第73話《第七区の記録》
――翌日。
夕陽が宮殿の回廊を黄金に染めていた。
白亜の壁が柔らかな光を返し、空気には一日の終わりを告げる静けさが漂う。
マリアスは胸の前で手を組み、祈念核の鼓動を感じていた。
その震えはまるで、これから語るべき記憶を前に、心が躊躇しているかのようだった。
「来てくれたね、カイ……ありがとう」
テラスの長卓には、オルガ、イエル、そしてカイが座っていた。
四人の影が傾く陽光に長く伸び、テーブルの上で交わる。
誰もすぐには口を開かない。
ただ、風が庭の木々を揺らし、遠くで鐘の音が響いていた。
「マリアス、昨日は、すまなかった」
最初に言葉を発したのはイエルだった。
その声音には、いつもの穏やかさではなく、沈んだ響きがあった。
「僕はマリアスを責めるつもりはない。ただ……真実を知らぬまま生きてきたカイ君に、少しでも知っておいてほしかったんだ。僕たちが何を失ったのかを」
カイは、ゆっくり頷いた。
「……マリアスが話してくれって言ってた。聞かせてほしい、十七年前のことを」
マリアスはゆっくりと椅子に腰を下ろし、瞳を閉じた。
イエルが一呼吸おいて口を開く。
「第七区暴動事件――そう呼ばれたあの出来事は、祈念種の暴動なんかじゃなかった。本当は――粛清だった」
カイが目を細める。
「……粛清?」
イエルが静かに頷いた。
「僕の父、ルシエは当時ルミエルの技術局にいた。アネシアを管理していたのも父だ。だが、アネシアはある日、自らの最適解として、ネオスの排除を選び出した。つまり――ネオスそのものを敵と判断したんだ」
カイの眉がわずかに動く。
「アネシアが……ネオスを排除しようとした?」
「そう。だが父は、その暴走を対話で止めようとしていた。ある日、アネシアは、祈念波の強い孤児を呼び寄せ、自身と都市の心臓に繋いだ。それが――エリカだ。だが父も、その理由のすべてを分かっていなかったいた」
イエルの声がかすかに震える。
「だがその行為は上層部――僕の祖父、エリオの怒りを買った。アネシアの暴走も、オリジンに都市を委ねることも、彼には理解できなかったのだろう」
一度、言葉を切る。
「父は反逆者として中枢を追放された。後取りとして兄ノエルだけが残され、僕は父と共に第七区へ送られた。それが兄との別れだった」
夕陽が、わずかに陰る。
「……だが父はそこで、祈念種たちと共に新しい理想都市を築こうとしていた」
マリアスが静かに続けた。
「その第七区を……ラグスが襲ったの。『祈念種の暴動を鎮圧する』という名目で。けれど、暴動なんて最初から存在しなかった」
その声は、震えてはいない。
だが、深く沈んでいた。
「罪なき民と、子供たちまでが焼かれた。ルシエは祈念種を庇って倒れた。彼は最後まで祈っていた――憎しみではなく、赦しで終わるようにと」
沈黙が落ちる。
カイは拳を握り、唇を噛んでいた。
「……じゃあ、ルミエルに流れている情報は……全部、嘘だったのか……」
イエルが俯き、息を吐く。
「ルミエルでは、あの事件は祈念種の反乱として記録された。僕は真実を語ろうとしたが、誰も信じなかった」
その目に、確かな怒りが灯る。
「だからあの事件は――第七区暴動事件なんかじゃない。本当は、第七区虐殺事件だ」
静かに、だが断言する。
「証拠を持ち出そうとした者は、皆、粛清された。そして――真実を知るエリカも、アネシアと繋がれたまま塔の最下層へと移された。……だから僕は、父ルシエの手記を隠し、今もそれを守っている」
イエルは胸元から小さな封筒を取り出し、マリアスに手渡した。
古びて割れた封蝋には、十字と祈念紋章が刻まれている。
マリアスはそっと封を開け、中の紙を広げた。
「アネシアは、自我を持ちはじめている。そして、それは神をも模倣しようとしている」
その一文を、静かに読み上げる。
「……これは、父が守り抜いた真実だ」
イエルの声が震えた。
「父は、アネシアを完全に止めることはできなかった。その暴走を、いまも制御しているのは――エリカなのかもしれない」
一瞬、空気が張り詰める。
「父は手記に鍵を残していた。アネシアが要求したのは――魂の系譜により導かれし者、その四人との対話」
カイが息を呑む。
「対話……?」
「祈りと理を同時に響かせる魂だと記されていた」
マリアスが静かに言う。
「私は特定の魂の系譜が見える。その四人とは――エリカ、私、そしてカイとナギだ」
カイの瞳が揺れる。
「……オレとナギも……?」
「……そして、オレもだ」
オルガが腕を組んで言った。
「お前は違う」
マリアスが即座に返す。
その一言に、場の空気がわずかに引き締まった。
「アネシアは単純な祈念波では制御できない。だが私たちなら、意識を橋渡しできる」
そして、まっすぐカイを見る。
「それを確かめるために、私は五年前、君をルミエルへ送った。真実を告げずに」
カイの声が震える。
「どうして……黙ってたんだよ、そんな大事なこと……」
拳が強く握られる。
「オレはただ、平和のためだって……そう信じて……!」
マリアスは席を立ち、カイの肩に手を置いた。
「カイ。君を守るためだ。真実を知った君の行動までも私には予測できない。それに……私は君を――利用しようとしたのかもしれない」
静かに、しかし逃げずに言う。
「……あの時の私には、それしか方法がなかった」
瞳が、まっすぐに向けられる。
「エリカを解放し、アネシアの暴走を止める。そしてルミエルが祈りを取り戻すために……その使命を果たせるのが、君なのかを確かめたかった」
カイは俯いたまま、震えている。
その手を、オルガがそっと掴んだ。
「カイ。兄として言うが――マリアスの決断は正しかった」
低く、力強い声。
「お前が行かなければ、オレたちは確かめられなかった。……お前のことを。それに、あの時のマリアスは女王じゃなかった。母の覚悟だった。オレはそれを見ていた」
カイはしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうか。じゃあ、オレが生き延びたのも、祈りの一部だったのかもな」
マリアスが少し目を伏せる。
「君は私の罪の赦しであり……そして、未来への光だよ」
優しく、だが確かな声で続ける。
「祈念種が怒りを知らぬように、君もまた赦しの形を継いでいる。……だから、カイ。私たちはアネシアを、再び祈りの道へ導く。手伝ってくれる?」
カイは立ち上がり、静かに頷いた。
「わかったよ、マリアス。あの塔の中で、オレが見た光――まだ消えてない気がする。それがエリカのものか、アネシアのものかはわからないけど……それでエリカを救えるなら」
イエルが目を細め、静かに言う。
「……父も、そう願っていたはずだ。怒りではなく、赦しで終わらせろ、と」
その言葉とは裏腹に、イエルの視線が一瞬翳り、拳を握る。
マリアスはそれを見逃さなかった。
マリアスは立ち上がり、胸の前で手を重ねた。
「ならば――これが、新たな祈りの始まりだな」
マリアスはゆっくりと窓の外を見た。
夕陽は沈み、空には夜の気配が静かに満ちていく。
「――詳しい作戦は、夕食後に話そう。ここから先は、誰一人として退けない」
その言葉に、三人は静かに頷いた。
夜の鐘が鳴る。
その音は、まるで遠い銀河からの呼びかけのように、静かに響いていた。




