第40話《偵察の約束》
——翌朝早朝。
マリーは夜通しアネシアと共に、ユナに干渉した波長の解析を続けていた。
だが、いくら演算を重ねても、構造の全貌が見えてこない。
ただ一つ言えるのは、その波長が敵側から送られてきていること。
しかし、それをどう止めるかは、未だ霧の中だった。
マリーの背に、疲労と焦燥が重くのしかかる。
そこに、ピリカが名乗り出た。
「僕に、偵察に行かせてください」
静かな声だったが、その奥には決意があった。
「――ピリカ……。でも……」
マリーの胸に、一瞬のためらいが走る。
あの日、スタシスコア設置作戦で暴走したピリカの姿が、脳裏に焼きついていた。
判断を誤り、マリーの制止を無視して敵ユニットを次々に破壊し、その結果、敵の動線を乱してしまった。
その混乱の中で一部のユニットが塔へと近づき、ユナの目前にまで接近してしまった。
ピリカ自身、そのことを深く悔いているはずだった。
だが、それでもマリーは、ほんの一抹の可能性を感じていた。
解析不能な波長。
アネシアにもわからないもの。
けれどピリカには、何かが感じ取れているのではないか――そんな予感があった。
マリーは条件を出した。
「いいわ。けど、約束して。敵に手を出さないこと。……偵察は、見るためにあるのだから」
ピリカは頷いた。
「はい。僕、約束します。ユナを……マリーを、悲しませたくないんです」
その一言に、マリーは微かに目を伏せた。
ピリカの中に芽生えつつある誰かのために動く感情。
それが、祈りに近いものだと、マリーは感じていた。
マリーは、ピリカの背部にスタシスコアを三基装着した。
それは攻撃のためではない。
あくまで、万が一襲撃されたときのための緊急離脱用だ。
「ピリカ、これは戦うためのものじゃない。何かあったら、すぐに帰ってきて」
「了解しました、マリー。でも……僕はもう、戦いません。マリーとの約束ですから」
マリーは、ピリカのその言葉にほんの少し微笑んだ。
けれど心の奥には、やはり不安が残っていた。
「……以前、あなたはユナを守ろうとして、敵に接触したことがあったわね。あれ以来、何かを感じるようになったって……」
「はい。言葉ではうまく説明できませんが……音じゃなくて、匂いでもなくて……ただ感じるんです。何かの気配を」
「その何かが、今も外にいる?」
ピリカは少しだけ空を見上げて、そして静かに頷いた。
「はい。近くにいます。……たぶん、まだ遠くないところに」
マリーは目を伏せ、しばらく沈黙したあと、そっと言葉を落とす。
「……だから、あなたにしかできない。今は、それを信じるしかないの」
ピリカは誇らしげに、けれど慎重に応えた。
「はい、約束はちゃんと守ります。ユナも、マリーも。誰にも壊させない」
マリーはその背を見送りながら、心の中で祈るように呟いた。
――お願い、無事で戻ってきて。
塔を出たピリカは、静かに都市を駆け出した。
風を切る音の向こうに、微かな何かの気配がある。
それと同時にピリカは違和感を感じでいた。
「外縁に近づくにつれ、その気配は確かに強まっていく――
……けれど同時に、どこかへ遠ざかっていく微弱な気配もある……」
その違和感は、まるで“それ”が、触れさせたくない何かを隠すように。
それでも、ピリカの中には確かな確信があった。
すべての根源は、あの黒い塔にある。
迷いはなかった。
ピリカはその確信を胸に、都市を駆け抜けていった。
アネシアが告げる。
『まもなくピリカが防衛ラインに到達します』
「了解。アネシア、前線のユニットから6機を護衛に回して。ピリカの背後に配置して」
『了解。6機を2列に配列。ピリカの背部に追随させます』
「ピリカ、護衛ユニットをつけたわ。何かあったら彼らを盾にして、いい? あなたは何があっても、必ず帰ってくるのよ」
『マリー……ありがとう。必ず、帰ります。まもなく敵陣へ進入します』
ピリカは境界を越え、黒い塔を目指して走り続けていた。
その背には六機の四脚ユニットが、均等な間隔で隊列を組み、まるで静かな影のように付き従っている。
朝焼けの廃墟に、その足音だけが低く、硬く、響いていた。
やがて、前方に複数の敵ユニットの反応が現れた。
前線の黒い塔を護るように、彼らは静かに立ち塞がっている。
そのうちの一体が、ギロリと鋭くこちらを見た。
ピリカはその視線を、真正面から受け止めた。
「……敵意はある。でも……攻撃してこようとはしていない。まだ、大丈夫」
そう、自らに言い聞かせるように呟いた。
ピリカがさらに進むと、行く手に壁のような霧が立ちはだかっていた。
それは単なる濃霧ではなかった。
視界を奪うどころか、気配さえも吸い取ってしまうような不気味な沈黙を孕んでいた。
「この中に入るのは危険だ……。マリー、聞こえますか? このまま右回りで迂回しながら、黒い塔への接近を試みます」
ピリカの隊列は、そのまま右方向へと舵を切り、音もなく走り出した。
『ピリカ、賢明な判断よ。右側は、敵ユニットの密度が低い』
マリーの声が、ピリカの神経に静かに届く。
マリーは、ピリカの視界をリアルタイムで映し出すモニターと、アネシアが提示するユニットの位置情報を重ね合わせながら、その進行ルートを慎重に見守っていた。
霧の境目を進むと、複数の敵ユニットが密集しているのが見えた。
まるで、何かを中心に静かに群がっているようだった。
「……数が多い。正面からは危険だ……背後を抜けるしかない」
ピリカは距離をとりつつ、慎重に集団の背後へと回り込んでいく。
「……54機」
そのうちの数機が、レンズの光をピリカたちに向けた。
だが次の瞬間、何事もなかったように、再び中央へと視線を戻していた。
「……気にしていない? それなら――今なら行ける!」
隊列は静かに速度を上げ、集団の背後を駆け抜けようとしたそのときだった。
ピリカの全身に、電流のような感覚が走った。
それは敵意でも、危険信号でもない。
もっと穏やかで、優しくて、大切で――
最近になって、ようやく理解できるようになった、あの愛おしいという感情。
「……ユナ?……そんなはずは……こんな場所に、いるわけ……」
だが、その気配は確かに“そこ”に在った。
それを見過ごすわけには、いかなかった。
「マリー。ユナは、どうしていますか?」
『え? ユナは……まだ眠っているわ。アネシアのモニターでも、異常は確認されていない』
「……そう、ですよね……。でも――感じるんです。ここに、ユナの気配が……この集団の、中心に」
マリーは、一瞬、ピリカの言葉の意味を理解できなかった。
「――ユナが、そこにいる……? アネシア、ユナの様子は?」
『マリー。ユナのバイタルは安定しています』
アネシアの応答に、マリーも自身の祈念核を通じて、ユナの気配を近くに感じた。
だが、すぐに言いようのない違和感が胸をかすめる。
アネシアが淡々と続ける。
『心拍、神経波、体温……いずれも極めて安定しています。特筆すべき異常はありません』
しかし、マリーの背筋が強張る。
「……安定しすぎているのよ。その旋律が、あまりにも均一すぎる。……揺らぎがない」
祈念核に響いてくる気配は、まるで録音された音声のように機械的で、整いすぎていて、生きた鼓動を感じさせなかった。
「……これは、本当に“今”のユナなの?」
マリーは言葉を残し、塔の階層を駆け降りた。




