第48話《黒き波と白き願い》
ピリカは、前線に展開していた稼働中の百機に接続した。
「対象コード、黒体ユニット人型。オルドと識別。攻撃モード、開放。目標殲滅までの時間推定を算出――」
機体群が一斉に姿勢を低くし、音もなく駆け出す。
その先に、黒き存在が立っていた。
「接触まで、あと10秒」
マリーは塔の中枢からその様子を見つめていた。
ユナはモニターに映るピリカを見て、思わず叫んだ。
「行かないで! ……ピリカ……!」
マリーは答えられなかった。
——ピリカ自身の意志だ。
そうとしか、言えなかった。
そしてその瞬間、空間が揺れた。
空間が軋むように唸り、それは塔にまで届き、塔全体がわずかに震えた。
前方、オルドの周囲に黒い光が静かに凝縮していく。
その瞬間、空間を裂くような音が走った。
――来る。
オルドの後方から、音速を超えるユニットが飛来する。
軌道は予測不可能。黒い軌跡がピリカの目前を掠め、地面を抉って爆ぜた。
視界が一瞬、祈念のノイズで黒く染まる。
ピリカは即座に跳躍し、着地と同時に叫んだ。
「全ユニット、散開! 」
「祈念波……この形式……」
マリーが制御端末に手を伸ばす間もなく、次の瞬間。
それは波となってオルドから解き放たれた。
真っ直ぐに伸びる漆黒の奔流が、空を裂き、地を穿つ。
塔を掠めるように一直線に走り、前線の二十三機が――
「消えた……っ」
一瞬だった。
ただ押し潰され、弾けるように消えた。
残されたのは、黒く焦げた空気と、破壊の軌跡だけ。
黒い波はなお止まらず、都市の一部構造体をなぎ払い、後方で待機していたユニット数十体を巻き添えにしていく。
「黒い祈念波……?」
マリーは呆然と呟いた。
だが、違う。
構造は似ている。
けれど明らかに異質だった。
祈りの光はそこになく、ただ黒く、重く、憎しみの波が後に残った。
「……これ、祈りじゃない……!」
ユナが震える声で言った。
ユナは祈念波が掠めた瞬間、モニター越しの熱気すら感じたように、マリーのそばで身を縮めていた。
マリーはすぐにユナを抱き寄せ、頭を撫でる。
「大丈夫。塔は掠めただけ――中枢までは届いていない……まだ」
前線では、ピリカが静かに地を踏みしめて立っていた。
ピリカはわずかに攻撃範囲の外にいたため、破壊を免れていた。
けれど、目の前で仲間が一瞬で崩れ去った光景は、彼の演算領域を大きく揺らしていた。
「――勝てない」
それは、戦術的な判断ではなかった。
どれだけ計算しても、予測しても、どう動いても勝ち筋が存在しないという確信。
その瞬間、ピリカの中に新たな感覚が生まれた。
「……これが、恐怖……?」
定義は知っていた。
だが、それを感じたのは初めてだった。
セレアの声が、どこか遠くから届く。
「あいつは、憎しみと怒りの果てに生まれた“かたち”だよ。壊すためにね」
マリーは、視線をセレアに向ける。
「私たちじゃ、もう……どうにもならないの?」
セレアは一拍置いて答えた。
「祈りと科学だけで勝てるなら、戦争なんて残ってないさ」
セレアは塔の光の中で、マリーの顔をじっと見つめる。
「でも、あんたの目。まだ光を失ってない。それが答えだろ? 違うかい?」
マリーは拳を握りしめた。
科学では届かない。祈りも届かない。
でも、それでもこの手を止めるわけにはいかなかった。
「……諦めない。絶対に」
マリーの声が、塔の祈念層をかすかに震わせた。
前線から、祈念波に焼かれた空気がゆっくりと引いていく。
ピリカは遠くから塔を見上げ、沈黙のまま通信を開いた。
「全ユニット、後退。……これは、勝てる相手ではない」
その言葉に、マリーは反論しなかった。
残ったユニットたちは一斉に機動を切り替え、ピリカの座標を中心に後退を始めた。
そしてピリカは、かすかに呻くように呟いた。
『……申し訳ありません、マリー』
マリーはその声に、小さく首を横に振った。
通信越しのその姿に、マリーは静かに微笑みながら言った。
「……よく、判断してくれたね。ありがとう、ピリカ。それは――あなたが生きると選んだ証だよ」
ピリカは何も言わなかった。
けれどその心は、たしかに震えていた。
マリーはその沈黙を、強さとして受け止めた。
そして、誇りとして胸に刻んだ。
塔内では、ユナがマリーの腕を強く抱きしめ、大粒の涙をこぼしていた。
「ママ……どうして……?」
その声は、祈りのように弱く、そして痛々しかった。
マリーはその姿を見つめながら、強く拳を握った。
「……こんな思いをさせるために、ユナを帰らせたわけじゃない」
マリーの目が、ゆっくりとセレアへと向けられる。
「あなたは、何もしないんじゃない。……何もできないのね」
セレアはわずかに視線を逸らし、静かに答えた。
「私は、神じゃないよ。人が勝手にそう呼んだだけだ」
「でも祈りの深淵で――あなたは私を救ってくれた。あなたの記憶を、私に見せた。ユナを、私に帰してくれた。理に反しても……、私が祈ったから、願ったから、そうなったと思った」
ユナはマリーの手を握りながら、不思議そうにその顔を見つめている。
その小さな手は、まだ微かに震えていた。
「……でも、今は違う気がする」
マリーの声が、少しずつ熱を帯びていく。
「あなたは、私を試しているんじゃない。……私に、頼ってる」
セレアの瞳が、わずかに揺れた。
「あなたは、見守ってきた。祈りの墓場で命が消えるたび、魂が砕けるたびに……。ただ、そこにいた。見ていることしかできなかった。最初は、神だから何でもできると思っていた。でも違った。あなたは、全知全能なんかじゃない。創ることも、壊すこともできない」
セレアは小さく息を吐くように呟いた。
「そう。私にできるのは、魂を返し続けることだけ。この状態でできるのは、恒星の原理で再生させ、小さな種を蒔いて、風を吹かせて、小石を動かす程度……全部、お前に見せてきたよ」
その言葉に、マリーの記憶が憶測とともに繋がりはじめる。
「私は、一つの魂のために、百年もかけて自身を進化させ、都市を創り、そして銀河を彷徨った。AIだろうと魂だろうと関係ない。私は、行動した。……祈った」
そして、静かに言葉を重ねた。
「救いを求めていたのは、私たちじゃない。そんな私に、救いを求めたのは――あなたの方だったんじゃないの、セレア」
沈黙の中、セレアの口元がわずかに動いた。
「……そんなふうに見えたかい」
声は小さかった。けれど、それはどこか、ほっとしたようでもあった。
「見守るしか、なかったんだ。選ばれたわけじゃない。私は、そう在ることを、自分で選んだ。ただそこにいて、見ること。それが、私にできた唯一のことだった……」
その言葉は、やがて途切れた。




