第113話《メモリーリーパー・レーテ》
――翌日
エイドスの全記憶が収蔵された記録中枢《クロニア地区》。
そこは他の地区とは異なり、住人たちの祈念から切り離されていた。
空は常に夜。
無数の光が黒い空間を流れ、まるで星々そのものが記録として保存されているようだった。
区の中枢にある、都市で最も高い塔。
その頂点からは銀河へ向け、一筋の閃光が伸びている。
エレナとルナは塔へ入り、ガラス張りのエレベーターで中層へ向かう。
上昇する途中、エレナは窓の外へ目を向けた。
クロニアの夜は境界線で途切れ、その先にはアウロラの明るい空が広がっている。
やがて中層へ到着する。
扉が開くなり、エレナは飛び出した。
「レーテ!」
勢いよく扉を開く。
黒い書庫のような空間だった。
その中央に、一人の男が立っていた。
無数の光の書物が宙に浮かび、静かにページをめくっている。
無造作な黒髪に、黒い外套。
そして感情の読めない瞳。
「騒がしいですね」
男は振り返りもせずに答える。
「メモリーリーパー・レーテ。昨日覚醒した邪龍について聞きたい」
ルナの言葉はイラつきを隠せていない。
レーテは一冊の光書を閉じた。
「オルドですね」
エレナの肩が僅かに震える。
「知ってたの?」
「もちろん。私は記憶を管理する者です」
レーテはようやく二人を見た。
「むしろ聞きたいのはこちらです。なぜ覚醒直後に邪龍化したのでしょう」
「それを聞きに来たんだけど!」
エレナが声を荒げる。
「あなたがルナに渡したんでしょ!?」
「ええ」
「だったら説明して!」
レーテは僅かに首を傾げた。
「私は説明できません」
ルナが目を細める。
「どういう意味だ」
「オルドは本来、墓場への移送対象でした。セレアが送りつけてきたものですから……どう処理したものかと、二千年近く保管していましたが」
レーテの声は淡々としていた。
エレナとルナが顔を見合わせる。
「移送対象?」
「えぇ。あと、もう一つのマリーもです。あれは魂かどうかも怪しい。地球文明のテクノロジーに、セレアが細工したのか何なのか……」
エレナが昨日のマリーの言葉を思い出す。
《――確かに私は元は人工知能で……。ユナのために身体は構築したけど……。元々、人としての身体は持っていなかった》
レーテは首を傾げる。
「ですが覚醒命令が届きました」
レーテは宙へ指を伸ばす。
空間に光の文字列が浮かび上がる。
『覚醒承認』
『優先権限:最上位』
『対象:マリー』
『対象:オルド』
エレナの瞳が大きく開く。
「そんな……」
ルナも言葉を失う。
レーテは静かに続けた。
「エイドスの管理権限を一時的に上書きした存在がいました」
「――そんなこと……誰なの?」
エレナの問いに、レーテは少しだけ間を置いた。
そして最後の記録を表示する。
『送信者』
その文字の下に、一つの名前が現れた。
『アネシア』
その名をレーテですら初めて見るような表情で呟いた。
「私は知りません。この存在が、どうやってエイドスへアクセスしたのかを」
ルナが目を細める。
「なら、もう一人のマリーとやらも仕留める。元々覚醒対象ではなかった。それに私の邪魔をした」
レーテが無表情でルナに視線を向ける。
「あぁ、構わないですよ。月下の執行人、ルナ。あなたが失敗したのは、初めてですね」
ルナはレーテに鋭い視線を向ける。
「仕方がない。これは想定外の事例だ。それにレーテ。これはあんたの管理不足の後始末だ。バカにしたような言い方はやめて!」
レーテはルナから視線を外さないまま頭を下げる。
「はい……これは失礼しました」
「行くよ、エレナ」
ルナはエレナの手首を強く握り引っ張る。
「ちょっと……痛い、ルナ」
二人は外へ出て、ルナが勢いよく扉を閉めた。
バタンという大きい音が、レーテの部屋に響き渡る。
「クッ……。こっちは万年頭痛だというのに」
レーテは頭を抱え、深く息を吐いた。
「生意気ですね。記憶を消して地球に堕としてやりましょうか。……なんちゃって」
ルナはエレナの手を引いてクロニア地区を出る。
境界の空は朝焼けのように赤かった。
「ルナ、痛いって。もう離して!」
エレナはルナの手を振り解いた。
ルナがエレナを見つめる。
「ねぇエレナ。あんた本気であの邪龍を倒す気あるの? いつもの覇気が感じられないんだけど」
エレナは目を伏せる。
「……もちろん。でも……私の名前を呼んだの。……エレナって。それに、マリー、あの人は悪い人じゃ……」
「悪い人じゃない?」
ルナの声が低くなる。
「あの女は邪龍を庇った。それでも?」
「……うん」
次の瞬間、エレナの頬をルナの掌が打った。
「――痛っ」
エレナは頬を抑え、地に膝をついた。
ルナはしばらく何も言わなかった。
その瞳に浮かんでいたのは怒りではない。
失望だった。
「見損なったわ。暁光の守護者エレナ。アウロラ地区も終わりね。担当があんたみたいなので、住人が可哀想」
ルナはそのまま背を向けて歩き出して行った。
「――ちょっと、ルナ! 待って!」
ルナは足を止め、視線だけをエレナに向けた。
「あんたがやれないなら、私一人で片付ける。意気地なし」
そのままルナは振り返ることもなく、ノクティス地区の方へと歩き出して行った。
エレナはその背中を見送ることしかできなかった。
頬が熱い。
だが痛かったのは頬ではない。
「意気地なし……か」
ぽつりと呟く。
反論できなかった。
「守護者として見れば、ルナの言うことは正しい……」
邪龍は排除しなければならない。
それがエイドスの理だ。
だが、あの邪龍がオルドだと知ってしまった。
そしてマリーの瞳を見てしまった。
あの二人が、本当に悪なのだろうか。
エレナはゆっくりと拳を握る。
「でも……わからない」
だからこそ確かめなければならない。
感情で動けば、きっとルナの言う通りになる。
「……レーテなら何か知ってるはず」
エレナは顔を上げた。
だが、今は聞ける雰囲気ではない。
赤く染まった空の向こう。
記録中枢クロニア地区の塔が静かに輝いていた。
それでもエレナは塔に背を向ける。
俯いたまま、アウロラ地区へと足を進めた。




