第120話《均衡の理》
次の瞬間、部屋のホログラムやモニターが赤く点滅した。
レーテはそれらを見上げ、ため息をついた。
「何もこんなときに……。まぁ逆らうことはできません」
レーテは浮かぶホログラムを指先で操作する。
そこにはアウロラ地区の雷雲の中、黒い邪龍がゆっくりと旋回し街を見下ろしていた。
エレナが目を見開きレーテを見つめる。
「——都市に邪龍を送り込んでいたのは……。レーテあなたなの?」
「はい。そうです。ですが私の意思ではありません。地球から見たここが天上であるように、さらにエイドスの上にも天上があります。恐らく、そのまた上にも。私もまた管理される側の存在です」
マリーはレーテを見る。
「エイドスの上……。なぜ邪龍をエイドスへ送り込むの?」
「必要だからです」
「必要?」
「祈りとは願いです。そして願いは困難によって生まれる。神々が集うエイドスは安寧の世界です。ですが安寧だけが続けば祈りは失われる。正義だけがあれば正義の価値は失われる。平和だけがあれば平和の価値は失われる。光だけがあれば誰も光を見なくなる」
レーテはホログラムを眺めながら、人差し指をこめかみに充てる。
「だから私は邪龍を送る……役目なのです」
「そんな……。地球にオルドを送ったように、ここでも同じことが……」
「均衡は両極によって保たれる。必要な処置ですよ。光だけでは世界は成立しません。闇だけでも同じです。エレナ、アウロラ地区に邪龍が現れたのです。あなたが対処すべき邪龍です。行きなさい」
エレナはオルドの袖を掴んだまま離さない。
「でも……。それじゃあ、パパたちは? ここでお別れ? もう行くの?」
エレナの瞳から涙が流れる。
「はい。そう二人が望んでますし、想定外の二人をここに留まらせたとしても、上がどのような判断を下すか私にもわかりかねます。先ほど四体もの邪龍がアウロラへ遣わされたのも、二人の祈念が均衡を崩したためです。わざわざ問題をエイドスに留めておく理由もありません」
「……パパ」
エレナは名残惜しそうにオルドの袖を離し、一歩後ずさる。
レーテが表情を変えずエレナに告げる。
「エレナ。急がなければアウロラの被害が増すばかりですよ。アウロラの住人はあなたを守護者として信じているのですから」
マリーはエレナの気持ちが痛いほどわかる。
ユナを探し続けた百年。
ようやく再会できたのに、今マリーはここにいる。
しかし、自分たちがここにいることで、この都市の均衡が乱れてしまうことも理解していた。
そのときだった。
アウロラを映し出すホログラムに人影が映った。
それは邪龍に向かい跳躍し、背中にライフルを背負っている。
エレナが思わず叫ぶ。
「——ルナ!」
そしてレーテの部屋に通信が繋がる。
『エレナ! 今そこにいるんでしょ。コイツは私に任せろ。あんたたちの問題は私にはわからない。でもその問題はあんたしか解決できない。とっとと終わらせて早く帰ってきて!』
「……ルナ」
エレナの瞳が揺れる。
ホログラムとオルドを交互に見ていた。
ルナは、邪龍にライフルを向け撃っている。
オルドがマリーに問いかける。
「マリー。こういうとき、オレはなんてエレナに声をかけたらいい……」
「オルド。あなたが思うがまま素直になればいい。その思いを伝えてあげればいい」
「……わかった」
だが、次の瞬間ルナの声が部屋に響く。
『この邪龍、おかしい……撃ち抜けない!』
邪龍はルナを目掛け急降下してくる。
『きゃぁ! 危ないな。なんて大きいんだ……』
ルナは体勢を整え、アウロラの建物の頂上を飛び回る。
オルドがエレナの肩に手を乗せる。
「エ……エレナ。あの女、友達なんだろう? オレは友達がいたことがないから……わからないけど、お前のこと、大切に思っていることはオレにはわかる。だから、早く行ってやれ。きっとオレと同じくらい……あの女、お前のこと……愛している」
エレナの瞳が見開く。
「……愛している?」
「あぁ……愛している」
エレナは涙を拭い、静かに頷いた。
「パパ、ありがとう。私も大好き、愛している。だから……ママをよろしくね。私もまたママに会いたい」
「あぁ。もちろんだ。エレナとセレアと、オレも……また三人で……。今度こそずっと一緒だ」
エレナはオルドを見つめながら、一歩、また一歩と後ずさる。
そして踵を返し、扉の向こうへ駆け出した。
エレナは振り返らなかった。
クロニア地区の夜空に、機神アウローラ・ノアが霧の中から現れた。
エレナはその肩に乗り、アウロラ地区へと向かっていった。
オルドは手で胸を押さえていた。
「……なんだか、殺されるより痛えな」
マリーは少し微笑んで頷いた。
「少しは痛い目を見ればいい。あなたは私の大切なユナを奪いにきたんだから」
「……チッ」
オルドの目は再び鋭くなった。
それを聞いていたレーテが肩をすくめた。
「さてさて、お二人はエイドスからは出て行ってもらいます。心の準備はいいですか? 地球に転生した瞬間、記憶は全て失われます。しかし安心してください。私が責任を持って記憶はここに保管させてもらいます」
マリーが頷く。
「構わない。でも私の祈りは消えない。私は理の中で生きているわけではない。私は私の祈りに忠実に歩む。この決意がきっと新たな道を示してくれる。オルドがエレナに出会えたように、きっとユナとピリカにもまた会える」
「オルドさん、あなたも良いですか?」
「……あぁ」
「では、最上階に向かいましょう。ちょうどエイドスでの寿命を迎えた住人も何人か地球へ還るところです」
三人はガラス張りのエレベーターに乗り込み、遠くアウロラの空に目を向ける。
そこには機神ノアと、ルナが発砲した光跡が空へと放たれているのが見えた。




