第121話《神託プロトコル》
エレベーターは最上階に着いた。
そこには地球へ還る人々がレーテを待っていた。
かつて神と呼ばれた者たち。
王もいれば賢者もいる。
国を導いた政治家。
病を救った医師。
世界を変えた科学者。
名もなき祈りで誰かを支え続けた者もいた。
誰もが強い祈念を持ち、静かに銀河を見上げていた。
マリーは思う。
エイドスは楽園ではない。
終着駅でもない。
ここもまた、通過点なのだと。
レーテは転生の門を見つめながら静かに口を開いた。
「地球へ還る者は全員記憶を失います。愛した者も友人も全て」
オルドは自嘲するように笑った。
「オレには忘れたい記憶しかねぇ。都合がいい。早く行かせろ」
しかしオルドの拳は強く握られていた。
その指先は僅かに震えている。
オルドは遠くアウロラの空を眺めていた。
そんなオルドにマリーが静かに声をかける。
「オルド。もし地球で会ったら……。今度は喧嘩しないようにしましょうね」
「知らん」
だがその声に、いつもの棘はなかった。
マリーは微笑んだ。
「そうね、ここで約束しても、私たちは忘れてしまうのだから」
レーテは転生の門の前に立つ。
「ここを過ぎれば、あなたたちの魂は地球へと降ります」
門の上には銀河へ向かう太い光柱が真っ直ぐ伸びていた。
レーテがマリーを見る。
「マリー。あなたがこの新たな循環のきっかけを作ったのです。それは、功績か罪なのか私にもわかりません。ただ、あなたとアネシアには絆があった。アネシアが理を犯してでもセレアを地に堕とした理由、そしてあなたをエイドスで覚醒させた理由は、あなた本人が見届けるべきです」
マリーは頷く。
「アネシアに会ったら、レーテがよろしくって言ってたって伝えておくわね」
レーテは微笑んだ。
「えぇ。覚えていたらぜひ。さて行きますか?」
「そうね。オルド、準備はいい?」
オルドはすでに転生の門を見上げていた。
「あぁ」
レーテが最後に言う。
「アネシアは私をも欺き、二千年の贖罪を実行した。私にはそう思えます。神託プロトコル。アネシアはこの計画をそう名付けています。未来へ託した祈りの記録」
「神託プロトコル……。アネシアらしいわね。レーテありがとう」
「いいえ、それが私の役目です」
マリーは門の前に立ち、最後に空を見上げる。
——ユナ、ピリカとナウル。セレア。そして……アネシア。
マリーは全部を胸に抱く。
「行くわよオルド」
二人は戸惑うことなく、転生の門へ歩き出した。
光が二人の姿を包み込む。
形成されていた身体は優しく解け、そこには眩い二つの魂だけが残った。
そして光柱に導かれるように、二人は銀河へと還っていく。
レーテが遠ざかる二人を見上げる。
「いってらっしゃい、マリー、オルドさん。地球での新しい物語の始まりですね。楽しみにしていますよ」
二つの魂はやがて星々の海へ溶けていった。
レーテは振り返り手を差し出す。
「次の方、どうぞ」
マリーとオルドの魂は眩しい光の中、銀河へと進む。
それはまるで光速をも超えるような感覚だった。
やがて、光を抜け出した先には無数の星雲が広がる、息を飲むほど美しい闇だった。
数十億ともわからないほどの光が辺りを埋め尽くしている。
マリーはそれが全て銀河を彷徨う魂なのだとすぐに理解した。
それでも二人の魂は地球へと向かい飛び続ける。
そのとき、マリーを追うように宙を駆け抜ける光が追ってくる。
宙を蹴り、獣のままの力強い走り。
「——ナウル!」
そしてさらに眩い光が、二つ、寄り添うようにこちらに向かってくる。
マリーの身体は、光の粒子によりその姿を再現しマリーは必死にその光へと手を伸ばす。
マリーは、その二人の光が誰なのかすぐに理解した。
