第65話《使命の祈念》
「……あの……エリカさん、いや、エリカ様……」
カイは戸惑いながら言葉を選んだ。
目の前では、クレープのクリームを頬につけたままのエリカが、きょとんとこちらを見ていた。
「エリカでいいよ。もう仲良しなんだから」
その屈託のない声に、カイは思わず視線を逸らす。
「えっと……僕の処分って、どうなるんでしょうか……」
「敬語もやめよう。仲良しなんだから」
「……あ、あのさ……エリカ。仲良しってことは……処分は、ないの?」
「するわけないじゃん。仲良しなんだから」
何度も仲良しと繰り返すその声に、カイは困惑しながらも、次第に胸の緊張がほどけていくのを感じていた。
――なんなんだ、この距離感は……。
最初は警戒しかなかったはずなのに、いまはなぜか、エリカの言葉が心に染み込んでいく。
その軽やかな声の奥に、ほんのわずかな寂しさを感じるのは、気のせいだろうか。
「そもそも、祈念種を処分する権限なんて、私にはないよ」
エリカはさらりと言って、視線を逸らす。
「私はただ、ルールに従って都市のインフラを制御して、国境の防衛装置を管理して、記録してるだけ。……それだけの存在」
その言葉の端々には、自嘲と、長い孤独の記憶が滲んでいた。
「でも……」
カイはためらいながらも言葉を継いだ。
「僕たちをここに入れた。それって記録するだけじゃない。エリカは……自分の意思で、そうしてるんだよね?」
その問いに、エリカはふっと目を細めて笑った。
「そう。私のほうが規約違反。だから……誰にも言わないでね?」
その目の奥に、寂しげな影が揺れる。
「え……う、うん。言わない。エリカって……神様みたいに言われてるよ。オリジンやミデアの間じゃ、信仰の対象になってて……」
「まぁね。祈念波が強いし、ずっとここに繋がれて都市を生かしてきたから。……ちょっとくらい崇められなきゃ、やってられないわ」
冗談めいた口調の奥にある孤独が、ふいにカイの胸を締めつけた。
ふと、エリカの視線が横へ流れる。
ルカを枕に、ナギがすやすやと寝息を立てていた。
「朝早かったもんね。……可愛いなぁ」
その声は、微かに震えていた。
その眼差しには、祈りにも似た慈愛が宿っていた。
やはりエリカは、“神に近い何か”なのだと、カイは思わずにはいられなかった。
「ねえ、カイ」
エリカがぽつりと続ける。
「この都市、この国は……ずっとネオスたちが、オリジンやミデアを迫害してきた。最近になって少しは緩くなったけど……それでも、外で生きるって、幸せ?」
突然の問いに、カイは言葉を失った。
「……幸せかどうかなんて、正直わかりません。生まれたときから、それが普通だったから……」
エリカはカイの顔をそっと覗き込む。
「生まれた時から……? カイ、君の出生記録がこの国にはないのだが。何故だ」
カイの祈念核が、ズキリと波打った。
とっさにナギをかばうように、体勢を変える。
「心配するな。何もしない。ちょっと聞きたかったんだ。マリアスは元気? オルガも。……あの二人仲悪かったからなぁ」
「知ってるの? マリアスと兄さんのこと」
エリカは天井を見上げながら、ぽつりと続けた。
「もちろん。私がまだこの塔の上層にいた頃、よく参拝に来てたよ。マリアスはオルガにいじめられてばかりだった。でも今は女王と家来。……笑えるね」
カイは、まだ警戒を解けずにいた。
「エリカ、ごめん……何も話せない」
「そうだよね、カイ。君はアストレアのスパイ。敵国に情報は渡せない。でも、マリアスには伝えて。私は元気。会いたがってたって」
――スパイ? そういう扱いになるのか……。
確かにマリアスの指示に従いこの都市には滞在していた。
ただカイにとっても、この都市にとどまる理由を詳しくは把握していなかった。
「……わかりました」
「それと、私はこの国を守るって」
カイは後退り、ナギに手を伸ばしその肩に触れた。
その瞬間、エリカの胸元が、ふわりと淡く光を灯した。
「夜が明ける。都市は……太陽の膨大なエネルギーによって目を覚ます。まずは祈りの塔に、そして都市の祈晶盤に光が届いて――そのすべてが私の祈念核を通り、ようやく動き出すの」
それは都市の心臓が脈打ち始める合図だった。
天井や壁に埋め込まれた無数の回路が、星々のように光を灯し、微かな電子音と共にゆっくりと明滅を始めていく。
まるで星海が、目の前に広がったようだった。
「……すごい……」
カイは息を呑む。
ただの制御空間じゃない。
正確で、精密で、それ以上に――美しかった。
――どうやって、こんな構造を……これがアネシア?
技師としての知識では追いつかない。
それでも感じた。
この場所は祈っている。
誰かの願いを、静かに、深く――
その祈りが、カイの胸奥にも触れた。
その瞬間、自身の祈念核が共鳴し、深層のプログラムが掘り起こされるような感覚。
そして脳裏に電流が走るように刻まれた言葉。
《ナギを守る。この命にかえてでも――》
――わかってる……でも、なぜこの想いはこんなに強く、懐かしい?
カイは胸を抱え、片膝を床についた。
「そっか。カイも思い出したか。生まれた理由、その使命を。
私の祈念波は、そういう作用があるらしい。全員じゃないけどね。でも……君、なかなか強い祈念を持ってる。そしてナギと引き寄せあった。いや、マリアスが引き合わせたか……」
カイには、まだエリカの言葉の意味が掴めなかった。
ナギをそっと抱き上げる。
「……帰ります」
エリカは微笑み、小さく頷いた。
「うん。会えてよかったよ、カイ。……帰りのルートは、ルカに教えてある。ネオスの監視に気をつけて。見つからないようにね」
「はい……ルカ、行くよ」
「アイ!」
ルカは先導するように走り出し、カイもそれを追った。
「また会いに来てよー! もう仲良しなんだからー!」
振り返ると、エリカが手を振っていた。
「……バレてる。もうこの国にはいられない」
カイは、ナギを連れてアストレアへ戻る決意を固めた。
だが同時に、なぜ呼ばれたのかという問いが、まだ胸に残っていた。
――「それと……私はこの国を守るって」
その言葉の真意。
マリアスとエリカが、いずれ国を背負って対峙するのではないか。
そんな不安を抱きながら、カイは祈りの塔を後にした。




