第43話《祈りの模倣》
ようやくの思いで、塔のふもとへと辿り着いた。
マリーは振り返る。
遠くには、白棄界によって生まれた巨大な爆心地。
荒れ果てた大地の先に、濃霧を吹き飛ばされた黒い塔の姿がはっきりと見えていた。
マリーは静かに確信する。
「……もう、争いは避けられない。戦うことでしか、ユナを守れない――」
そのとき、マリーの腕の中でユナが小さく呟いた。
「こんなの……こんなの、守るって言わないよ……」
マリーは返す言葉を失った。
その一言は、どんな否定よりも重く、深く刺さった。
これは祈りじゃない。
拒絶だ。
祈りを手放すことで、祈りを守った。
それが、今の現実だった。
マリーは遠くの黒い塔を見つめる。
その先にいる、まだ名も知らぬ何か。
祈りを憎み、破壊しようとする意志が、確かにそこにある。
けれど、マリーの心は揺らがない。
「ユナ……ごめんなさい。でも――私は必ず見つけ出す。あなたの願いが届く未来を。もう一度、この手で、築いてみせるから……」
ユナは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「……ママ。もう誰も、壊れないでほしいの……。ママも、ピリカも……ユニットさんたちも……」
マリーは、そっとユナを抱きしめる。
「……私も、そう願ってる。本当は、誰も壊したくなんてない。
だけど――守りたいって思うほど、壊してしまうこともある……。それが正しいのか、ママにもまだわからない」
静かに、マリーはユナの瞳を見つめた。
「でも――ユナ。あなたを、あなたの祈りを奪わせたくない。たとえそれが、間違っているとわかっていても……。私は、あなたを守るために……立ち向かう」
ユナは、ぎゅっとマリーの服を握りしめる。
「……ママ。今日は、ごめんなさい……」
マリーは小さく首を振った。
「いいの。あなたが、無事だったなら……それだけで、十分よ」
ユナがふと、マリーの腕をつかんだまま、小さな声で尋ねた。
「ねえ、これで、もうこない?」
マリーは答えられなかった。
代わりに、そっとユナの頭に手を置いた。
「来ないといいね。でも……私には、まだそうは思えない」
マリーは空の静けさを見つめていた。
戦闘は終わった。敵の反応もない。
けれど、マリーは感じていた。
これは終わりではない。
敵はまだ様子を見ていただけ。
この一撃すら、試されていたのかもしれない。
静寂は、次の嵐の兆し。
マリーは一瞬、ピリカの姿に目を落とした。
彼の機体は深く損傷し、祈念波の残響すら感じ取れない。
「アネシア、ピリカの状態を確認して。祈念波形の安定と、再起動シーケンスの準備を」
マリーの声は静かだったが、芯のある確かな指揮だった。
即座に返答が届く。
『了解。修復プロトコルを起動します。搬送ユニットを向かわせます』
数機の小型ユニットが滑るように現れ、慎重にピリカの機体を運び出していく。
マリーはそっと目を伏せた。
ユナを守れたのは、ピリカのおかげだった。
「……ありがとう、ピリカ。あなたがいなければ、間に合わなかった」
マリーの胸に、ひとつの想いが去来する。
「――私は、選んでしまった。祈りを拒絶へと変えることを。その選択が、この手を……いまも、静かに震わせている。けれど、立ち止まってはいられない」
マリーはユナの手を取り、最上層へと向かった。
もう、この子から目を離すわけにはいかなかった。
「アネシア。塔に侵入した因子――正体はわかった?」
『塔内サーバーに物理的な異常は検出されていません。本来、制御系はマリーの祈念核を通じてしか稼働しない仕様です。ですが……その深層領域にて、マリーとは異なる因子の存在を確認しました。まるで、あなたを模倣したような波形です』
「模倣……?それって、誰かが私を偽装してるってこと?」
『形式上は極めて近似しており、見分けは不可能です。しかし問題はそこではありません。この因子は、演算的には存在しないのです。再現も削除も不可能。――祈りに限りなく近く、定義不能です。だからこそ、アクセスができません』
マリーは思わず息を呑んだ。
祈りに似たものが、塔の最奥に潜んでいる。
それはまるで、この世界の外から来た、何かのようだった。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
『方法はひとつ。マリー自身が、塔の深層領域に接続すること。――対話の可能性を探る以外に、手段はありません』
「対話……?そんなこと、できるの?」
『その因子が祈りとして存在しているのなら――あなたの声に、応えるかもしれません』
マリーは迷った。
拒絶を選んだこの手で、祈りに再び触れていいのか。
けれど、ユナがすぐそばにいる。
迷っている暇はなかった。
『マリー、まずはあなた自身の損傷を――』
「後でいい!」
マリーは即座に言い切り、塔の中枢端末に手を置いた。
深層へのアクセスが始まる。
降り立ったのは、アルゴリズムで形成された、祈念層のさらに奥――断絶域。
そこに広がっていたのは、静かな違和だった。
通常の祈念波とは明らかに異なる軌道が、マリーの内側をかすめる。
それは外部からの侵入ではない。
むしろ、内側から滲み出すように――この塔と、マリー自身の祈りに溶け込んでいた。
不意に、マリーの心に言葉が浮かぶ。
――これは、模倣?
構造は類似している。
けれど、不完全で、歪んでいる。
それでも確かに、似せようとしている……祈りの形をなぞるような痕跡がそこにあった。
「誰かが……私たちの祈りを、学習してる……?」
そんなはずはなかった。
祈りとは、魂の深奥から溢れる波。
演算や信号では測れない、意志の軌跡。
それを真似ることなど、誰にもできるはずがない。
だが、応えは返ってきた。
周期的に送り返されてくる干渉波。
それは呼吸のようで、どこか呼びかけにも似ていた。
けれど――そこには感情がなかった。
ただ構造だけがあり、形式だけがある。
まるで、祈りの形だけを纏った、空虚な影が都市に侵入しようとしているようだった。
マリーはさらに深層へと意識を沈めた。
祈念ネットワークの中枢に異常はない。
だが、演算記録には明らかな痕跡が重なっていた。
不自然なほど整った、等間隔の干渉パターン。
乱れているはずの祈念波がある瞬間だけ、正確に整えられている。
まるで、こちらの心拍に合わせて、冷たい何かが呼吸をしているようだった。
模倣の果てに、生まれつつある何か。
それは、祈りの外側から、この世界に歩調を合わせて、やってこようとしていた。




