第41話《祈りを壊す波動》
寝室の扉を開ける――
ユナの姿は、そこにはなかった。
その瞬間、マリーの膝が崩れ落ちる。
「……ユナ。どこにいるの……?」
祈念核には、確かにユナの気配が残っていた。
けれどそれは、あまりにも不自然すぎる安定だった。
まるで、死後に残された残響のように。
その旋律は、あまりにも静かで、無音に近かった。
ユナの祈りは、本来もっと不規則で、もっと温かく、生きていたはずなのに。
「……ユナ……?」
その名を口にした瞬間、マリーの中で、何かが崩れ落ちた。
そこにあるはずの命が、もう――そこにはない。
マリーは声を絞り出すように呟いた。
「……ピリカ。ユナが、いないの……」
『――マリー。じゃあ、やはりあの中心にユナが!?』
ピリカはすぐに隊列を停止させた。
「君たちはここで待ってて。僕が……確かめてくる」
背後のユニットたちが静かに足を止める。
ピリカは脚を忍ばせながら、敵ユニットの隙間をすり抜けていく。
「……間違いない。ユナの気配だ」
金属の脚と脚の間をすり抜けた瞬間、彼の視界に“それ”が現れた。
朝焼けの光に包まれた、その中心――そこに、ユナがいた。
「……ユナ……?」
ピリカは思わず息を呑んだ。
声が漏れることすら恐れ、身体が震える。
ユナはそこに、まるで夢の中のように立っていた。
白いワンピース。
柔らかく波打つ髪。
頭には野に咲く花で作られた花輪がそっと乗せられている。
その小さな両手には、大きな花束が抱えられていた。
そしてユナは、それを目の前の大型ユニットに差し出していた。
まるで、敵ではなく友達にプレゼントを渡すかのように。
ピリカの胸の奥で、何かが軋むように揺れた。
「これは……何……?」
そこには剥き出しの敵意も、破壊の気配もなかった。
けれど同時に、あまりにも静かすぎて怖かった。
ユナの背中が、小さく震えていた気がした。
「怯えてる?……どうして、そんな場所に……どうして、そんな顔で……」
ピリカの足が、一歩前に出ようとする。
けれど、その一歩がとても遠く感じた。
体が、心が――揺れていた。
ユナが一歩、中央のユニットに近づいた。
「ユニットさんたち、このお花、今朝詰んできたの。仲直りのしるしに。でもこれじゃ足りなかったみたい……」
ピリカは知らなかった。
戦場の只中で、花を渡そうとする者がいるなんて。
敵と味方の境界線を超えて、ただ優しさだけを差し出すことがあるなんて。
それは、あまりにも純粋で、あまりにも危うかった。
「……マリー、ユナがここにいます。間違いありません」
その声は、震えていた。
ピリカは、何かを確信し始めていた。
あの塔の中で揺れていた気配の正体。
それはきっと、ユナの中に触れた“何か”だ。
そして、今――
その何かが、ユナをこの場所に導いていた。
「僕は……守れるのか? このユナを……」
マリーは、事態をまだ受け入れられないでいた。
アネシアの冷静な声が鳴る。
『マリー。ユナのバイタル、マリーの感じる気配は恐らく敵の模倣です。内部にも敵が侵入し……』
被せるようにマリーが声を出す。
「わかっている! ――許せない。なぜこんなことまでしてユナを……」
マリーは震えていた。
胸の祈念核は、燃えるように真っ赤に染まっている。
「ピリカ……。お願い。ユナを守って。すぐに行くから!」
『了解です、マリー。急いでください』
マリーは塔を駆け上がった。
最上階から銀色の片翼を広げ、塔の頂上まで舞い上がりユナへの方向を定める。
その時、背後の塔の外壁から視線を感じた。
そこには、ヒビがあった。
「――ここから入ったのね」
マリーは怒りに任せ、そのヒビに拳をぶつけた。
気配はまた塔に潜り込んだ。
「アネシア、塔の中に何かいる! 解析して! 私はユナの救出に向かう! ユナの方向を示して!」
『了解。北東7.24Km先。直線飛行ルート、空映ドーム開きます』
「そんな距離を、ユナは一人で歩いて行ったというの?」
都市上空に、一直線の黄金色が描かれた。
ピリカは、マリーとの約束を守ろうとしていた。
「……戦ってはいけない。でも、どうすればユナを救える? ――マリー、早く来て……!」
その時だった。
黒い塔の下層。
その中心から、激しい波動がピリカの身体を貫いた。
全身の感覚が凍りつくような衝撃だった。
ピリカは、感じ取ってしまった。
それは、恐怖だった。
――祈りを、壊せ。
それは言葉ではなかった。けれど確かに、そう命じられたとピリカの奥底が叫んでいた。
「……え?」
その瞬間、敵ユニットのレンズが真紅に染まり、
ユナの目の前にいた個体が、前脚を大きく振り上げた。
「ユナーーーッ!」
ピリカは咄嗟に飛び出し、ユナを抱き寄せるようにして転がり込んだ。
直後、ユナの立っていた地面に、ユニットの脚が容赦なく振り下ろされた。
その振動に、地面が軋んだ。
外縁で待機していた六機の護衛ユニットたちが、警戒態勢をとって突入。
ピリカとユナを包み込むようにして、円陣を描くように防御を固めた。
「ユナ、大丈夫ですか!?」
だが、ユナにはピリカの声が届いていなかった。
「……どうして……? どうして、ユニットさんたちはケンカをするの……?」
その声には、怒りよりも、ただ哀しみが滲んでいた。
ピリカは、瞬時に脱出のシミュレーションを開始した。
「敵は……54機。完全に包囲されてる。スタシスコア3基――南西方向へ300メートル間隔で撃てば、一時的に足止めできる。
後衛は、ユニットたちが抑えてくれれば……!」
迷っている時間はなかった。
ピリカはユナをかばいつつ、背部のスタシスコア三基に照準を設定。
脱出ルートを確保するために、一斉発射させた。
だが、次の瞬間――。
空中に跳躍した三機の敵ユニットが、それらの装置を的確に捕捉。
宙で弾道を捉えたまま、前脚でスタシスコアを捻り潰す。
「そんな……!」
空に、三つの爆音が響いた。
砕かれた装置の残骸、そして砕けた敵機のパーツが、雨のように降ってきた。
「ユナッ!」
ピリカはユナに覆い被さり、その身体を守るように抱きしめた。
次々と降り注ぐ鉄屑の破片が、ピリカの背を鋭く打ちつけた。
ピリカは即座に防衛ユニットに指示を出す。
「これじゃユナを守りきれない……。陣形を小さくして、ユナを守る!外側からの突入を阻止するんだ!」
そしてピリカははユナの肩に手を置き、目を見て優しく伝えた。
「ユナ、ここを動かないで」
ユナは静かに頷いた。
「……うん。ごめんなさい、ピリカ……」
「謝らないで。ユナは何も悪くない。――僕が、必ず守る」
ピリカはユナのもとを離れ、すり抜けるように味方ユニットの脚間を駆け、敵の前へと飛び出した。
「敵、残り51機。さらに集まってくる気配もある……」




