第69話《再会の宮殿》
白亜の宮殿の階段を駆け上がるうちに、カイの胸に込み上げてきたものがあった。
五年――それは遠すぎる再会だった。
けれど、そこにいた彼女は、昔と変わらぬ光で迎えてくれた。
「マリアス!」
カイはナギを抱いたままルカから飛び降り、女王のもとへ駆け寄った。
「カイ、随分傷だらけじゃないか。……頑張ったな」
たったその一言。
だがマリアスの放つ慈愛に満ちた言葉と祈念は、カイの胸に溶け込むように癒えていった。
「このくらい大丈夫。太陽に少し当たれば、すぐに治るよ」
マリアスは優しく微笑む。
その瞳には、やわらかな光が宿っていた。
「そっか……逞しくなったな。で――その子が、ナギか」
マリアスはそっと手を差し伸べ、カイの腕からナギを抱き上げた。
「ナギ、こちらがマリアス。この国の女王様だよ」
ナギは、じっとマリアスの瞳を見つめた。
その目は恐れることなく、まるでずっと以前からマリアスを知っていたかのように。
「……マリー……アス……」
ナギの祈念核が、ふるえるように光を放つ。
一度だけでなく、波打つように、強く、そして深く――。
まるで心の奥底に眠る“記憶のような何か”が、今、扉を叩いた。
理由はわからない。
だが、確かなものが胸を突いた。
この人を知っている。
この温もりを、知っている。
ナギの小さな頬に、ぽたり、と涙が落ちた。
それは悲しみではなく、長い渇きが潤されたかのような、魂の喜びだった。
マリアスもまた、その涙に触れた瞬間、何かが崩れた。
使命も立場も忘れ、ただ一人の祈念種として、マリアスはナギを強く抱きしめた。
声も出せぬほどに涙をあふれさせ、膝をつき、マリアスは深く泣き伏した。
その胸に宿る光もまた、確かに応えていた。
オルガが静かに呟く。
「魂の縁……オレも、こんなマリアスは見たことがない。マリアスは多くの使命を背負っている。これもまた使命……いや、祈りだったのかもしれんな」
カイもそんな二人を静かに眺めていた。
「ところでカイ、このデカいユニット……オレの勘違いでなければ、なんだかあの子とお前の波動を感じるのだが……」
少し考え、オルガが続けた。
「……も、もしかして、お前、あの子と子を作ったのか!? あんな年端もいかぬ幼き子と……お前ってやつは……兄としてそんなふうに育てた覚えは……」
「ち、違う! これは……!」
次の瞬間、ルカが大型ユニットから離れ、宮殿の中を嬉しそうに駆け回りナギの元へと走っていった。
「ママー! ママー!」
マリアスがそっとルカの頭に触れる。
「そうか……お前はナギの子で、ナギのママなのか」
「ソウ、ルカノママワ、ナギ! デモ、ナギノママワ、ルカ!」
そう言ってルカはオルガの足元に駆け寄り、じっと顔を見上げた。
「オルガ……ブサイク」
「ヌッ!……カイ……このユニットも斬っていいか?」
宮殿には、逃げ回るルカの足音と四人の笑い声が柔らかく響き渡った。
マリアスが涙を拭い、ルカとナギをそっと再び抱き寄せたそのときだった。
遠くから足音が響く。
重いのではない。むしろ滑るように静かで、地を払うような柔らかな音。
「……あれは?」
カイが視線を向けると、玉座の奥にある回廊から、白銀の獣が姿を現した。
全身を滑らかな銀毛で覆われたオオカミ。
青白く輝く双眸は、まるで夜の星のように鋭く、静謐な風格を纏っていた。
「ヨウル……」
マリアスがそっと名を呼ぶと、オオカミはしなやかな足取りで駆け寄ってくる。
その仕草には猛獣の威厳ではなく、忠実なる従者のような温もりがあった。
ヨウルは女王の足元に身を寄せ、顔をすりつける。
マリアスは何の恐れもなく、まるで幼いころからの家族のようにその頭を撫でた。
「……オオカミ? 本物か?」
「驚いたか、カイ。ヨウルは私が育てたのだ。祈念波に反応する獣……この地でももう数少ない」
「……知らなかったよ。こんな存在が、マリアスの傍にいたなんて」
「それでいい。ヨウルは私以外に懐かない」
その言葉を裏づけるように、ヨウルはマリアスの横からじっとオルガを睨みつけた。
「うっ……」
グルル……
鋭い視線とともに、低く威嚇音が漏れる。
「こらヨウル、オルガは私の大切な仲間だ。無礼をしてはいけないよ」
グルッ……。
ヨウルは不満げに一度鼻を鳴らしながらも、ゆっくりとその視線を外した。
「……ったく。なんだその目は。オレが何をしたってんだ」
ナギが笑いながらヨウルに手を伸ばす。
「オルガ、嫌われてるの? ほら、こうやって」
ヨウルは一瞬戸惑ったが、すぐにその手にそっと鼻を押しつけた。
「わぁ……やさしい……」
「すごいなナギ。ヨウルにここまで懐かれるとは」
マリアスの頬がふっと和らぐ。
その眼差しは女王というよりも、ひとりの母のようだった。
「やっぱり、ナギには不思議な力がある……」
カイが小さく呟き、マリアスに目を向ける。
「マリアス……ごめん、こんな大事にしてしまって。都市の情報知らせるのがオレの役目だったのに……」
マリアスはそっとカイに向き直った。
「カイ、君は十分役割を果たした」
「でも、ユナガーデンには、まだ……エリカが残ってる。救えてない」
オルガがカイの肩に手を置いた。
「カイ、マリアスが、お前をユナガーデンに行かせた理由はな、……運命というのはだな、えっとぉ……自らのな、えーそれで……」
オルガの言葉に、マリアスはくすりと笑った。
「オルガ、私が明日話そう」
マリアスはカイに視線を向けた。
「カイ、君もそろそろ医療室へ行け。あまりにも無茶をしすぎた」
「いや、オレは――」
「私が命じる。これは命令だよ、弟君」
マリアスの声音には、どこか安心したようなぬくもりがあった。
「……わかった。でも、ナギとルカは?」
「私が預かるよ。ヨウルもいるし、安心して」
マリアスがふたりを優しく抱き寄せ、ルカは嬉しそうにマリアスの膝に頭を乗せた。
ナギは不思議そうにヨウルの銀毛を撫でながら、時折マリアスの顔を見つめていた。
「ねぇ、マリアス……ルカもナギも、ここで暮らせるの?」
「もちろん。ここは祈りの都市。みんなを守るために創られた場所だから」
太陽の光がステンドグラスを透かし、宮殿の床に七色の模様を描いていた。
ヨウルがその中をくるくると回り、ルカと遊びはじめる。
カイはふっと息をつき、その光景を眺めた。
血の匂いが消え、安らぎが戻ってくる。
そんな実感が、ゆっくりと胸に満ちていく。
だが、だからこそ。
この安寧を守るために、ナギを守る使命があることを忘れてはいけない。
白銀のオオカミ、ヨウルはゆっくりと首を上げた。
青い瞳が淡く光り、まるでマリアスの言葉に静かに頷くように瞬いた。
宮殿の空気が、祈りのような静寂に包まれていった。




