第67話《命にかえて》
「マリアス――カイがエリカと接触したようだ」
屈強な身体に黒き甲冑を纏うミデア、オルガが報告した。
「そうか。……想定以上に時を要したが、とりあえずの目的は果たせたな」
ここは、祈りを礎とする祈念種独立都市国家アストレア。
荘厳な大理石の玉座に座すのは、黄金の瞳と長い髪を持つ、若くして気高き美貌をたたえた女王であった。
白と黄金の甲冑を纏い、まるで聖記書に描かれる守護神のような威容を放つ――それが、アストレアの女王マリアスであった。
「で、カイはどうしている?」
マリアスは玉座の肘掛けに白い指を添え、静かに瞳を細めた。黄金の光を宿す眼差しは、ただ一点を射抜くように鋭い。
「身元が露見したらしい……帰国のための救援要請だ。例のオリジンの子供も同行している」
黒甲冑に身を包んだオルガは膝をつき、低く頭を垂れた。
だが、その拳は硬く握り締められ、石の床にかすかな軋みを刻んでいた。
「そうか。ならばオルガ、国境まで迎えに行け。――可愛い弟が、五年ぶりに帰ってくるのだ」
マリアスの口元にかすかな笑みが浮かぶ。その声音は穏やかでありながら、女王の威を失わぬ響きだった。
「くっ……五年も待たせやがって。……わかった。だが、マリアス、もうオレは待てないぞ」
顔を上げたオルガの瞳には、熱を帯びた焦燥が宿っていた。
黒い甲冑の肩がわずかに震える。
「わかっている、オルガ。祈りの塔――そしてエリカの奪還。準備が整い次第、始める」
マリアスはゆるやかに立ち上がり、甲冑が光を反射して謁見の間に聖光を散らした。
その一挙手一投足が、アストレアの太陽の女王としての威を示していた。
その頃、カイはナギを抱きかかえ、外殻の崩れたコンクリートの陰に身を潜めていた。
不安そうに顔を上げるナギ。
「カイ……どこへ行くの?」
「そうだな。今日は、少し遠くに行こう」
「遠く?」
状況を理解していないナギを、これ以上怯えさせたくはなかった。
「ルカ。このままアストレアへ向かう。周りの状況はどうだ?」
ルカは壁をよじ登り、首を回しながら鋭い光学レンズを巡らせる。
「巡回ユニット……タクサン、クル! カイ、モウ行カナキャ!」
カイの背筋が凍った。
遠くで金属の脚音が不気味に反響している。
「カイ、ソレニ……大キナ、ユニット一機モ、クル! スゴク早イ!」
――大型まで……? 国境までまだ五キロ……逃げ切れるわけがない……。
諦念に似た重さが胸を押し潰す。
「カイ! コッチ!」
ルカが跳ね飛び出した。
「ルカ! ……ナギ、しっかり掴まって!」
「うん!」
もう迷っている時間はなかった。カイはルカを追い、コンクリートの陰から飛び出す。
背後から金属音が一斉に迫り来る。
赤い監視灯が、朝靄の中を鋭く貫いた。
「もうこんなに近くまで……! ダメだ、このままじゃ追いつかれる……!」
その瞬間、脳裏に焼きついた言葉が蘇った。
《ナギを守る。この命にかえてでも――》
カイの唇が自然に動き出す。
「……ナギを守る。この命に……かえてでも――」
それは叫びではなく、祈りにも似た呟きだった。
だが、確かにカイの全身を震わせる誓いとなった。
カイは立ち止まり、ナギを強く抱きしめた。
「ナギ……大丈夫だ。オレが必ず守る。それがオレの意味であり、使命だから」
ナギは深く理解できぬまま、それでもカイの胸に頬を押し当てた。
「……うん」
その瞬間、カイの銀色の瞳が閃光を放つ。
機構の両腕に電流が走り、空気が焼ける匂いが漂った。
カイはそっとナギを地面に下ろす。
「ルカ、ナギを頼む! ここはオレが食いとめる!」
「アイ!」
不安げに潤んだ瞳で見上げるナギ。
「カイ……今、何が起きているの?」
答えよりも先に、ユニットが飛びかかる。
「カイ! 後ろ!」
カイは振り返ることなく、発光した左腕を振り抜いた。
轟音と共に三機の巡回ユニットが薙ぎ払われ、火花を散らしながら地へ崩れ落ちる。
「ナギ、ルカと先に行け。必ず追いつくから」
「……うん。カイ、絶対だよ!」
小さな背中を押し出すと、ナギとルカは朝靄の先へ駆けていった。
振り返れば、そこには百を超えるユニットが銀のレンズを一斉に光らせていた。
「多いな……だが、ここで止めるしかない!」
金属音が四方から迫った。
巡回ユニットは、数こそ多いが、本来それほどの脅威ではないはずだった。
だが巡回ユニットの四脚の先端は硬い鋼で覆われており、突き刺されるたびに火花が散る。
「ぐっ……!」
カイの太ももに冷たい痛みが走った。
血が滲み、脚が鈍る。
さらに左腕を振るった瞬間――轟音と共に機構が爆ぜ、左手が粉砕されて吹き飛んだ。
火花と煙が立ち上り、腕の断面からは焦げた匂いが広がる。
それでも、銀の瞳は揺らがなかった。
「まだ……ナギを、守る!」
無数のユニットに押され、砂煙の中で必死に薙ぎ払う。だがその時――。
突風が走った。
風のような影が巡回ユニットを蹴散らし、瓦礫を跳ね飛ばして駆け抜ける。
「……大型か!」
カイの祈念核が凍りつく。
巨体でありながら異様な速度を誇る大型ユニットは、一直線にナギの方角へ向かっていた。
「やめろ……ナギに近づくな!」
焦りで声が裂ける。
カイは傷ついた身体を押して走り出した。
だが次の瞬間、大型ユニットはナギとルカの前に立ちはだかっていた――。
大型ユニットは旧式だった。
カイはその構造を熟知している。
心臓部――祈念波の受信盤。
その位置を狙えば、背部からの一撃で機能停止に追い込めるはずだ。
「やめろォッ!」
カイは叫び、傷ついた脚を引きずりながら駆け出した。
だが次の瞬間、大型ユニットはカイをすり抜け、巡回ユニットを蹴散らしはじめた。
「……な、何だ? 状況が違う……」
困惑するカイの耳元で、通信機が鳴る。
『カイ、今からルカとその大型を同期させる!――ルカ!』
「この声……エリカ!?」
直後、祈りの塔から強烈な祈念波が走り抜けた。
空間が震え、空気そのものが光を孕む。
「アイ!」
ルカが跳ね上がり、大型ユニットの頭部に飛び乗る。
レンズが七色に輝き、稲妻のような閃光が迸った。
そして、野太い声が轟く。
「ママー! カイー! ルカニ乗ッテー!」
『カイ、第二陣がそちらへ向かっている!――急げ!』
考える余裕はなかった。
カイはナギを抱き寄せ、そのまま大きく変貌したルカの背へとよじ登った。
そしてルカは地を蹴り、国境へと疾走した。
振り返ったカイの視線の先――砂埃を巻き上げ、第二陣と思しきユニットの大群が迫り来ていた。




