第33話《暴走地帯》
ピリカの身体は修復時に強化を終えており、ユナを守るための戦闘モードへの切り替えが可能な構造にもアップデートされていた。
あとは、今回の任務に特化した数点の最適化を施すだけだった。
「突破力重視。装備重量は据え置き、機動性を優先する」
ピリカは静かに目を閉じ、起動信号に身を任せている。
ピリカの意識は明瞭だった。
行動目的も、判断基準も、すでに自ら定めていた。
マリーはその構造に、もはや命令を埋め込む必要すら感じなかった。
「完了よ、ピリカ。行動許可を与える。設置に必要な3基、すべて搭載したわ」
ピリカが装置を両肩と背部に収納する。
任務内容は単純だ。
暴走地帯の中心部へ到達し、半径三百メートルの封鎖エリアを構築すること。
暴走ユニット群をすべて抑え込むには範囲が足りないが、動きを止めるには十分な効果があるはずだった。
「目標地点に到達し次第、最優先で装置の設置を。無理は――」
「しません」
ピリカの声が、かぶせるように応えた。
それは、マリーへの信頼と、ユナへの想いに裏打ちされた短く強い意思表示だった。
「ユナを、守りたいんです」
マリーは静かに頷いた。
ピリカを塔の下層まで見送る。
「……行ってらっしゃい、ピリカ」
扉が開く。
人工空の下、風が吹き抜ける都市をピリカが走り出す。
その背中を、マリーは祈りの塔からただ見送っていた。
ピリカの足音が、舗装された路面に一定の間隔で響く。
速さも、踏み込みの角度も、すべて最適化されているはずだった。
それでも、胸の奥にわずかな引っかかりが残っていた。
風の流れが、どこか均一すぎる。
耳に届くはずの都市の雑音が、ほんの一拍遅れて追いついてくる。
まるで、この空間だけが、わずかに時間から外れているようだった。
ピリカの顔が、脳裏に浮かびかけて――マリーは、そっとその想いを振り払った。
ピリカは、マリーにとってもはやただの小型ユニットではなかった。
ユナにとっても、マリーにとっても、ピリカは家族だった。
ユナを守るために、感情は奥へ沈める。
そう決めたはずなのに。
胸の奥では、名もなき疼きが、静かに息づいていた。
マリーは静かに目を閉じた。
ピリカの走る足音が、遠ざかっていく。
だがその一歩一歩が、確かに都市の心を突き動かしているように思えた。
ピリカの行動は、命令ではない。
願いだった。
それが祈りであるなら、マリーはそれを信じて託すしかない。
「アネシア、遠隔からピリカの生体通信を追跡して」
『了解――コア温度はわずかに上昇。反応アルゴリズムは安定しています。ただコア内部で、解析不能な揺らぎが発生しています』
それは緊張か、覚悟か、それとも未知への共鳴か。
定義できない熱だった。
アネシアが告げる。
『北東区画に、ノイズドメインが形成されつつあります。その区域は現在、異常秩序領域コード:Ω-4として分類されます』
可視ではなく、数値にも現れない。
けれど、そこには境界ではない何かが存在していた。
誰かが都市の中で意思を持ち始めている。
それはプログラムに書かれていない、未知の対話の始まり。
祈りが何かに触れようとする、その最初の接触点だった。
そして何かが動き出す。
ただのシステム異常ではない、都市全体を揺るがす何かが。
それは、予感のように胸を打った。
この揺らぎが、都市の均衡を崩す第一波になると。
北端エリア。
風が、止まっていた。
ピリカが駆け抜けるたび、乾いた地面が細かく砕ける。
草原の端を越え、崩落した建造区の縁を抜け、かつての研究エリアに足を踏み入れた。
そこには、もはや日常など存在しなかった。
瓦礫の間を、数体のユニットが巡回している。
その動きは異常だった。
設置地点までの距離は、すでに射程内だった。
装置を下ろし、起動するだけでいい。
それだけのはずなのに、ピリカの脚は一瞬だけ止まった。
目の前のユニットを、敵と定義しきれない。
彼らの動きに、かつての自分と似た空白を感じてしまったからだ。
このためらいが無駄だと理解していても、踏み込めなかった。
連携も目的もなく、ただ衝動のままに徘徊している。
まるで何かを探しているように、しかしそれが何かも分からないように。
制御されていない身体だけが動き続ける姿に、ピリカは恐ろしさを感じていた。
マリーは遠隔から彼の視界を共有していた。
目視できるだけで15機。
そのうち、7機が暴走個体と断定。
「ピリカ、左から回避ルートを」
『無理です。この動き、回り込まれます』
ピリカは背部からスタシスコアを一基引き出し、対象エリアの設置地点に向かって跳躍した。
その瞬間、三方向からユニットが突進してきた。
「攻撃行動を確認。ピリカ!回避優先して!設置を――」
『……っ!』
ピリカが跳ねた。
だが、肩部に一撃を受け、バランスを崩す。
一体が上から圧し掛かり、さらにもう一体が下から脚部を狙った。
肩部に衝撃。
脚が取られかける。
けれど、ピリカは倒れなかった。
膝を沈めるように力を受け流し、静かにその場に立ち続けていた。
『マリー、これでは設置できません。攻撃許可を』
「まだよ!装置を最優先に――!」
けれど、ピリカは応答しなかった。
マリーの制御ラインが一瞬だけ空白になる。
ピリカは、自らの内部判断で戦闘モードを完全開放していた。
ユナを庇って壊れたときの記録が蘇る。
あのときと同じように、ピリカは迷いを捨てていた。
痛みの記憶すら、今のピリカには戦闘アルゴリズムの一部となっていた。
ピリカは、ためらいなくその一体の胸部を貫いた。
続けざまに反転し、二体目の前脚関節を破壊。
「やめて……ピリカ、それはまだ――!」
マリーの声は届かなかった。
ピリカの姿は、まるで別人だった。
感情も命令も超え、ただ反応で戦っていた。
その動きは滑らかで、美しく、そして――怖かった。
その一瞬――モニター越しの映像であっても、ピリカの姿は、あの日ユナを庇ったときと重なって見えた。
だが今、ピリカが守ろうとしているのは誰なのか。
マリーは、思考を止めていた。
「……あなたは、戦うことでユナを守ろうとしているの?」
その問いは、声にもならず、ただ心の底で渦巻いていた。
そして、ピリカが3体目を破壊したその瞬間、暴走ユニットの群れが、ざわりと音を立てた。
その場にいないマリーにも、伝わった。
何かが、反応している――そう思えた。
ユニットたちは振り向かず、声も出さない。
けれど、確かに見られていると感じた。
まるでその中心に、見えない目が存在しているかのように。
ピリカも、わずかに顔を上げた。
戦いの手を止めて、何かを――聴こうとしていた。
「今よ、ピリカ。装置を――設置して!」
マリーは声にして叫んだ。
だがピリカは反応しなかった。
むしろ、次の瞬間まだ動いていないユニットへと視線を向け、腕を振りかけた。
「待って、ピリカ――!」
その動きには、怒りがあった。
ユナを傷つけようとした者への、確かな敵意が。
だが、それだけではなかった。
過去の悔いと、自責の念が、その怒りに形を与えていた。
それは、誰にも止められない贖罪のような意志だった。




