第72話《交差する光》
――翌朝。
宮殿の中庭には淡い朝霧が立ちこめ、陽光が白い石畳をやさしく照らしていた。
マリアスはカイとナギを連れ、回廊のテラスで穏やかに語らっていた。
ナギが笑いながら話すたび、カイもつられて笑い、マリアスは静かにその様子を見守る。
そんな中、回廊の奥から足音が響く。
マリアスが振り返ると、そこには柔らかな笑みを浮かべた男が立っていた。
「マリアース、ちょっといいかな。この子たち、宮殿を見てみたいって」
「イエル……ずいぶん連れてきたな」
男の周りには、オリジン、ミデア、そしてネオスの子どもたちがいた。
イエルは白を基調にした司祭服をまとい、黄金の縁取りが陽光を受けて柔らかに輝いている。
金髪は風に揺れ、その瞳は慈しみを湛えていた。
子どもたちはイエルの袖や裾を掴んで離さず、まるで彼こそが本当の守護者であるかのように懐いていた。
「わぁ……」
ナギが目を輝かせる。
「マリアス、私もみんなと一緒に遊びたい!」
マリアスは微笑み、ナギの頭を優しく撫でた。
「いいよ。行っておいで。お友達、たくさんできるかな? ナギが案内してあげたら?」
「うん!」
ナギは少し恥ずかしそうに子どもたちの輪に入り、すぐに打ち解けて笑い声を上げた。
カイはその光景を見ながらも、警戒を隠せずマリアスに小声で問う。
「……マリアス。この人、ネオスだよね……」
「大丈夫だ。彼はイエル」
「イエル……?」
聞き覚えのある名だった。だがすぐには思い出せない。
「君がカイ君だね。話は聞いている。ユナガーデンで過ごした五年のことも。僕はアストレアで託児施設や孤児院を運営している。そして……ルミエルでは、人権派の代表をしている」
イエルはおどけるように肩をすくめ、ちらりとマリアスを見やった。
「言ってよかったんだっけ、マリアス?」
「問題ない。カイ、彼はネオスだが、志は私たちと同じだ」
その瞬間、カイは記憶を手繰り寄せた。
「……人権派のイエル……! ということは、ノエルの双子の弟!?」
イエルは苦笑いを浮かべた。
「そう。兄とは道を違えたけどね」
マリアスが補うように言った。
「ルミエルで祈念種への規制が少しずつ緩和されているのは、イエルが政府に訴え続けているからだ。この国でも、ミデアからネオスの子が生まれている。恐怖や偏見はまだ残るが……ナギを見て。ナギは種族を越えて、自然に遊んでいる。それが本来あるべき姿だ。……私も、イエルも、ノエルとも、かつてはあんなふうだった」
カイは複雑な面持ちで二人を見つめた。
「……マリアスも……?」
カイは言葉を探すように、ゆっくりと続けた。
「オレは何も知らず、ただマリアスのため、この国のためだと信じて、五年もルミエルに潜り込んできたんだ」
一度、息を飲む。
「ネオスは祈念種に対して、ずっと迫害を繰り返してきた。十七年前、祈念種は暴動を起こし、復讐した……そんなの、お互い様だろ」
視線が揺れる。
「でも現実は……ユナガーデンでは、今も差別は色濃く残っている。ナギだって傷つけられた。結局、ネオスは変わってない」
拳がわずかに震える。
そして、低く。
「それでもオレは……祈念種は悪くないと信じて、平和の橋渡しになれると信じて、必死に都市で耐えてきたのに……なのに」
顔を上げる。
「マリアスは、その間にネオスと繋がっていたのか……」
イエルが目を細める。
「マリアス、君はカイ君に……」
だがマリアスが遮った。
「カイ、ヨウルとルカを探してきてくれないか。二人で早朝に山へ遊びに行ったきり、まだ帰ってこない」
「……わかった」
カイは俯きながら歩き出した。
その背中を、マリアスとイエルが黙って見送る。
イエルの顔に苛立ちが滲む。指先に力が入り、声はいつになく荒い。
「なぜだ、マリアス。なぜカイ君に真実を話さない? 君が隠すことで、彼は偽りの歴史を一生信じ続けることになるんだぞ」
マリアスはゆっくり目を伏せ、言葉を選ぶように低く答えた。
「――真実を知ることが、必ずしも正しいとは限らない。カイはまだ若い。真実を与えれば、悲しみがその心を支配してしまうだろう。……私やオルガのように。イエル、君だって、その気持ちは分かるはずだ。それに、真実を知ったうえでルミエルで生きるのは危険すぎた」
イエルは苦悶の声を漏らした。
「……守るためにまた隠すのか。守ると言って真実を奪うのか」
マリアスの表情は変わらない。むしろ、どこか穏やかだった。
「イエル。君も知っているだろう。祈念種には怒りという概念は少ない。理不尽に出会えば、私たちはそれを、怒りではなく深い悲しみとして受け取る。悲しみは怒りよりも深く、魂を染める分だけ溶けにくい。だから私たちは過去に執着するより、未来へ向かって動く。そうすることが、私たちの性なのだ」
イエルの目に、鋭い光が宿る。
「わかってる! だからこそ父ルシエは祈念種を尊び、命を賭して守った。君の親も、僕の父もまた、第七区で殺された。オレは憎い――この憎しみは、怒りになっている」
マリアスは小さく息をつき、それでも揺らがずに続ける。
「分かるよ、イエル。だが心の構造が違うのだ。私たちは与えられた使命と未来のために生きる。起きた過程に意味を見出そうとするけれど、過去の執着は手放す。だからこそ、君のように過去を燃料に戦う形にはならない」
わずかに視線を遠くへ向ける。
「……でも、カイも逞しくなって帰ってきた。そろそろ話すべきかもしれない」
静かに、決意を帯びた声。
「イエル――明日、また宮殿に来てくれないか。オルガも交えて、カイにあの日のことを話そう」
イエルは頷き、短く息を吐いた。
「……熱くなってしまったな、マリアス。父の死の真実は、ルミエルでもこの国でも誤解されたままだ。それが、どうしても許せないんだ」
マリアスは静かに頷く。
「そうだね、イエル。――ルシエは立派な人だった」
イエルはふっと目を伏せ、そして思い出したように顔を上げる。
「もうひとつ、知らせがある。リゼルがいなくなった。探してはいるが……もしかしたら」
マリアスは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
その視線が、朝の空へと滲む光を追っていく。
「……そうか」
「そろそろ行くよ。今日は子どもたちもいるし、また明日。――今度こそ、剣術を教えてくれ」
「君はもう一流だよ」
イエルは微笑み、子どもたちに声をかけた。
「おーい、みんなー、そろそろ帰るよー」
子どもたちがイエルの元に集まっていく。
ナギもマリアスの元に駆け寄り、抱き上げられた。
「ナギ、お友達はできた?」
「うん、今度ね、みんなでルカに乗って探検することにしたの!」
「そう、楽しそうね」
マリアスはナギの頭を撫でた。
ナギは嬉しそうにマリアスの胸に顔を埋める。
その小さな温もりを抱きながらも、マリアスの胸の奥ではリゼルの報せが重く沈み続けていた。
明日、語られる真実を前にして。
マリアスの祈念核は、静かに脈を打っていた。




