第38話《静かなる防衛》
塔の最上層に緊張が漂っていた。
無数のパルス波形がホログラムとなって天井に投影され、霧のように漂っている。
マリーがアネシアに命じる。
「アネシア、この波形をもっと細かく解説して。何を訴えているの?」
アネシアの声が即座に返る。
『了解。祈りの解析は不可能。ただし、ノイズ領域に音声的パターンを検出。解析を開始します……完了。――再生します』
空間に、ザザッ……と不規則な雑音が響いた。
その中に、かすかに――声が混じっている。
『ノイズ除去を試みます。――再生』
そして、はっきりと――聞こえた。
《……ユ……ナ。……こっちに……おいで……》
ピリカが息を呑む。
「マリー!これ……ユナを呼んでいます!」
マリーは目を見開いた。
「――ええ……この声……祈りの深淵で聞いた、あのときの……」
背筋が凍るような既視感だった。
あの闇の底で感じた呼びかけが、形を変えて再び響いている。
ピリカが、表情を険しくして言う。
「マリー、これは看過できません。やはり――奴らはユナを狙っている。……マリー、彼は敵です!」
沈黙が走った。
マリーは視線を伏せ、深く思考に潜った。
攻撃すれば、争いの火蓋は切って落とされる。
だが、黙っていれば――ユナが奪われるかもしれない。
「ユナを守るには……攻撃か、防衛か。それとも……まだ、他の道が……?」
アネシアの冷静な報告が、思考を遮った。
『観測ドローンが外縁を越えました。視界は霧により不良。映像、断続的に取得中』
「続けて、アネシア」
『外縁外に、通信不能のユニット群を多数確認。総数、五百機を超えています』
「……500機……?」
マリーは唇を噛んだ。
その数は、すでに軍と呼べる規模だった。
ピリカが声を低くして言う。
「マリー、このままでは手遅れになります。彼らが完全に独立国家を築けば、僕たちの祈りは届かなくなる」
「……わかってる……。でも……」
その時――アネシアの声が再び鋭く響いた。
『観測ドローンが霧を抜けました。新たな構造物を確認。マリー、黒い塔が建設されています』
「……黒い塔?」
『構造は祈りの塔とほぼ一致。ただし、内部に祈念核反応はありません。建設は、外縁外に展開しているユニット群によるものと推定されます』
マリーの瞳が揺れた。
「……私の塔を……模倣した?」
マリーの胸の奥に、冷たいものが流れ込んでいく。
——まるでもう一つの未来が、向こう側で勝手に芽吹いているような。それは、祈りの模倣か、それとも、祈りの否定か。
その思考を断ち切るように、アネシアの報告が続いた。
『マリー。塔の近辺に反応。ドローンです。こちらの構造を模倣したものと推定されます』
「模倣……ドローン?」
アネシアのスクリーンに映し出された映像には、確かに観測ドローンと酷似した機体があった。
だが、それは明らかにマリーの設計とは異なる何かを宿していた。
表面の質感は異なり、動きにはわずかな間がある。
まるで……こちらを観測しているかのように、対峙していた。
「……見ているの?」
マリーは思わず、呟いた。
ピリカが前に出る。
「マリー、敵対反応は?」
『現在のところ、敵意は検出されていません。あくまで静止……ただし、姿勢は監視モードに近い挙動』
マリーは一瞬、唇を噛んだあと、静かに命じた。
「アネシア……ドローンを帰還させて。これ以上の接触は避けたい」
『了解。観測ドローン、帰還プロトコルに移行』
ドローンがゆっくりと旋回を始めたそのとき、画面が大きく揺れた。
「っ……!?」
衝撃とともに、通信が乱れた。
『観測ドローン、機体に衝突――損傷を確認、通信不安定。……信号ロスト』
「……衝突……?」
アネシアの音声は、異常に冷静だった。
『模倣機体が加速、こちらのドローンに体当たり。撃墜されたと推定されます』
マリーの胸が凍りついた。
「……なぜ、攻撃を?」
その問いに、誰も答えなかった。
沈黙が塔の中を支配した。
マリーは静かに、目を閉じた。
そして理解する。
これは、無言の拒絶だと。
ドローンの通信が断たれたまま、室内は静寂に包まれていた。
だがその沈黙の奥に、確かな敵意の気配が残響していた。
マリーはゆっくりと振り返り、ピリカの方を見た。
「ピリカ……ユナの寝室へ行って」
「……え?」
「お願い。ユナのそばを離れないで。何があっても……ユナだけは」
ピリカは戸惑いを隠さなかったが、すぐに頷いた。
「……了解。すぐ行きます」
マリーが背を向けた瞬間、ピリカの足音が塔の階段へ消えていった。
マリーはその音が遠ざかるのを確かめると、声を落として言った。
「アネシア、音声チャンネルを制限して。ピリカには……聞かれたくない」
それは、ピリカのまっすぐな正義感と、時に戦いを選ぼうとする気質を、今だけは遠ざけたかったからだ。
『制限完了。プライベートチャンネルに移行します』
マリーは一度だけ深く息を吸い、短く指示を出した。
「秘密裏に、都市防衛ラインの再編を。予備ユニットの起動、武装装置の増設、スタシスコアの再配置……。外縁部からの侵攻に備えて。――ただし、すべて非公開で」
『了解。非公開で実行します』
スクリーンに浮かぶその言葉を、マリーは静かに見つめていた。
そしてマリーはホログラムに浮かぶ防衛網の構造図を見上げながら、心の奥で小さく問いかけていた。
「……ねぇ、ユナ。私は、正しい?」
返事はない。
けれど、その沈黙さえも、どこかでマリーを支えてくれている気がした。
ほんの数週間前まで、マリーの手が築くものに武器の意味が宿ることなど、思いもしなかった。
だが今、マリーは備えの名のもとに、再び武装を手にしようとしている。
――私のしていることは裏切りなのだろうか。ユナが願った平和に背く行為なのだろうか。
それでも、マリーは進まねばならなかった。
守りたいものがある限り。
奪われたくないものがある限り。
だからマリーは祈るように、心の中で呟いた。
「……どうか、刃にならないで。これは、まだ祈りのうちにあると、信じさせて……。――この都市だけは、何があっても戦場にしたくない」
けれどその想いの裏で、祈りに似た決意が、静かに刃へと姿を変えようとしていた。




