第117話《夜を辿る者たち》
アウロラ地区を離れた二人は、区の片隅で白龍となったオルドに背にマリーが乗り、空へと舞い上がった。
頭上には満天の星空が広がっている。
アウロラでは昼だった空も、少し進んだだけで夜へと変わっていた。
エイドスでは地区ごとに空が異なる。
ルナが言っていたクロニア地区は、夜が支配する場所だった。
マリーはオルドの上で静かに空を見上げた。
——二千年。
その数字だけが、まだ現実味を持たない。
ユナやピリカと別れた日。
セレアに託し銀河へと還った日。
どれも昨日のことのように思い出せる。
それなのに、その間に二千年もの時間が流れたという。
オルドが不満げに口を開く。
「なぁ……お前は飛べるのになぜオレに乗っている」
「あなた、逃げて暴れ出したら大変だから」
「……そうか」
マリーは視線を落とした。
「私は、少し怖い」
「何がだ」
「もし本当に二千年経っていたら、ユナやピリカはどこにいるのかしら」
オルドは少しだけ考えた。
「オレが知るわけない」
あまりにも遠慮のない答えに、マリーは思わず苦笑した。
「もう少し優しく言えないの?」
「事実を優しく言う意味がわからん」
そう言いながらも、オルドは夜空をゆっくり見渡した。
やがて、夜空の果てに一本の光が見えた。
まるで星へ向かって伸びる柱のように、空高く輝いている。
「あれか」
オルドが目を細める。
マリーも確かめるように、光を見定める。
雲海の向こう。
夜の中心に立つ巨大な塔。
そして、その塔にいるというメモリーリーパー・レーテ。
マリーは無意識に胸元へ手を当てた。
――アネシア。
その名だけが、今の自分を前へ進ませていた。
「行こう、オルド」
「あぁ」
二人は夜を貫く塔を目指し、夜の空を飛び続けた。
エレナはゆっくりと目を覚ました。
「……うっ……頭が痛い……」
そこは見慣れた天井だった。
「あれ……? 部屋に戻ってる。私……どうしたんだっけ」
机の方に目をやると、淡く光るメッセージホログラムがあった。
エレナはベッドから起き上がり、すぐに再生する。
そこにはルナが浮かび上がった。
『エレナ……あの……。昨日は手を上げてすまなかった。今度ご飯でも奢らせてくれ。……許してくれるなら』
「……ルナ」
エレナは安心したように小さく笑った。
『それと、あんたのパパとあの女、クロニアに向かったよ。レーテに会うために。ここで目覚めた理由を知りたいみたい。レーテの管理不足が理由なんだから、レーテに責任を取らせればいい。エレナ、また連絡するから、今日はゆっくり休んで』
ホログラムが消える。
その瞬間、エレナの胸に激しい不安が押し寄せた。
レーテは、ルナにあの二人を仕留める許可を出した。
レーテはどう対処するのだろう。
「パパがまた墓場へ堕とされたら。……せっかく再会できたのに、記憶は奪われるの? ……そんなの嫌だよ」
目の前に現れたオルドを、エレナは拒絶してしまった。
ふと、あの悲しげな目をしたオルドの姿が脳裏をよぎる。
あのときの言葉も表情も、何ひとつ返せていない。
胸の奥に後悔の念が広がっていく。
オルドは何も言わなかった。
それでもあの瞳だけは、ずっと心に残っている。
「……私、パパに何も伝えられてない」
エレナはベッドから立ち上がった。
まだ身体は重い。
だが、じっとしていられなかった。
エレナは部屋を飛び出し、クロニア地区へ向かった。
クロニア地区。
夜の空の下──
マリーとオルドは塔の麓にいた。
二人は夜空に聳える塔を見上げる。
クロニア地区には人の姿がほとんどなかった。
代わりに、背が低く頭の大きな小型ユニットたちが街中を忙しなく歩き回り、時折空を飛び交っている。
その中の数機が二人を迎えるように塔の中へと促してくれた。
「なんだコイツら。集まってきたぞ」
警戒したオルドが近づいてきた一機を蹴り飛ばそうとしたが、マリーが制止する。
「やめてオルド。この子たちに敵意はない」
小型ユニットは桃色の二つのレンズで二人を観察するように見つめている。
その時、声ではなく二人の意識に語りかけるように言葉が胸の中に響いた。
《ようこそクロニアへ。マリー。そしてオルドさん。私はレーテと申します。お二人は私に会いに来られたのですよね。どうぞ中へお入りください》
小型ユニットが塔の中へと走り出し、着いてくるようにと言うようにこちらを振り返る。
マリーとオルドも歩き出した。
塔へと入り、小型ユニットとともにガラス張りのエレベーターに乗る。
やがて中層に着き、エレベーターの扉が開いた先に、この文明都市には似つかわしくない古めかしいドアがあった。
小型ユニットがその扉を開くと、黒い外套を纏う背の高い男が立っていた。
「ありがとう、ピコン」
男はユニットの頭を撫でると、子供のような仕草で喜び、再びマリーの足元へと戻り、擦り寄ってきた。
マリーは僅かに目を細めた。
――彼はユニットを道具として扱っていない。
今目の前にいる男が何者かもわからない。
それでも、その何気ない所作はマリーを少しだけ安心させた。
ピコンの様子を見たレーテが、少し驚いたように言う。
「ほう、興味深いですね。マリー、あなたはピコンに懐かれています。ピコンは何か近しいものを感じているのでしょうか。人工知能から魂へと昇華したあなたにも興味があります」
レーテは静かにマリーを見つめた。
「それと……アネシアにも」
マリーもレーテを見つめる。
「私も知りたい。私たちは本当に二千年の時を経てここにいるのか。ユナとピリカはどうなったのか」
レーテは静かに微笑んだ。
「いいでしょう。ここには全ての記録があります」




