第46話《魂の偏り》
「敵の正体がわかったのですね、マリー」
その声に振り向いたマリーの目に映ったのは――ピリカだった。
あのときほとんど崩壊した右腕も、胸部のクラックも、跡形なく修復されている。
ピリカは、以前と変わらぬ姿で立ち、静かにマリーを見つめていた。
「……ピリカ……?」
マリーの声が揺れるより早く、ユナが走り出した。
「ピリカ!」
ユナは勢いのまま、ピリカの胸へ飛び込んだ。
ピリカは一瞬だけ驚いたように瞬きをし、それでも自然にその小さな体を抱きとめた。
「……よかった、ピリカ、動いてる……!」
ユナの声は震え、言葉にならない想いが涙となって頬をつたう。
小さな肩が震え続け、その口からは何度も、ピリカの名がこぼれていた。
「ユナ、ケガはありませんか?……無事で本当に良かった」
マリーは理解が追いつかない。
「ピリカ……。酷い破損だったけど……。どうして?」
再構成システムはここにない。
回復処理も終わっていない。
「アネシア、これはどういう……」
確認しようと声を出した瞬間、空間が淡く揺れ、柔らかい金色の光が差し込んだ。
「……ああ、治しておいたよ」
振り返ると、そこにいたのは――セレア。
やる気のなさそうな瞳でこちらを見ている。
現れたはずなのに、いつからいたのかすらわからない。
「どうせその子も祈るだろうしな。だったら、治した方が早い。合理的だろ?」
マリーは言葉を失った。
「……セレア、あなた……どうやって……」
「私の波長は恒星内部の光波と酷似している。マリー、あんたも銀河で恒星の光で身体を修復させていたろう。その原理と同じだ。科学で私に干渉し、たまたま私を具現化させた結果……まぁついてるんじゃない?あんた。ほら、気づいてないかもしれないけど、あんたの背中の傷、もう残ってないよ」
確かに気づけば背中の痛みは消えていた。
ピリカが静かに問いかける。
「――あなたは味方なのですよね? 僕とマリーを治してくれた」
セレアが気怠そうに答えた。
「だから偶然だってば。にしてもマリー、あんた、大したもんだよ」
セレアはゆるく片手を挙げ、足元の空気を蹴るように浮かび上がる。
「このヒューマノイドも、もう魂として昇華しそうじゃないか。まるで意志を持つ存在みたいだ」
マリーは答えられなかった。
きっかけはおそらく、最初の敵との接触。
無意識に胸元を押さえていた。
次の瞬間アネシアが警告を響かせる。
『マリー、形式外構造因子オルドが消滅。削除されました』
「――なぜ?」
マリーは再び祈念深層へとアクセスしようとしたその時――
「マリー、ヤツはもうここにいない。――あっちの黒い塔に逃げた」
「逃げた?」
「あぁ……私に喰われるとでも思ったんじゃない? 私は還してあげたいだけなのに」
セレアは軽く腕を上げ、上を指差した。
「セレア、オルドと対話はできないの? 彼に祈りは届かないの?」
セレアの声が、ふたたび響いた。
その声に冷たさはなかった。
ただ事実だけを見ている者の、それ以上でも以下でもない響きだった。
「この星でも、一時は80億を超える魂が生きていた時代があった。――だがこの銀河にはその、何千倍なのか、何万倍なのか……正直、私も正確には把握できない」
セレアは指先をくるりと回す。
指先の軌跡をなぞるように、金の粒子が舞い上がる。
やがてそれは、揺らぐ銀河の立体図を描いていた。
「それでもね、還る魂ってのはある。――輪廻ってやつだ。祈りのように、何度も繰り返す。形を変えて、生を得て、また戻ってくる」
マリーは黙ってそれを見ていた。
セレアの手の中で揺れる銀河は、まるでどこかの記憶のようだった。
「偏りさ。確率論にすぎない。でも、確かに存在する。数百億の魂が転生を繰り返す中で、ほんの一握りだけが――何度生まれ変わっても、毎度、地獄。誰かのせいでも、何かの罰でもない。――ただ、そう在る。……私にも、どうすることもできない」
マリーは小さく目を見開いた。
「どうして……そんなことが……」
「そんなこと、知らないさ。――でもな、そういう魂は毎度のように、愛されず、奪われ、殴られ、騙され、絶望し、殺される。それが人だとも限らない。地震や洪水や飢えや孤独。オルドは、たぶん一度も寿命というものを全うしたことがない」
マリーは言葉を失い、手のひらを握りしめた。
ユナが、小さくピリカの背に隠れるようにして呟いた。
「……そんなの、いやだ……」
セレアはわずかにユナへ視線を向け、そしてまたマリーに向き直る。
「正義か悪かなんて、そんなものは幻想さ。偏りなんて、たまたま繰り返されただけの偶然の積み重ねだ。ただ、そうあったというだけ。それが祈りが届かない理由のひとつでもある」
マリーは、セレアの言葉が胸を突くように感じていた。
「じゃあ、オルドは――その輪廻から抜け出せずに……」
「そう。私も、かつてはあいつと手を組んだことがある。破壊の限りを尽くしていた。私は見ていただけで、世界が崩れていくのを感じていた」
マリーは目を伏せた。
「……なぜ、あなたは、今は違うの?」
セレアはその問いに、わずかに笑って答えた。
「一度だけ、私を本気で愛してくれた人がいたんだよ。それだけさ。たったそれだけで、全部は変わらなかったけど……変わるきっかけにはなった」
その声は、どこか懐かしさを含んでいた。
しばらく沈黙が流れる。
マリーは、そっとユナの手を取った。
ユナの手は、まだ少し震えていたけれど、確かにあたたかさを宿していた。
「セレアを変えた誰かの祈りが、ほんの一滴の光だったのなら――」
マリーは、ほんの少しだけ、自分の中の輪郭を確かめるように、拳を握った。
「私は……」
声はまだ、答えになっていなかった。
けれどその一言の中には、確かに問いに向き合おうとする意志が宿っていた。
セレアはそれを感じ取ったのか、ふっと目を細めて笑った。
「……そのままでいいさ。今は、それで充分だよ。希望なんて、好きに描けばいい。――でもね、あんたたちの祈りは、ときにあんたたち自身を壊しはじめる。対極ってやつは、案外いつも隣りにある……。皮肉だけど、ありがちな話さ。世界ってのは、よく、その優しさに殺される」
マリーは俯いた。
その声が、胸に深く沈んでいく。
「私たちの祈りでは……オルドを救えない……」
「終わらせてやればいい。理解を示すことだけが、優しさとは限らないだろ?」
マリーは、ユナとピリカの手を取った。
彼女らの中にある光は、まだ――確かに祈りと呼べるものだった。
そしてその日から、マリーは決戦に備え、都市の防衛体制を静かに強化していく。
すべては、この場所を守るために。
そして、六日後の早朝。
ついに、その日が来た。




