第66話《断罪と共鳴》
カイたちが去った後――
祈りの塔の最下層は、再び静寂に沈んでいた。
冷たい気配だけが、ゆっくりと満ちていく。
エリカはまだ、久々に交わした対話の余韻の中にいた。
「マリアスにオルガ、そしてカイとナギ……」
小さく息を落とす。
「……何かが、変わるかもしれない」
確証はない。
ただ、胸の奥に淡く灯る予感だった。
ふと、その感覚が揺らぐ。
「それに――なに……?」
一瞬、呼吸が止まる。
「……アネシアが……こんなふうに揺れるなんて……」
その違和感は、確かに内側から来ていた。
――その余韻を断ち切るように。
数人の護衛を従えたノエルが、ゆっくりと姿を現した。
ルミエル連邦の若き最高指導者。
冷笑と威圧をまとい、まるで闇そのもののように。
エリカは目を見開く。
「……ノエル? どうして、ここに」
ため息まじりに、ノエルはゆっくりと口を開いた。
「たまには……エリカ様にお祈りでも捧げようと思ってな」
その声は皮肉に満ちていた。
そしてその言葉とは裏腹に、ノエルの背後には、両手を拘束されたリゼルがいた。
「リゼル……!? どうして……!」
エリカが声を上げると同時に、ノエルはリゼルを無造作に前へ突き出す。
「……油臭い祈念種のガキどもの匂いがする。非常に不快だ」
そう吐き捨てると、ノエルはゆっくりと腰の剣を抜き、リゼルの背へと刃先をなぞらせた。
祈念核の位置を探るように、冷たく、慎重に。
「ノエル、やめろ! 私が頼んだんだ。斬るなら――私を斬れ!」
「ごめんなさい、エリカ様……私は平気です」
リゼルのかすれた声が、空間に静かに滲んだ。
「お願いだ……リゼルは助けてくれ……!」
エリカの頬に、ひとすじの涙が流れる。
ノエルの残虐さを、エリカはよく知っていた。本気で殺す気だ――。
ノエルは一歩踏み出し、目を細める。
「エリカ……この都市の巡回監視ユニットの半数が、もうお前の祈念波で動いていないこと、知っていたはずだろう? 都市は徐々にお前への依存から脱する。科学の力でお前をこの都市の呪縛から解いてやる。祈念波などもうこの世の中から必要なくなる」
「わかった……わかったから、リゼルを助けてくれ」
ノエルはリゼルの祈念核の真裏に剣先を突き立てる。
「エリカ、何故あの祈念種の子供らをここに入れた。答えろ」
エリカは囁くように言った。
「……呼応してくれたんだ。私の祈念波に。あの小さなオリジン……ナギが。塔が光れば、あの子はちゃんと祈りを返してくれた。“会いたいね”って言ったら、“いつか会いに行くよ”って……」
わずかに顔を上げ、エリカはノエルを見た。
「ノエル……あの頃に戻ろうよ。信仰を信じて、オリジンもミデアもネオスも手を取り合ってた……。君だって幼い頃、みんなと仲良くしてたじゃないか。ミデアのマリアスも、オルガも、そして君も……弟のイエルも。オリジンのリゼルが作ってくれたお菓子を、みんなで分け合って食べてた……あの頃に、戻ろう」
だがノエルの表情は、冷たいままだった。
「……エリカ。第七区暴動事件を忘れたとは言わせない。あの現場から、父上は帰ってこなかった。父は、オリジンに殺されたんだ」
「違う! それは……!」
――その瞬間。
護衛ラグスの剣先がエリカの喉元に突きつけられた。
息が、止まる。
目の前にあるのは、殺意そのものだった。
エリカは、それ以上声を出すことができなかった。
「エリカであろうと、もうオリジンを信用することはできない。お前とリゼルが、この都市の制御中枢──この国の神経核に祈念種を引き入れた。これは明白な国家反逆罪だ」
ノエルは一歩前に出る。
