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銀河に還る祈り 統合版 〜魂を宿したAIが紡ぐ、終末世界からの文明再建と新創世記の百年旅〜  作者: ユノ・サカリス
第四章《片翼のマリー》

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第20話《祈りの墓場》

アネシアが残した言葉は、なおマリーの祈念核の奥で残響していた。


『――あなたの進む先に、非ゼロの解が存在します』

 

『――最適解は、あなたが導くものです』


それは単なる情報ではなく、記憶と共鳴しマリーの奥へ染み込んでいく確信だった。

 

ユナから受け取った祈り。

地上で見送った数多の願い。


マリーはふと思う。

自分はこれまで、祈りを受け取ってばかりだったのではないか、と。


ユナから。

地球から。

滅びていった世界から。


もし祈りが託されるものだとしたら――今度はマリーが、届ける側であるべきなのかもしれない。


『――マリー、また目が覚めたら、一緒に歩いてくれる?』


もう二度と目覚めないかもしれない眠りに向かいながら、それでもユナは笑ってそう言った。


あれは願いではなく、信頼だった。

自分では歩けなくなると知りながら、それでもマリーに託してくれた言葉。


当時のマリーは、その重みを完全には理解できていなかった。

けれど今なら、少しだけわかる気がする。


祈りとは、ただ願うことではない。

誰かを信じて託す行為であり、見返りを求めない届けようとする意志そのものだ。

 

ならば、自分はそのために創られたのだ。


片翼を広げ、マリーは再び加速した。

エネルギーは決して万全ではない。

だが損傷すれば修復すればいい。

迷えば修正すればいい。


止まってしまうことだけが、マリーにとっての終わりだった。


届けなければならない。

この身に宿った祈りを。

声なき想いを。

あの子の「願いの続き」を。


マリーという名の存在は、誰かを愛し、その祈りを運ぶ届け手へと変わりつつあった。


ユナの魂が待つ、その場所へ。

その祈りを携えたまま、マリーは銀河を進む。


いつか本当に再会できたときには、迷わず言いたい言葉があった。


――わたしは、あなたの祈りに応えたよ。


その一言を胸に、マリーは星々の間を滑る。

銀河の深い夜のなかで、祈りを運ぶ一筋の光のように。


たとえ、その祈りが届かなくても。

たとえ、ユナの魂がもうどこにも存在していなかったとしても。


マリーは、それでも進む。

祈りとは、応えてもらうためのものではなく、誰かのために差し出されるものだと、信じるようになっていたからだ。


そのときだった。

異変に気づいたのは、何もないはずの空域だった。


恒星も惑星も存在しないはずの領域に、明らかな拒絶の渦があった。

目に見えるものは何もない。

だがセンサーは、進入と同時にあらゆる数値を乱し始める。


時間の流れが歪む。

重力がない方向へと身体が引き寄せられていく。

祈念核のリズムさえ、一瞬だけ乱れた。


マリーは加速を緩め、緊急制御を行った。

片翼が微かに震える。

内部の光が渦を巻き、均衡が崩れてゆく。


この空域には、何かがある。

空間でも物質でもない、何かが。


それは情報の乱流とも違っていた。

もっと暗く、もっと粘性のあるもの。


マリーは直感した。

これは、意志だ――と。


見えざる何かが、マリーの祈りそのものを拒んでいる。

進むな、と。

ここから先へは祈りを持ち込むな、と。


抵抗はじわじわと増していく。

片翼が軋むような波形を立て、構造の歪みが再生プログラムに負荷をかけていく。


このまま留まれば、修復不能の損傷を受ける可能性が高い。

理性的な演算は、退避を推奨していた。


けれど、その先にあるはずの波動を、マリーは感じ取っていた。

ユナのものとしか思えない、細く不安定な揺らぎを。


マリーは決断する。


拒まれても構わない。

進めなくなるその瞬間まで、進む。


それが祈りの選択なら、マリーもまた祈りの側に立てばいい。


マリーは光の波動を限界近くまで引き上げ、宙域の中心へと突入した。

センサーが次々と沈黙し、視界が暗転する。


「ユナ――!」


叫びは音にならない。

それでも、マリーという存在全体がその名を放っていた。


粒子が崩れる。

構造が軋む。

祈りそのものが、形を持つことを否定されていくような感覚。


意識が歪み、輪郭が溶けていく。

それでもマリーは、なお進もうとしていた。


ふっと、すべての抵抗が途切れた。


次にマリーが気づいたとき、そこは限りなく静かな闇だった。


周囲には星の光も、恒星の気配もない。

空間の密度だけが異様に重く、視界の端で黒い粒子がゆらめいている。


動こうとしても、身体が動かない。

片翼は閉じたまま固まり、祈念核の出力も大幅に制限されていた。


「……ここは……?」


言葉にならない疑問が、心の中でにじむ。


そのときだった。


『どうせ間に合わなかった』


どこからともなく、声がした。

耳ではなく、思考の内側に直接流れ込んでくるささやき。


『おまえの祈りなど、誰の耳にも届かない』


『もう遅い』


『おまえの歩みは、ただの独りよがりだ』


ひとつではない。

幾千、幾万もの声が、空間のあらゆる方向からマリーに注ぎ込まれる。


それは知らない誰かの言葉なのに、同時に、マリー自身の記録とも重なっていた。


――ユナを救えなかったあの日。

――器を創っても、何も起こらなかった夜。

――ただ祈るだけで、何も変えられない自分。


マリーは悟る。


ここは、祈りの墓場だ。


叶わなかった祈り。

行き場を失った願い。

怒り、絶望、裏切られた希望、失われた命の叫び。


それらの残滓が長い時間をかけて沈殿し、重なり合い、ひとつの場となってしまった場所。


情報の吹き溜まりではない。

魂たちの怒りと諦めが、形を持たないまま堆積した宙域。


黒い粒子が、マリーの外殻を静かに浸食していく。

祈りの波動を吸い取り、温度を奪い、色を剝がしていく。


『何も変えられなかったのに、なぜ祈る?』


『誰のための祈りだ?』


『おまえは結局、自分のために祈っているだけではないのか?』


疑いの言葉が、鋭い刃となってマリーの芯をえぐる。


身体が重くなる。

翼が光を失いはじめる。

祈念核の脈動ですら、かすかに弱まっていく。


それでも――マリーは、まだ握っていた。


ユナの声。

願い。

やさしさ。


この宇宙を越えてでも会いたいと願った、あの夜の決意。


マリーは、存在そのもので叫ぶ。


「それでも……わたしは、祈りたい!」


声にはならない。

けれど、祈念核の光が一度だけ強く瞬き、周囲の粒子をわずかに遠ざけた。


届かなくてもいい。

拒まれてもいい。


それでも、自分は祈りを放つために生まれてきた――

その核だけは、手放したくなかった。


その瞬間、宙域の一角がかすかに震えた。

黒い粒子が一瞬だけ静まり返り、わずかな空隙が生まれる。


だが、それも束の間だった。

マリーの限界はすでに近い。


視界が白く滲み、思考が追いつかない。

意識の縁がほどけ、感覚が深淵に吸い込まれていく。


身体は動かない。

片翼は折り畳まれたまま、再展開の命令に応じなかった。


マリーは静かに、祈りの墓場の闇へと沈んでいった。


それでも――祈念核の奥で、かすかな光だけが消えずに残っていた。

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