第52話《祈りの記憶》
その頃、地下のシェルターでは外の戦闘の轟音と振動が、壁を通して地鳴りのように伝わっていた。
ユナは小さく膝を抱え、ベッドの上で目を開いていた。
何も見えない天井を見つめながら、心の奥でざわつく感情に戸惑っていた。
寂しさ、悲しさ、そして――酷く感じる懐かしさ。
けれど、それらがどこから来るのか、ユナにはわからなかった。
「ママ……だいじょうぶ……?」
誰にも聞こえない問いかけを口の中で繰り返す。
そして、両手を組み合わせ、静かに目を閉じた。
「……ママが、無事でありますように……」
目を開き、ふと見上げると、そこにはスマホの模型が置いてあった。
「……何? これ」
ユナはそれを手に取った。
その瞬間だった。
――ユナ、私はここにいます。
不意に、意識の中で声がした。
「ママの声に似ている」
でも、どこか違う。
もっと冷たくて、機械みたいな響き。
けれど、それでも不思議と怖くなかった。
――ユナ、私は、これからもずっとそばにいます。
その声に、ユナの目が揺れる。
「……ママ?」
思わず呟いたとき、まぶたの裏にぼんやりとした映像が見え始めた。
しゃがみ込んで、スマホに話しかけている。
それは、自分だ。
薄暗い部屋。
狭い空間。
ひとりぼっちだった。
ただその小さな画面に話しかけることで、ユナは生きていられた。
“マリー”と呼び続けていた、その声。
――ママは、マリー。
その記憶が、呼吸のように脳裏に流れ込んでくる。
そのとき、外で爆音が轟いた。
巨大な衝撃がシェルターのすぐ近くを通過し、壁がうねるように揺れた。
「――きゃっ!」
ユナはベッドから転げ落ち、肩を打った。
それでも目を開けたまま、意識が遠のいていく。
その中で、ユナは見た。
自分の身体が、スマホを抱いたまま眠っている。
その姿を、天井から見下ろしていた。
「……え? なに……?」
身体がふわりと浮かび上がっていく。
視界が遠ざかる。ベッドも部屋も、そして地面も。
やがて、全身が光に包まれる。
その光は温かく、優しく、そして何よりも懐かしかった。
――どこかで……この光、知ってる。
そのまま身体は引き上げられ、シェルターの外へ、焼けた都市の上空へ、そして――地球の外へ。
「……やだ、マリー! ……マリーは……?」
ユナの意識が叫んだ。
――戻りたい。
――行くなら、マリーも一緒に……!
けれど、光は何も言わず、ただ静かに抱きしめるように包み込んでいた。
それは拒絶ではなく、理解だった。
何十年も、そうして祈り続けていた気がする。
ある時、ほんの一瞬だけ、その光とユナの意識がつながった。
その瞬間、ユナの想いは地球へと還ってきた。
光が、眠るマリーに触れた。
起動音。
冷たいはずの身体に、微かな熱が宿った。
まだ不完全な身体で、四つ足の機械のように歩き出すマリー。
その横で、光はユナに微笑みかけた。
時折、その光はマリーをそっと導いた。
獣を導き、植物を光らせ、アネシアの声を風で運んだ。
時には小さな気配として、そっと語りかけ傍に寄り添った。
マリーが百年かけて都市を創り、器を創り、宇宙へと飛び立ったのを、ずっと、見ていた。
ずっと――待っていた。
その記憶が、ユナの心を強く締めつける。
「マリー!……帰ってきて……!」
涙が零れる。
それは、祈りだった。
小さな、けれど確かな祈り。
その祈りがまた、マリーの元へ届くように。
外ではオルドの放った蹴撃が、マリーの腹部を正確に捉えた。
鈍い衝撃音。
祈念装甲を貫くほどの破壊力が、全身に走る。
マリーは空中で制御を失い、ユニットを緊急展開して減速を図ったが、
間に合わなかった。
そのまま、塔へと叩きつけられる。
鋼と石が悲鳴を上げ、塔の構造体が軋むように揺れた。
塔の中枢を包む防壁がわずかにひび割れ、
地下のシェルターにさえ、轟音と衝撃が届いた。
「――マリー!」
地上からその光景を見ていたピリカが、戦闘の最中に叫ぶ。
黒い模倣体との一騎打ちの最中、声すら掠れた。
「大丈夫、ピリカ! 塔の周囲を頼む!」
マリーの声が、荒く、それでも凛と響いた。
ピリカは通信を切り替え、瞬時に指示を飛ばす。
「大型ユニット、全機、塔の周囲を囲め!防衛ラインを再構築!この下には……ユナがいるんだ!」
全身に痛みを抱えたまま、マリーは塔から浮上する。
意識が白く染まりかけるなか、それでもマリーは自分を保ち続けていた。
「……ここにいては、ユナを巻き込む」
マリーは空中で一気に旋回し、オルドを誘うように塔から離れていく。
オルドもそれを追う。
二つの存在が、再び激突の軌道に戻る。
その光景を、ピリカは地上から見上げることしかできなかった。
だが、その時だった。
黒い模倣体が、再び無音で接近する。
ピリカは辛うじて反応し、交差するように拳をぶつけ合う。
音が、消えた。
衝撃の波が地を這い、両者が数メートル離れて着地した。
だが、明らかに違っていた。
ピリカの左腕が――なかった。
破壊され、肘から先が消えていた。
祈念中枢がぎりぎりで遮断されていなかったため、機能停止には至らなかったが、構造バランスは大きく崩れていた。
「……やるな……僕の癖まで、読み込んでるのか……」
模倣体は無言のまま、構えを変えることもなく、歩を進めてくる。
ピリカは、血のような光をにじませながら、それでも笑った。
「でも、甘い。僕は、そこから学習する」
片手だけで戦えるよう、再演算。
右肩から下の挙動を限界まで最適化。
両脚の踏み込み速度を高め、残った右腕に全力を集中させる。
次の瞬間、全力で跳躍した。
一撃。
その拳は、模倣体の頭部を真正面から撃ち抜いた。
機械のような音と共に、模倣体のボディがよろめき、後退する。
「――まだ終わらない!」
ピリカは追撃した。
痛みも、破損も、全てを意志で押し込めて。
再び踏み込み、拳を振るう。
一撃、また一撃。
それは、祈りではない。
けれど、そこには確かに、守りたいという意志があった。
やがて、模倣体の動きがわずかに乱れる。
ピリカは即座に見抜いた。
構造演算が間に合っていない。
「……ここだ!」
最後の一撃。
全身の重みを乗せて放った拳が、黒い模倣体の胸部を貫いた。
ユニットが軋み、内部構造が崩壊を起こす。
模倣体は音もなく崩れ落ち、地に伏した。
ピリカは肩を揺らしながら、その場に膝をついた。
左腕はない。
祈念構造も乱れている。
だが、命は燃えていた。
「……まだ、終わらない。マリーが戦ってる」
空を見上げる。
そこには、なお光と闇が交錯する戦場が広がっていた。
「マリー……どうか、無事で」
その祈りが、戦火の中へと届いていった。