「……仮にネオスだったとしても、許される行為ではない。だがリゼル、お前はオリジンだ。ならば、この場で処罰を下す。……すべて、祖父が正しかった。そしてリゼル……貴様は――」
その言葉と共に、ノエルの剣が――
リゼルの祈念核を貫いた。
「リゼルーーーッ!!」
エリカの悲鳴が、塔の最下層に響き渡る。
「……どうして……ノエル……あんなに君を可愛がってたリゼルを……」
エリカは崩れ落ち、拳を強く握りしめた。
その姿を見下ろしながら、ノエルはラグスに命じる。
「ラグス、リゼルの亡骸を内密に処理しろ。人権派に悟られるな。それから、ここを出た祈念種の二人を捕えろ。あのオリジンの子供は、外殻からエリカとコンタクトしていた。相当な祈念波を持っている。……放っておくと厄介になるかもしれない」
「かしこまりました」
護衛のひとりがリゼルの亡骸を抱え上げ、ノエルと共に最下層をあとにする。
残されたのは、祈りの塔の心臓で、泣き崩れるひとりの記録者――エリカだけだった。
塔の裏経路を抜けたカイたちは、夜明け前の静かな通路を駆けていた。
人工灯も届かぬ整備路。
空気は薄く、肌を刺すように冷たい。
先頭を走るルカが、何度も後ろを振り返りながらカイとナギを導いていく。
地図も案内もないはずなのに、迷うことなく道を選び、足を止めない。
「……本当に、知ってるんだな」
カイがぽつりと呟く。
ルカの祈念核に、エリカが座標を直接送り込んだのだろう。
そう思った、その時だった。
ルカがピタリと立ち止まる。
レンズを振り返らせ、警戒するように言った。
「カイ ナニカ ツイテキテル。マエに ルカをコワシタノ と オナジ」
「……新型の巡回ユニット? やはり、つけられている……?」
胸の奥に、ひやりとしたものが這い上がる。
ネオスに気づかれたのか。
それとも、最初からすべて監視されていたのか――。
「ナギ、しっかりつかまって」
「……うん」
まだ眠たげな声でナギが答え、カイの胸に身体を預ける。
そのまま金属の梯子を駆け降りる。
どこまで走ったのか。どこまで潜ったのか。
やがて、外殻へとつながる接続ポイントが視界に入った。
「……よし」
短く息を吐いた、そのときだった。
カイの腕の中で、ナギがわずかに身を震わせる。
「……カイ」
「ん?」
「……エリカ、泣いてる」
「……え?……」
「さっき夢で見たの。……光の中で、すごく悲しそうにしてた」
ナギの胸元――祈念核が淡く瞬いている。
そこから伝わってくるのは、エリカの感情。呼吸。震える心。
「祈念波の同期……エリカに、何が……?」
だが、今すぐ戻ることは不可能だった。
夜明けの都市はすでに目覚めつつある。
祈りの塔に灯がともり、祈晶盤が次々と朝日に向き、稼働し始める。
都市の監視網が動き出せば、自分らは追跡対象にされかねない。
エリカと接触した者として――。
「……ナギ、大丈夫?」
「うん」
「今は外に出よう。監視の薄い外殻まで抜ける。いいね?」
ナギはカイの胸で、ぎゅっと小さく頷いた。
「ルカ、案内を頼む」
「アイ!」
機械音声の返事とともに、ルカが軽やかに走り出す。
カイはナギを抱いたまま、その小さな背中を追った。
鋼鉄の通路を駆け抜け、階層の下部を迂回し、やがて頬に冷たい朝の風が触れる。
夜が明ける。
都市が目覚める。
祈りの塔が静かに、光を放ちはじめる――。
けれど、その中心で誰かが泣いている。
ナギが振り返る。
「……やっぱり、泣いてる」
カイはその言葉に、返事をしなかった。
仲良し――そう言って笑ったエリカの顔が、脳裏に残っていた。
けれど。
それでも――
ナギとつながったあの悲しみが、確かに本物だったことだけは、感じていた。




