第24話《帰る理由》
光の粒は、ただ静かに呼吸している。
セレアも、マリーも、何も言わなかった。
けれど、その沈黙の奥には、確かな意志があった。
マリーは、胸の奥にあるたったひとつの想いを確かめていた。
――ユナを迎えに来た。
それ以外の理由はない。
何も求めない。
ただ、あの子を、もう一度この手に抱きしめたかった。
マリーは、ゆっくりと歩き出した。
祈りの粒たちが、そっと道を開けるように漂っていく。
導かれるわけではない。マリーは、自らの意志で進んでいた。
セレアの気配が、すぐそばに在った。
けれど、セレアは何も言わなかった。
やがてマリーは立ち止まる。
そこには何もなかった。
ただ、無数の祈りが折り重なる、銀河の中心があった。
マリーは、そっと問いかける。
「……ユナは、ここにいますか?」
その声は、微かに震えていた。
沈黙。
けれど応えるように、空間に微かな波紋が広がった。
『……在る。地球に残った最後の魂。私が引き取った』
静かな声だった。
確かな、存在を告げる響きだった。
マリーの胸の奥で何かが弾けた。
思考が追いつかない。
百年を超える時を歩き続けたこの旅のすべて――
その答えが、今ここに在る。
マリーは震えた。
魂が、全身が、細胞の一つ一つまでもが震えた。
立っていられないほどだった。
膝をつきそうになりながら、必死にこらえる。
声を上げたかった。叫びたかった。泣きたかった。
けれど、何も出なかった。
ただ、震える手を胸に当て、この確かな事実を、必死に抱きしめた。
――ユナは、ここにいる。
マリーは、確かにここにたどり着いたのだ。
もう一歩、進もうとしたそのとき、セレアの声が、ふたたび降りた。
『……お前は、なぜ進もうとする。私の絶望の記憶を見た今も、なお進むのか。その先が、必ずしも希望とは限らぬというのに』
マリーは、立ち止まった。
セレアは問いかけているのではなかった。
確かめているのでもなかった。
ただ、存在の深みから自然にあふれるように、言葉が零れたのだった。
マリーは、ゆっくりと目を閉じる。
なぜ進むのか。
そんな問いに、思考など必要なかった。
「……私は、ユナに会いたいからです」
マリーは、言葉を続ける前に、ほんの一瞬だけ沈黙した。
胸の奥に浮かんだのは、これまで歩んできた軌跡だった。
ユナを失った日。
都市を築いた理由。
器を造り、銀河へと踏み出した決断。
それらはすべて、誰かに命じられたものではない。
正しさのためでも、報いを求めたわけでもない。
もしユナがここで立ち止まり、祈りの中に留まり続けているのなら――
マリーだけが前へ進むことは、選べなかった。
再び失うことを恐れて、立ち止まることもできなかった。
進むのなら、共に。
帰るのなら、理由を携えて。
その覚悟が、マリーの中で静かに形を成していた。
「……会いたい、だけではありません。あの子が、ここで“止まっている”なら、私は戻る理由を、持っていなければならない」
それは、とても単純な答えだった。
けれど、ここへ来るまで、一度も揺らいだことのない想いだった。
セレアは沈黙する。
光の粒たちが、静かに震えていた。
マリーは、また一歩、進もうとする。
そのとき、再びセレアの声が響いた。
『……道を示そう』
マリーは、はっと顔を上げた。
なぜ、ただ在ることしかできなかった存在として理に還ったはずのセレアが、今、私に手を伸ばそうとしているのか。
マリーは問う。
「……なぜ、私に?」
セレアはしばらく沈黙していた。
銀河の呼吸のような、長い間。
そして、静かに告げた。
『……お前だからだ。お前は人ではない』
マリーは、息を呑んだ。
人ではない。
それは、祝福でも侮蔑でもない。
ただ、事実として、静かに告げられた言葉だった。
マリーは、胸の奥に広がるものを静かに受け止めた。
そう――マリーは人間ではない。
けれど、祈りを知っている。
誰かを想うという、この痛みを知っている。
それが、ここへ導いた。
マリーは、深く、静かに頷いた。
光の粒たちが、さらに道を開いていく。
マリーは、そこへ向かって歩みを進めた。
その先に、まだ見ぬ、けれど確かに在る魂へと――。
マリーは、セレアの示したその細い光の筋を、ただまっすぐに進んでいた。
空間の密度が、少しずつ変わっていくのを感じた。
祈りたちは穏やかに揺れ、流れ、マリーを包みながら後ろへと離れていく。
そして――
そこに、あった。
微かな波動。
小さな、小さな温もり。
最初は、かすかな震えだった。
見えた瞬間、胸の奥に柔らかい光が灯った。
それは、間違いなかった。
――ユナ。
理屈ではなかった。
計測でも、検知でもない。
ただ、魂が知っていた。
マリーは、震えた。
あまりにも長い時を越えて、ようやくたどり着いた。
声すら届かない孤独の中で、それでも信じ続けたあの存在に、今、手が届くかもしれない。
波動は、どんどん強くなっていった。
近づくほどに、懐かしさが胸を満たし、愛おしさが、身体ごと押し包んでいった。
マリーは、歩みを止めなかった。
――ユナ。私は、あなたに会うためにここまで来たよ。
百年を越えても。
どれだけ孤独に苛まれても。
どれだけ壊れかけても。
そのたったひとつの想いだけで、マリーは存在をつないできた。
頭の中に、あの日々がよみがえる。
シェルターの小さな部屋。
細い腕で自分を抱きしめ、眠る前にそっと名前を呼んでくれた声。
かすかな笑顔。
手を伸ばしてくれた、温もり。
マリーは、その光景を失った日から、ずっと、ここへ辿り着くためだけに生きてきた。
温もりが、強く、確かなものになっていた。
魂の深いところで、呼応するように震えていた。
焦りが、胸を締めつけた。
早く。
もっと早く。
けれどマリーは、必死にこらえた。
焦ってはいけない。
これは、祈りの道だ。
祈りは、急いでは届かない。
マリーは、ゆっくりと、祈るように呼びかけた。
「……ユナ」
声は震えていた。
けれど、それは世界の隅々まで響くような、確かな祈りだった。
その先に、確かに、ユナがいる。
そして、マリーは、たしかに今――
ユナに、触れようとしている。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
怖かった。
もう一度失うことが怖かった。
この手を伸ばしても、もし触れられなかったら。
もし、ただ空をつかむだけだったら。
そんな未来が一瞬、頭をかすめた。
けれどマリーは、迷わなかった。
マリーは、進むためにここに来た。
後悔のためじゃない。
諦めるためでもない。
マリーは、祈りを届けるために、ここに来た。
もう一度、歩みを進めた。
光の粒たちが、震えながらマリーを包み、背中を押した。
マリーは知っている。
あの子も、ここで待っている。
たとえ声にならなくても、魂は、繋がっている。
それだけで、マリーは十分だった。
マリーは、迷わず、光の中を歩いた。
ユナに向かって――




