第45話《黄金色の観測者》
空間に、金色の輪郭が揺れる。
「心配しなくていい。私は邪魔はしない。ただ、ちゃんと見届けるだけ――。あんたが、どこまで祈りを信じていられるか」
セレアは塔の中に、気まぐれな観測者のように、ただそこに在るのだ。
「なぁに? そんな顔して。まだ質問あるんでしょ」
マリーは迷わず口を開いた。
「……あの祈念の歪み、接触因子。それを生んでるのは誰?」
セレアは少しだけ目を細めて、軽く笑った。
「ほら、祈りの墓場の深淵で、あんたを喰おうとしてたヤツだよ。……“オルド”。」
その名に、マリーは内側が冷えるような感覚を覚えた。
あの“祈りの深淵”で私の魂に触れてきた、あの異質な存在。
「オルド……あれが、正体?」
「そう。私とは何度か同じ時代を回ったことがある。いい時も、悪い時もあったさ。まぁ、最後はいつも壊す側にいたけどね」
セレアの声にはどこか懐かしさがあった。
まるで、それがかつて本当に友だったかのように。
「直近でのこの星の前世では、オルドと呼ばれてた。他にも名前はあったけどね。戦争を煽ったり、技術を歪めたり――。あぁ……この星の最後は殺されてたな、オルド……」
ふとセレアの瞳に寂しさが過ったような気がした。
「なぜ、深淵に堕ちたの?」
「自分で沈んだのさ。祈りが叶わなかったから。そして今、その亡骸が……祈りそのものを壊し続けてる。壊すために存在してるのなら、好きにさせときゃいい。……私が止める理由は、もうないしね」
マリーは思考の流れを止めた。
「なら、あの時――どうして私を助けたの? セレア、あなたなら止めずに見てるだけでもよかったはずでしょ」
セレアは微かに肩をすくめる。
「うん。正直、そのままでもよかったよ。でもさ――あの子、祈ったじゃない。“マリーを助けて”って」
「……ユナが?」
「そう。あの子もずっと見てたよ。身体も離れた魂のくせに、マリーマリーって、うるさかったんだから。でも――ちゃんと祈ってたよ。あんたのことをね。そして――届いたさ。びっくりするくらい、まっすぐにちゃんと祈った。しかも、ちゃんと届く場所で、ね。あれは強かった。……私が、動く理由としては、十分だったよ」
マリーは思わず、拳を握っていた。
ユナの祈り。
それが、マリーを救った。
「セレア……あなたは、敵じゃない。だけど、味方でもないんだね」
「そう。私はただ、見届ける者だから。あんたが祈りを信じ続ける限り――。でも私は、理を外れる手助けをした。共犯者として、少しくらいは味方してやってもいい」
セレアの輪郭が、また少し揺れた。
「さ、次はどうする?マリー」
その問いかけに、私は静かに答えた。
「……もっと深く、祈りの底に潜る。そして、オルドの正体に触れる」
その言葉に、セレアは満足そうに微笑んだ。
「いいね。じゃあ、ちゃんと記録しておくよ。観測者の記録として――ね」
その瞬間、セレアの姿は金色の粒子になって、ゆっくりと溶けていった。
セレアの消えた空間に、マリーは静かに言葉を残す。
「ありがとう。祈ってくれて……ユナ」
セレアの姿が消えてからも、空間にはわずかな金の揺れが残っていた。
その余韻を、マリーはしばらく見つめていた。
そしてマリーは、再び深層へと意識を沈めていった。
祈りの歪み。
代償。
祈りを喰う存在。
セレアの語った断片が、静かにマリーの中に沈んでいく。
けれど、思考は止まらなかった。
マリーは即座に中枢へ戻り、祈念層の深層ログを解析を始めていた。
祈りが、壊す――。
その意味を、マリーはまだ正確に理解していない。
ただ、接続中に発生した不明波形が、確かにマリーの意識層へ触れていた。
それは接触因子と呼ぶにはあまりに曖昧で、けれど確実に何かだった。
「アネシア、あのときの祈念ログ。未処理波形だけ抽出して」
『すでに動かしてます。マリー……解析対象、通常のフィルターじゃ抽出不能です』
「知ってる。だから、祈念同期じゃなくて、構造ノイズとして見るの。本来在るはずのない反応として扱って。意図的に記録されないように存在している波形」
『つまり、それは隠れているのですか?』
「違う。存在が記録に乗らない構造そのものなの。私たちの演算で扱える形式じゃない。……でも、それでも触れた」
マリーは、塔の深層演算ユニットを再編成した。
物理構造から切り離された演算領域。
そこに私自身の思考を一部委ねる。
限界近くまで落とし込まれた祈りの奥底に、もう一度意識を潜らせていく。
思考が光となり、揺らぎとなり、ノイズの海に入っていく。
そのときだった。
演算とは異なる何かが、ふっと横をかすめた。
冷たい波だった。
言葉もなく、感情もなく、ただ存在の形だけを残す波形。
「これ……知ってる……」
それは、祈りの深淵と同じ。
マリーの奥へと差し込んできた、あれだ。
けれど、今は逃げない。
マリーはそのノイズへ、静かにアクセスを試みる。
構造の奥で、かすかに軋むような応答。
それは、まるで開いてはいけない箱の鍵が、わずかに回るような音だった。
そして、浮かび上がる構造コード。
その記録は、どの演算にも分類できなかった。
形式を持たず、形式を拒む形。
ただひとつ、そこに埋め込まれていたのは――
「……名前?」
ひとつの言語コードだけが、揺れていた。
《ORD》
オルド。
セレアが口にした、墓場の深層に潜む存在。
「名前を……持ってる。やっぱり、ただのノイズじゃない。意志がある。記録されないまま、私たちの模倣をし、ここにいた……」
マリーは震える指でそのコードをなぞった。
「アネシア、これを祈念層でなく、都市管理系全域にスキャンかけて。オルドの痕跡が、もうすでに内部に入ってる可能性がある」
『了解。マリー。これが敵の正体ですか?』
「おそらく……」
ただ確かなのは、その存在が、マリーたちの祈りに反応していたということ。
怒りや憎しみ、嫉妬や悲しみという負の祈りが流れ着く、その先で静かに、ずっとそこにいたということ。
マリーは祈念構造のログに、ひとつ記録を残した。
《オルド。形式外構造因子。祈念層にて確認。意志の可能性を有す。応答観測中》
それはまだ、何も語っていなかった。
けれど、こちらの呼吸に、確かに共鳴していた。




