足取りは変わらない。
――だが、重かった。
「ノエル様。……ご報告がございます」
ノエルは振り向かない。
窓の外、夜に沈みかけた都市を見つめたまま、短く答える。
「言え」
「――イエル様が、見つかりました」
わずかな沈黙。
「……イエルが……?」
その声音には驚きはなかった。
ただ、感情を削ぎ落としたような冷たさだけが残っている。
ラグスは続けた。
「現在、人権派の中心におります。祈念種と接触し、それを指揮していたのが……イエル様でした」
ノエルの瞳が、わずかに細められる。
「そうか……。ラグス。イエルをここに連れてこい」
静かな命令だった。
だがラグスは、わずかに首を振る。
「……なりませぬ」
「なぜだ」
「イエル様は祈念種を従えております。軽率に接触すれば、衝突は避けられません」
ノエルはしばらく沈黙した。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……そうか」
その声には、わずかな諦念が混じっていた。
「ラグス。余計な争いは、また血を流す」
そして、振り向かぬまま告げる。
「規制を一部緩めろ。塔を祈念種に開放する。奴らは祈れれば、それで満足する」
「……御意」
ラグスは深く頭を下げた。
ノエルは何も言わない。
ただ、静かに目を閉じる。
――イエル。
その名は、かつて弟と呼んだ存在。
だが今は――ただの秩序を乱す可能性でしかなかった。
失われたものを、二度と繰り返させないために。
秩序を、絶対のものとするために。
ノエルはゆっくりと目を開け、意識を今へと戻す。
そして、窓の向こう、アストレアの方角へと視線を向ける。