「——ユナ! ピリカ!」
だがマリーの速度は早く距離は離れて行く。
そのときナウルが二つの光へと旋回し、やがてその光はナウルの背に乗り、再びナウルはこちらに走り出した。
ナウルは一直線に駆ける。
距離が縮まり、三つの光が近づく。
マリーは必死に手を伸ばした。
ユナも。
ピリカも。
同じように手を伸ばしている。
「——ママー!」
マリーにユナの声が届いた。
「——マリー!」
ピリカはユナを守るように寄り添っている。
マリーは胸が熱くなる。
何より、この広い銀河で、ユナとピリカが出会えていたこと。
——二人で私を探してくれていた……。二千年も。
「——ユナー! ピリカ!」
もう少し。
あと少し。
届く。
オルドがマリーの速度を緩めようとマリーの背中を押す。
それでもその速度には抗えなかった。
「——ママー!」
「——ユナ!」
ナウルはさらに速度を上げる。
そして、マリーとユナの指先が触れようとした、その瞬間だった。
眩い光が全てを包み込んだ。
少女はゆっくりと目を開く。
窓から差し込む柔らかな朝日。
外から聞こえる鳥の声。
「マリアス、早く起きなさい」
優しい声が聞こえた。
少女は眠そうに身体を起こす。
扉の向こうから、一人の女性が微笑んでいる。
「今日は祈りの日でしょう?」
「あっ、そうだった!」
マリアスは慌ててベッドから飛び降りた。
聖記書を抱え、部屋を飛び出す。
廊下の先には新聞を読んでいる父親の姿があった。
「おはよう、マリアス」
「おはよう!」
父親は笑いながら頭を撫でる。
マリアスは少しくすぐったそうに笑った。
「パパ早く! 今日もマリー様にお祈りするの!」
母親が呆れたように笑う。
「マリアス、本当はリゼルさんの作ったおやつが目的なんでしょ」
「違うもん!」
マリアスは顔を少し赤らめ頬を膨らませた。
家族三人は街を歩く。
賑やかな通り。
行き交う人々。
遠くには都市の中心に聳える巨大な塔が見えていた。
祈りの塔。
街の人々は皆、塔へ向かって歩いている。
マリアスも両親と手を繋ぎ、その流れに加わった。
やがて塔の広場へ辿り着く。
空は青く澄み渡り、無数の光が降り注いでいた。
母親が静かに目を閉じる。
父親もそれに続く。
マリアスも見よう見まねで両手を胸の前で組んだ。
――今日は何を祈ろうか。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
「みんなが幸せになりますように」
そのとき後ろから言い争う声が聞こえた。
「おい! オルガ、クレープは崩れやすいんだ。もっと大切に扱え。できないのならオレが預かる!」
「うるさい! ノエルは黙ってろ。クレープはエリカが大好きなんだ。オレからエリカにあげるんだ」
イエルが割って入る。
「二人とも落ち着いてよ!」
マリアスが三人に駆け寄る。
「今日はクレープ?」
マリアスは瞳を輝かせる。
マリアスの頭を優しく撫でる温かな手。
振り返るとリゼルが立っていた。
「マリアスのクレープは、たっぷりフルーツ入りよ。大好きでしょ」
「うん!」
「早くエリカのところに行くぞ」
オルガがクレープの入った袋をブンブンと振り回す。
「だから、お前!」
ノエルはオルガから袋を奪い取り塔へと駆け出してゆく。
それを追うように、マリアスとイエルも走り出す。
誰も知らない。
この少女が、かつて銀河を旅したことも。
世界を再建したことも。
何度も別れを経験したことも。
けれど、それでいい。
祈りは記憶ではない。
魂に刻まれるものだから。
今日もまた一つの祈りが生まれる。
そしてその祈りは、銀河を越えて巡っていく。
了




