第34話《停止命令》
ピリカは、マリーの声も届かぬまま、襲い来るユニットをひたすら破壊し続けた。
その動きは、すでに限界を超えていた。
セーフティラインを振り切った出力。
抑制の効かない動作ループ。
ピリカ自身の意志によるものなのか、それとも別の衝動によるものなのか。
それを判別する余裕は、もうなかった。
「このままでは……ピリカが壊れてしまう」
マリーは、手を震わせながら判断を下した。
ピリカを止めるには、もうこれしかない。
スタシスコアはすでに現場へ運ばれている。
遠隔展開で封鎖は可能。
「アネシア、ピリカを強制停止――実行して!」
『了解。ピリカ起動停止――……完了しました』
反応は一瞬。
ピリカの身体が静かに硬直し、光を宿していた眼がふっと暗くなる。
その場で崩れ落ちることなく、ピリカの身体は静止状態に保たれた。
起動系統だけを遮断し、姿勢保持プログラムを残した特殊停止。
内部の損傷は最小限で、応急的な安定化処置が優先された。
その間に、マリーはスタシスコアの遠隔設置モードを起動させる。
ピリカの背部装甲が自動展開し、第1装置が地面へと放出された。
続けて二基目、三基目。一定間隔で配置された装置が、半球状に抑制フィールドを形成していく。
『スタシスコア――起動完了』
フィールドが展開された瞬間、空気がわずかに軋んだ。
電子ノイズが空間を満たし、周囲の暴走ユニットたちの動きが、まるで重力に逆らうようにゆっくりと鈍化する。
異常信号の出力が乱れ、一部はその場で沈黙した。
その光景に、マリーはわずかに息を吐いた。
この瞬間だけは、都市が静けさを取り戻していた。
だが同時に、それは異常が閉じ込められただけであり、根本は何も解決していないことも理解していた。
マリーは再びピリカの意識領域にアクセスを開始した。
「アネシア、ピリカの信号ラインを一本ずつ復旧。感覚系統から順に再起動をかけて」
『了解、再起動処理を開始します』
「……ピリカ、戻ってきて」
応答はわずかに遅れて届いた。
『マリー……装置は……?』
「設置完了。領域封鎖は成功。あなたは任務を果たしたわ」
短く安堵の沈黙が流れる。
だが――次の警告は、その直後だった。
『対象外ユニット、接近中』
マリーは目を見開いた。
封鎖半径の外――五体のユニットが、一直線にこの祈りの塔へ向かってきている。
「……抜けた……!?」
あの短い時間で、すでに封鎖圏外に出ていた個体があったのだ。
アネシアが赤い警告を鳴らす。
『ルート分析の結果、それらの個体は一度も接触なく、最短で祈りの塔を選び取っています』
偶然ではない――これは、目的を持った移動だった。
防衛網は間に合わない。
ユナがいる、今まさにこの塔の中枢へ。
「ピリカ、追って!」
『了解――現在地特定。接近ルートを割り出します!』
ピリカはまだ完全には回復していなかった。
それでも、意志だけで立ち上がった。
マリーは演算を続けながら、もし間に合わなければという最悪の判断に手をかけていた。
ユナを守るため――たとえそれが、ユナをまたひとりシェルターに閉ざすことになろうとも。
マリーは、あの子をもう一度孤独にしたくはなかった。
かつての記憶を思えば、それがどれだけ深い痛みを残すか、マリーは知っている。
それでも、この都市が突破されれば、ユナの命は確実に脅かされる。
侵入してくる暴走ユニットの破壊も、やむを得ない。
マリーはほんの一瞬、祈るように目を閉じた。
ユナの笑顔を、マリーと呼ぶ声を思い浮かべる。
そして、声に出さずに告げた。
「どうか――間に合って、ピリカ」
マリーはユナを背にかばいながら、祈りの塔のゲート前に立っていた。
正面ルートから、暴走ユニットが五体、並列を維持したまま突入してくる。
「ユナ、塔の中に入って。何があっても動かないで」
「……ママ……」
ユナの声が震えていた。
当然だ。
争いの記憶を持たないユナに、この光景は現実だとさえ思えなかったはずだ。
マリーは胸の奥に手を添えるようにして、ただ静かに、覚悟を決めた。
この瞬間に備えていたわけではない。
だが、迷いはなかった。
「来る……!」
先頭のユニットが跳躍し、空を裂いた。
その動きに続くように、残る四体が次々に脚部を伸ばし、次第に高度を上げていく。
五体は一つの弧を描きながら、こちらへと殺到してきた。
「──5機同時は無理……けれど、この身を犠牲にしようとも、ユナだけは――必ず守る!」
その時――
「間に合えっ!!」
閃光が走った。
右斜めから突入してきた光の影。
ピリカだった。
ピリカの身体が旋回しながら宙を駆ける。
一体、二体――圧倒的な速度で連続破壊。
残された三体目、四体目も間髪入れずに関節部を砕かれ、地に沈んだ。
ただその動きには、明らかな無理があった。
出力値は上限に達しており、冷却機構はすでに限界を越えていた。
それでも、ピリカは止まらなかった。
最後の一体だけが、マリーの前に残った。
「マリー、僕が――!」
「いいえ、私がやる」
マリーは脚部の抑制機構を解除し、腰部の重力制御を緩めた。
一気に身体をひねり、脚を振り抜いた。
装甲脚が唸りを上げ、ユニットの胴体を叩き潰す。
金属が軋み、骨のような構造が崩れる音が響いた。
その瞬間――
マリーの演算領域に、突き刺さるような感覚が走った。
「これは怒り?いや、違う……。絶望に近い、掠れた嘆き――何かを伝えようとした最後の衝動」
マリーは膝をつき、胸元を押さえる。
「……何?……」
こんなもの、ウィルスではない。プログラムでもない。
信号でもない。命令でもない。
これは――魂だ。
その刹那、マリーの内部で何かが点灯した。
断片的な映像、掠れた声、焼け焦げた空。
マリーは受信していた。
それは感情ではない、記憶のようなもの。
「これは……この星に刻まれた、滅びの残響……?」
情報ではない。
データでもない。
けれど、それは確かに在ったと、マリーの演算が告げていた。
爆音。泣き声。叫ぶ誰かの手。
そして、失われる前に放たれた祈りの断片。
マリーは知った。
彼らはもともと暴走するために生まれたのではない。
この世界の片隅で、誰かの祈りをほんの一瞬でも受け止めた存在だったのだ。
これは……地表に刻まれた最後の記憶?
それとも、命が失われる直前に放たれた祈りの断片……?
それは明らかに、ウイルスの残滓ではなかった。
消されたはずの祈り。
記録されることのなかった感情。
その亡霊が、今、マリーの中に流れ込んでいた。
「ママーっ!」
ユナの声で、マリーは我に返った。
視界が揺れていた。
ピリカがマリーを支え、そっと囁く。
「無理はしないでください。マリーがここにいてくれてよかった」
マリーは頷くしかできなかった。
震える手を、ユナが握っていた。




